公害弁連第37回総会議案書
2008.3.23  諫早
【2】 各地裁判のたたかいの報告(ダム・干拓問題)
〔1〕 転機を迎えた 川辺川ダム問題
川辺川利水訴訟弁護団
事務局長 弁護士 森 徳和

1  はじめに
 川辺川ダム建設計画は、球磨川の氾濫による洪水被害が流域の熊本県人吉市に続発したことを受けて、1966(昭和41)年7月、旧建設省が発表した。当初、最大支流の川辺川に治水目的のダムを建設する計画であったが、その後農業用水を確保する利水事業や発電も加わり、多目的ダムに変更された。
 2007(平成19)年、川辺川ダム建設計画は、計画発表から41年目を数え大きな転機を迎えた。

2  休止となった新利水計画
(1)  事前協議の中断
 2006(平成18)年5月31日、農水省は、川辺川ダムの水没予定地に存在するチッソ発電所の用水路から取水する新たな利水計画案(以下「農水新案」という)を熊本県、関係市町村に提示した。
 これを受けて、事前協議が再開されたが、熊本県は、農水新案を中心に取りまとめ作業を進めようとした。これに対して、原告・弁護団は、農水新案は、ダムが完成した場合には湖水から取水する事実上のダム案にほかならないとしてその欺瞞性を追求した。また、矢上雅義相良村長(以下「矢上村長」という)は、村財政と事業費負担、国・熊本県による助成と水代(費用負担)との関係、既得水利権の取扱いなど相良村独自に問題点を指摘して、農水新案に対する疑問を表明した。
 7月14日に開催された事前協議において、総合調整役を務める熊本県は、「農水省新案をもとに、所要の手続きに入っていかざるを得ないと整理する」と表明して事前協議を打ち切り混迷の契機となった。

(2)  相良村の脱退宣言
 7月31日、矢上村長は、熊本県庁で会見し正式に事業不参加を表明した。これに対して、潮谷義子熊本県知事(以下「潮谷知事」という)は、同日の定例会見において、「地元市町村の考え、(計画)案がまとまっていない中では、土地改良法の手続きに入れない」と述べ、2007(平成19)年度の政府予算案に川辺川利水事業を盛り込むのは困難との認識を示した。

(3)  6市町村会議の発足と挫折
 2007(平成19)年3月3日、福永浩介人吉市長(以下「福永市長」という)が、広域行政組合の燃料納入をめぐる収賄容疑で逮捕され、川辺川ダム推進の旗振り役が欠ける事態となった。
 4月22日実施された統一地方選挙において、川辺川総合土地改良事業組合(以下「事業組合」という)の組合長を勤める園田耕輔錦町長、犬童卓一郎あさぎり町長がいずれも落選し、森本完一錦町長、愛甲一典あさぎり町長が誕生した。
 また、福永市長の逮捕を受けて実施された人吉市長選挙では、川辺川ダムに中立の立場をとる田中信孝市長(以下「田中市長」という)が当選した。その結果、川辺川ダムをめぐる政治地図は大きく塗り変わった。
 このような状況を背景に、矢上村長は、ダム予定地下流からの取水、相良村に不利な農家負担の見直し、農家への永続的な補助の保証を条件として利水事業の復帰することを表明した。これを受けて、6市町村会議(座長内山慶治山江村長/以下「内山村長」という)という新たな枠組みで新利水計画が議論されることになった。5月14日に開催された第1回会議では、矢上村長が、農水新案には応じられないという姿勢を崩さなかったため、具体的協議には入れなかった。5月28日、6市町村会議による現地視察が実施されたが、矢上村長は、ダム予定地下流から取水する県案を基調とする新計画作りや事業組合の即時解散を主張して平行線となった。そして、7月9日に開催された第3回会議に矢上村長が欠席したことから、6市町村会議は2ヶ月足らずで暗礁に乗り上げた。

(4)  事業休止への道
 地元市町村の合意が形成されないもとで、農水省は、2008(平成20)年度の概算要求で、調査設計費3億円を計上したに止まった。9月5日、若林正俊農水大臣は、「年内が勝負だ。いつまでもずるずると予算を計上する訳にもいかい」と発言して、初めて公式に事業中止の可能性に言及した。これを受けて、相良村を除く5市町村は、矢上村長の説得を続けることを確認した。
 9月25日、5市町村は、矢上村長の説得を断念し、農水新案を軸とする新利水計画の取りまとめを行い、農家への説明会を実施する方針を確認した。11月に5市町村で実施された農家説明会は、出席率が26%と低調で、利水事業への熱意も冷めていることが明らかになった。
 11月21日、2008(平成20)年度の予算編成に向けた意見聴取の席上で、5市町村を代表して発言した内山村長は、九州農政局に「合意に至っていない」と報告した。一方、相良村役場で対応した矢上村長は、九州農政局に対して「休止の英断を」と迫った。
その結果、12月24日に閣議決定された2008(平成20)年度政府予算案に川辺川利水事業の事業費は計上されず、休止が決定した。内山村長は、「廃止ではなく休止。一時的に予算がつかないだけで、地元がまとまれば復活する」と期待を込めたコメントを出したが、事業再開の目処は立たず、事業組合の解散も避けられない状況に追い込まれている。

3  球磨川水系の河川整備基本方針
(1)  河川整備基本方針検討小委員会をめぐる動き
 国交省は、河川法に基づき球磨川水系の河川整備基本方針を策定するため、河川整備基本方針検討小委員会(以下「検討小委」という)を設置した。検討小委には、地元から潮谷知事、福永市長が参加した。
 矢上村長は、2006(平成18)年11月7日、「球磨川、川辺川流域全体にとって、ダムによる治水は必要ない」として、川辺川ダム本体建設工事に反対する考えを初めて表明した。また、相良村議会は、同月17日、川辺川ダムによらない治水・利水の早期実現を求める国・熊本県あての意見書を賛成多数で採択した。
 2007(平成19)年1月26日、国交省九州整備局は、九州農政局に対して、「川辺川ダムにおける新利水計画の取扱いについて(照会)」と題する書面を送り、新利水計画が川辺川に水源を依存するか否かについて回答を求めた。これに対して、九州農政局は、同月30日、「川辺川ダムにおける新利水計画の取扱いについて(回答)」と題する書面を九州整備局に送付し、「本事業については、川辺川ダムに水源を依存する利水計画として取りまとめることはない」と回答した。
 2月14日に開催された検討小委の席上、近藤徹委員長(以下「近藤委員長」という)は、治水専用の「穴あきダム」の実現可能性を検討するよう国交省に求めた。同月15日に会見した冬柴鉄三国交大臣は、「穴あきダム」の検討に関して、「基本方針の策定後、それに基づいて河川整備計画を立てる際に具体的検討がなされるものだ」と述べて、機が熟すれば検討のテーブルに載せる可能性を示唆した。これに対して、潮谷知事は、同月22日の定見会見で、「ダムの問題は、基本方針策定後の河川整備計画の中で論議すること。そこまで議論は尽くされていない」として、「穴あきダム」論議が先行することを牽制した。
 3月23日、検討小委は、川辺川ダムの必要性を事実上盛り込んだ河川整備基本方針案を承認した。委員会の席上、潮谷知事は、「球磨川流域には様々な声があり、意見の一致を見ていない。明らかにダムを想定した文言もあるが、県民の理解が得られるか疑問があり、取りまとめ案は了承し難い」と発言して反発したが、近藤委員長は、ダムへの誤解を解くよう国と県で努力してもらう前提で取りまとめたいと押し切った。

(2)  建設目的を失った川辺川ダム
 6月16日、国交省は、電源開発(Jパワー)がダム事業から撤退する意向を伝えてきたことを明らかにした。電源開発は、「ダム建設の見通しが立たないことから、発電事業への参画は難しいと判断した」とのコメントを発表した。その結果、利水事業に加えて発電事業もダム建設目的から除外されることが明確になった。九州地方整備局の光成政和河川調査官は、「整備計画にダム建設の目的を盛り込む必要性があったため、電源開発に照会した。発電と利水の目的がなくなっても、治水のためにダムが必要という認識は変わらない」との立場を改めて強調した。
 球磨川流域12市町村で構成される川辺川ダム建設促進協議会は、8月8日、新会長に柳詰恒雄球磨村長を選出した。同会長は、歴代人吉市長が勤めてきたが、中立の立場で当選した田中市長が就任を固辞したため球磨村長を充てた。
 国交省は、2008(平成20)年度の概算要求で前年同様34億円の水没予定地五木村の生活再建費を計上し、本体工事費は5年連続で見送りとなった。

4  おわりに
 潮谷知事は、12月6日、県議会で来春の知事選挙には立候補しない意向を表明した。これを受けて、北里敏明元消防庁次長、矢上村長、鎌倉孝幸元熊本県地域振興部長、岩下栄一元衆議院議員、蒲島郁夫元東大教授の5人の候補者が知事選に名乗りを上げている。5候補のうち、蒲島候補を除く4名は川辺川ダム反対の立場をとり、蒲島候補は第三者機関で検討してもらったうえで結論を下すとの考えを示している。県知事選挙の結果如何では、転機を迎えた川辺川ダム問題に影響を及ぼす可能性がある。
 国交省幹部は、「もはや利水や発電のために水をためる必要はない。治水のためのゲート(水門)つき穴あきダムが最有力」と言ってはばからない。国交省は、技術的な検討をほぼ終え提示のタイミングを伺っていると言われる。
 利水事業を休止に追い込んだ地域住民の運動の力で、国交省が最後の望みを託す「穴あきダム」構想を断念させるまで、粘り強く闘いを続けていかなければならない。
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