【3】 特別報告
薬害肝炎事件:全国解決へ!
薬害肝炎全国弁護団
代表 鈴木利廣
フィブリノゲン製剤と第\因子複合体製剤(PPSB−ニチヤク、クリスマシン)という血液製剤が後天性出血症に使用されてC型肝炎感染被害を引き起こした、いわゆる薬害肝炎事件について、とり急ぎご報告をします。
[訴訟]
2000年から始まった弁護士有志による被害者相談と法的責任研究を踏まえて、02年10月に東京、大阪、03年6月までに福岡、仙台、名古屋と、5地裁に提訴された薬害肝炎訴訟は、06年6月から07年9月までの1年3ヶ月の間に大阪、福岡、東京、名古屋、仙台の順で判決が言渡された。
判決の内容は区々であった。
国の承認の違法を認定した大阪、福岡判決。警告義務違反の違法を認定した東京、名古屋判決。国に敗訴した仙台判決。
違法時期を狭く認定した大阪、東京判決。広く認定した福岡、名古屋判決。
第\因子複合体製剤については、国賠責任を肯定したのは名古屋判決のみ。東京判決で認めた企業責任は次の名古屋判決で国賠責任に拡大。
原告たちも弁護団も5判決の都度、心境は小さな前進と大きな悲しみのくりかえしであった。
[全面解決への運動論戦略]
全国原告団・弁護団の目的は、責任に基づく謝罪、被害救済と薬害根絶である。そのためには、国の法的責任の明確化こそが必要である。
そして勝利への運動論戦略は、①司法での国の責任認定を武器に、②国会論戦による政治問題化とメディアを介した社会的問題化を背景に、③政府(厚労大臣、首相)の政治決断を求める、というものである。
実際はどうであったか。
大阪(06年6月)、福岡(06年8月)判決後は国会閉会中、東京判決(07年3月)後は国会会期中であっても、統一地方選挙(4月)と参議院選挙(7月)を控え、全党が浮き足立って審議できず。
5判決が出そろった直後の原告団日比谷公園座り込み(第2回)は3日目(9月12日)に安倍総理の辞任。
政治に翻弄され続けた1年3ヶ月間であった。
解決に向けて大きく動き始めたのは、安倍政権崩壊直後からであった。
第1の要因は大阪高裁の和解勧告(11月7日)であった。
その半年前の5月から大阪高裁に非公式な和解勧告要請を始め、「5判決が出そろった9月までに和解勧告について検討」を求め、仙台判決直後(9月11日)に公式に和解勧告要請を行い、大阪高裁はその2日後に和解勧告方針を表明して、11月7日の和解勧告に至った。この和解勧告は、和解案が国の意向に従ったものであるにもかかわらず、原告の求める全員一律救済が望ましいのに、それが出来ないのは国の大幅な譲歩がないことが原因であると表明した。「司法の限界」「政治決断の必要性」がより明確となった。
第2の要因は国会の動きである。
7月に与野党逆転現象をもたらした参議院において、第1党の民主党が中心となって薬害肝炎救済に動き出し、いわゆる「418人のリスト」問題が国会審議を沸騰させた。その勢いが、和解勧告日とその1ヶ月後の2回の厚労大臣面談、官邸要請行動による副官房長官面談(12月10日)をもたらした。
第3の要因は原告団のメディアを介した行動への国民の支援である。
国会で、官邸で、街頭で、記者会見場で…。原告たちの怒り、悲しみ、期待、挫折がくりかえしメディアに露出した。全員一律救済の籏を掲げて、他人のために頑張る原告たち。責任を曖昧にして、和解金額を上積みする厚労省。その対立が国民の怒りに火をつけた。最大のハイライトは、大阪高裁提案(12月13日)の和解案を即時に拒否し、翌日から6日間に渡る繁華街の街頭行動であった。全員一律救済を求めるビラは若者層の受け取りもよく、署名に列ができ、「カンパ箱はないのか」とせまる人まで出てきた。その一部始終が連日ネット、テレビ、新聞で報道され、福田政権の支持率低下にも反映しているようにみえてきた。12月20日は大阪高裁和解案に対する国の更なる譲歩案の提示(国が責任を争う被害者分として30億円の和解金加算提示)に対し、原告団は直ちに拒否、和解交渉打切宣言に及んだ。原告の悲しみは極に達し、全国から東京に結集した原告たちは、落胆と失望の気持ちを抱いて各地に帰郷、正月明けの再起動を誓い合った。
福田総理総裁の立法による全員一律救済表明は、その3日後の12月23日であった。
[全面解決へ]
薬害肝炎救済法の制定(1月11日)と総理談話、原告団と国との基本合意書の締結(15日)と厚労大臣・首相の謝罪面談。
約束された内容は、(1)責任を受け入れ謝罪する、(2)既提訴原告全員及び被害者認定を受けた新規提訴者への給付金支払、(3)被害回復のための恒久対策と薬害再発防止のための定期協議である。
当面の課題は、(1)未提訴者を含む被害者の救済活動、(2)定期協議を介した、治療費助成を含む医療体制その他の恒久対策の確立と薬害肝炎事件の検証に基づく薬害根絶策の実施、(3)いまだ責任を認めない企業との交渉、などである。
全国弁護団約120名(実動)は、これからも当分の間、活動に追われることになります。この間のご支援に感謝いたします。