公害弁連第37回総会議案書
2008.3.23  諫早
【1】 基調報告
第2  公害裁判の前進と課題
6  水俣病のたたかいの前進と課題
(1)  水俣病をめぐるたたかいの概観
 平成20年2月末日現在、熊本・鹿児島両県で、5,910名の水俣病患者が公健法上の認定申請を行い、保険手帳申請者は、両県で17,740名(うち交付者数は15,580名)に達する。つまり、合計で2万名以上の水俣病患者が、声を上げ続けている現状である。
 水俣病をめぐるたたかいは、1996年5月22日の政府解決策を踏まえた裁判所における和解を経て、2004年10月15日、最高裁判所は水俣病における行政の賠償責任を断罪し、感覚障害だけの水俣病を認めた。そして、この判決の後、続々と水俣病の認定申請を求める人が続出し、2005年10月3日ノーモア・ミナマタ国賠訴訟が司法救済制度による解決を求めて提起された。
 こうした中で、今年は水俣病公式確認52年目を迎え、1996年の解決の意味を踏まえて水俣病問題の解決がどうあるべきかを示す中で、未救済の水俣病被害者の現状を捉えた解決ができるかどうかがますます重要な課題となっている。

(2)  水俣病被害者をめぐる状況
1)  水俣病関西訴訟最高裁判決の二つの側面
 2004年10月15日、最高裁判所は水俣病関西訴訟最高裁判決を言い渡した。
 ① この判決は、感覚障害だけの水俣病を認めたことのほかに、行政(国・熊本県)に賠償責任を認め、1995年12月15日の水俣病政府解決策の法的根拠を与え、かつ熊本や鹿児島で水俣病をめぐる認定申請や提訴を促した点で高く評価されるべき判決である。すなわち、この判決は水俣病患者のたたかいの正当性を認め、これを大きく鼓舞した最上級審の確定判決である点で歴史的に高く評価されるべきである。
 ② しかしながら、この判決は、司法認定と行政認定の水俣病というダブルスタンダードを容認するがごとき事態を認めたこと、さらに除斥期間を認めたことなど水俣病患者救済を図る上で環境省やチッソの責任逃れを許す弱点も持っているものである。すなわち、この判決が、環境省に行政救済システムの変更を拒否する口実を与え、チッソに除斥期間など責任逃れをする口実を与えた点で、水俣病患者のたたかいに新たな試練を与えたという側面も持ち合わせていることを看過してはならない。
 ③ なお、この判決が行政の責任の範囲をチッソの4分の1程度としたことについて、チッソがこれを分社化論に取り入れて、患者補償をするチッソを全体の4分の3の補償をした時点で倒産させるという衝動を持っていることには十分警戒を払う必要がある。
2)  1995年12月15日の政府解決策の二つの側面
 水俣病全国連を中心とする水俣病患者のたたかいが、政府解決策を引き出し、1977年に打ち出された水俣病患者大量切り捨て政策を転換して水俣病被害者を救済したことは、水俣病患者が「生きているうちに救済を」強く求めていたことからして評価されるべきことは当然である。まさに、どんなによい解決でも「お墓に布団をかぶせる」ようなものであってはならないからである。
 この政府解決策があったから、最高裁判所は関西水俣病訴訟において判決を下したものである。なお和解に関して、友納治夫元裁判長は「私共が試みた和解協議の中で、病像論にしても責任論にしても、先ほど申し上げた意味で少し引いた姿勢を裁判所がとった、そして国の政治決着の中で、やっぱりそれらの点をはっきりさせていない、これはもし何か関連があるとすれば大変遺憾だなと思うわけで、そのことが現在も尾を引いているとすれば大変不幸なことだと思います」(「水俣病救済における司法の役割」花伝社102頁)と発言している。これは、司法救済システムと政府解決策の関係を考えるにあたって示唆に富む見解であろう。
 司法救済システムにあっては、行政が任意に参加しない場合には和解による司法救済システムは現行制度としては実現不可能になるおそれがあり、この場合に司法救済システムをどのように構築するかが大きく検討されるべき課題である。最高裁判決をもってしても環境省が動かない事実をどのように評価し、突破していくかが改めて問題となっている。
この点、2007年末の薬害C型肝炎訴訟での劇的な司法による救済立法の成立は、多数の被害者を司法による基準で解決する新たな可能性を示唆するものであり、ノーモア・ミナマタ訴訟で切り開くべき道筋が見え始めているというべきである。
3)  水俣病被害者をめぐる新たな状況
 水俣病第3次訴訟の時点では、藤野糺医師等は現地の医師からも疎外され、ニセ患者製造機のような中傷を受けて来た。しかしながら、政府解決策以来、水俣市・芦北郡医師会は水俣協立病院の医師を会員として受け入れ、医学的にもその成果を評価するなど大きな転換を示している。こうした中で、多くの医師が水俣病の診断書を書くという新たな事態も生まれている。
 また、一昨年の水俣病公式確認50年事業で、水俣市民の中にも大きな変化が生まれている。06年3月12日の「水俣病五十年フォーラム」では友納治夫元裁判長、大石利生ノーモアミナマタ訴訟原告団長が報告者に名前を連ねた。また、出版事業では水俣病裁判の役割が大きく見直されるというあらたな状況も生まれている。
 また、熊本県が2004年11月に独自の解決策を打ち出し、中でも不知火海沿岸全住民を対象とする47万人の健康調査を検討していることや、環境大臣の私的諮問機関であった水俣病懇談会が、水俣病の認定基準をめぐって環境省の意図とは違う独自の答申を出そうと努力したことなどは、かつてなかった新たな動きである。

(3)  水俣病被害者の新たなたたかい
 こうした中で、最高裁判決後、熊本・鹿児島両県で新たに水俣病認定申請者が合計で5,910名も名乗り出て、さらにこれとは別に、15,580名が新保健手帳の交付を受けるなど(08年2月末日時点)、水俣病被害者のたたかいは全く新しい歴史的段階を迎えているものである。
 このたたかいの中で、1,400人を超える水俣病被害者が原告となり、国・熊本県・チッソを被告に新たに裁判まで提起したことは、当初の予想をはるかに超え、誰もが予想し得なかった被害者のたたかいが起こっている事を示している。この裁判の動きはノーモア・ミナマタ国賠訴訟の範囲を超えて、いくつかの患者団体にも大きく広がろうとしている。
 すなわち、これまで、集団訴訟による司法的解決までは踏み込まなかった水俣病被害者互助会も、ノーモア・ミナマタ訴訟と同様の国家賠償訴訟の提訴に踏み切った。また、新潟でも、第3次訴訟原告らの訴訟救助を認める地裁決定に対し、国が異議を申し立てて訴訟引き延ばしを演じる中で、原告らが口頭弁論の早期実施を求める要請を行い、いよいよ法廷闘争が動き出そうとしている。
 こうしたたたかいに対して、九州弁護士会連合会は「水俣病被害者放置は人権侵害」と国、県などに警告しようとしており、水俣病被害者のたたかいを大きく支持するものになろうとしている。
 そして、日本弁護士連合会も、本年6月に、会をあげて水俣現地に赴き、被害実態調査を行う見込みである(08年3月8日付け西日本新聞)。

(4)  加害企業チッソ・国・熊本県などの動き
1)  熊本県の動き
 最高裁判決直後04年11月、熊本県は水俣病解決の提案をして前出の不知火海沿岸住民47万人の調査を提案し、鹿児島県も認定審査会委員への働きかけをやめるなど地方自治体に国の水俣病政策への不信感が表明された。
 ちなみに、熊本県は、総合対策医療事業は国と県で費用を折半していたが、平成18年12月に総務省から特別交付税を交付され、これにより国75%、県25%となった。但し、最高裁判決以後の新保健手帳では国80%と県20%となっている。
 このような費用負担割合の下で、日々、保健手帳申請者が増え続ける中、現状では熊本県として独自の動きがあるとは言い難い状況にある。2008年3月7日、金澤熊本県副知事は、後述のように、第二の政治解決策である与党PT案の受け入れを拒否するチッソ本社に出向き、与党PT案の受け入れを要請した。これは、チッソへの金融支援費用などを盛り込んだ2008年度の熊本県特別会計当初予算の執行で、県議会が「早期解決の実現に向けた決断を促すなど、チッソに対する働きかけに努める」旨の付帯決議を可決したことを受けたものである。熊本県は、これに先立つ2月13日、一般会計予算に、与党PT案の実施を前提にその実施経費として新たに9億3,000万円を計上している。
 つまり、現状において熊本県の施策は、与党PT案の域を出るものではなく、結局、水俣病患者の大量切り捨て路線と何ら変わりのない政策に追随しているのみである。
 しかし、2008年3月23日投開票が行われる熊本県知事選挙は、水俣病問題に関する熊本県の姿勢を大きく転換する可能性を秘めている。5名の候補者は、原告団による公開質問状に対しそれぞれ回答しており、その中には、すべての被害者を救済すべき旨述べる候補者も存在する。今後、新たに発足する熊本県政に対する訴えもさらにその重要性を増すであろう。
2)  政府、環境省などの動き
 ① 第二の政治解決策(与党PT案)の提示
 最高裁判決後も、環境省は現行認定基準による行政認定制度をあくまでも転換しないとする政策を継続し、新保健手帳による押さえ込みが出来ないとわかるや、いわゆる第二の政治決着路線を模索してきた。
 07年4月から10月にかけて、与党水俣病対策プロジェクトチーム(PT)は、調査費用として約8億円を予算計上して、救済対象になりうる人数や症状、日常生活の支障などを把握し、救済内容を検討すると同時に、①認定申請者らを救済する姿勢を打ち出すことで、熊本・鹿児島の認定審査会の前委員を説得し、②チッソに救済策実施に伴う費用負担を求める説明材料とすることを狙いとしたアンケート調査などを実施した。
 この調査は、対象者を認定申請患者・保険手帳交付者とするもので、その全員を対象に月1回のアンケート調査、うち5%については無作為抽出でサンプル調査、アンケート調査票の内容は水俣病に特徴的な神経症状や日常生活での身体能力・支障の程度・季節的変化などを聴取するものであったが、調査の謝礼は5千円、経費は一人月6千円(2007年1月12日熊日夕刊1面)とされるなど、異例のものであった。
 これを受け、07年10月25日、与党PT(座長・園田博之衆議院議員)は、現在、申請患者が急増している水俣病未認定患者につき、04年に最高裁で下された司法基準はもちろんのこと、95年の政治解決をも下回る水準で、しかも、申請については期限を付して、ある一定の期限を過ぎればその後は一切の救済に応じないとする旨の政治決着案を発表した。
 具体的には、行政が指定した医師の診断のみにより、四肢抹消優位の感覚障害が認められる人に対し、①一時金150万円、②毎月の療養手当1万円、③医療費の自己負担分を全額免除するという内容である。
 これは、民間の医師の診断書による審査を排除している点で大量切り捨ての危険性を孕んだものであると同時に、司法判断で示された賠償水準を無視し、しかも、一定の期限までの申請しなければ、その後は一切救済しないという制度であり、最高裁判決で断罪された水俣病の発生・拡大の加害者として、無責任かつ恥知らずな提案である。国は再び多くの水俣病患者を切り捨てることを公言した。
 同案に対しては、その直後に一部の患者団体が受け入れを表明したものの、その実態が、救済対象者を認定申請者及び新保健手帳所持者の約4割にとどめるものと発表されたことから、圧倒的多数の患者団体が猛反発するに至り、後述するように、チッソにも拒否されるなどして、一時的に実施が遅れた格好となった。
 しかし、国は、08年度政府予算案に、与党PT案の実施を前提にして新たに10億円(月額1万円の療養手当分及び救済対象者を判定するための公的診断費用)を計上しており、今後、チッソに対する税制優遇措置及び分社化論の認容と引き替えに第二の政治解決策が実施される可能性を十分視野に入れなければならない。
 ② 水銀問題
 ところで、中国やブラジルなどの発展途上国で金を採掘する際に使われ環境中に放出される水銀は、世界の総水銀排出量の3分の一に当たる年間1千トンに達し、最大の水銀汚染になっているとの国連の報告書が明らかになった。これに対し、原田正純教授は「水俣病を経験した日本は、診断や予防、対策面で世界をリードすべきだし、世界の期待も大きい。だが、(患者認定などで)水俣病の範囲を出来る限り限定しようとの国内の動きが影響して、期待に後れを取っておらず、このままでは世界に後れを取ってしまう」(2007年1月20日熊日)と述べている。
 ところで、日本は2006年236トンの水銀を輸出している。日本は水銀を産出しないので、これらは日本国内で回収・保管されていたものであり、イラン、香港、インドなどに輸出されている(2007年1月28日熊日)。
 ちなみに、環境省は2007年1月から沖縄本島にある国立環境研究所辺戸岬・エアロゾル観測ステーションで、中国やインドの石炭火力発電所などからのガス状・粒子状の水銀およびその化合物を観測する。これは、米・カ・伊・日の国際研究で経済発展を続ける中国・インドの大気汚染を観測し、水銀移動モデル図を作ることなどに目的がある(熊日2007年1月3日)。
 しかし、これらは自国の水銀汚染被害についてきっちり調べることをせず、水銀汚染を世界に広げるもので、さらにアジア地域の経済成長による環境汚染だけを問題にするのであれば、自国はおろか世界の環境破壊に対する無責任な態度に過ぎない。
3)  チッソなどの動き
 一方で、水俣病の原因企業であるチッソは、これまで、経済的な発展を担うチッソと患者補償などを担うチッソとの分社化論を探ってきたが、ノーモア・ミナマタ国賠訴訟の場では第1次訴訟以来主張してこなかった時効や除斥期間の抗弁を主張した。
 しかしながら、わが国では石炭・トンネルじん肺など消滅時効や除斥期間論に逃げ込もうとする企業と厳しくたたかい、多くの成果を勝ち取ってきた。水俣病問題において、時効・除斥期間論で甘んじるわけにはいかない。  このようなチッソの基本的態度は、同社機関誌で、95年の政治解決策を「(関係当事者全ての)最終全面解決」の合意だったと位置づけた上で、「最高裁判決を以て、この裁判が終われば、当時の関係者(各対象グループ、国、県、及びチッソ)は、新たな紛争につながるような行動をなすべきでなかったと考えます。」「それにもかかわらず、この合意の基本を無視したかのような関係者の言動があり、それが今日の混乱に結びついていることは残念でなりません。」と公言する後藤舜吉チッソ会長の言にも、よく表れている。
すなわち、チッソは、07年10月に提示された「行政の指定した医師の診断により、手足(四肢抹消優位)の感覚障害があると認められた人を対象に、一時金150万円、療養手当月額1万円、医療費の自己負担部分を給付する」ことを内容とした与党PT案に対し、同年11月、①ノーモア・ミナマタ訴訟などの存在により、与党PT案による解決では展望が持てない、②時効・除斥期間論を主張している訴訟上の主張と矛盾する、③支払い能力を超えている上、株主等に対して説明が不可能、などとして、一時金の負担を拒否すると発表した。
 さらに、後藤会長は、受け入れ拒否の批判に対し、「事態は当社の努力の限界を超えており、『原因者だから払え』という単純な論理だけで従うわけにはいかない。この上は主張すべきは主張することに何らおくすることはない」と開き直りを演じ、その後、熊本県、水俣市にまで与党PT案拒否の理由を説明に訪れた。
 しかし、08年2月20日、後藤会長はすでに鴨下環境大臣と面会しており、この水面下での動きは予断を許さない状況にある。鴨下環境大臣は、公式には、チッソ側に本年5月1日の水俣病犠牲者慰霊式を目処に解決の方向を出すよう努力を求めたとされる。しかし、チッソに対する税制優遇措置と分社化論は、今後議論されるものとして生き残り続けている以上、これを条件としてチッソが政治解決に応ずる可能性を十分に考慮すべきである。
 事態は、今、この瞬間も、まさに動き続けているといわなければならない。

(5)  水俣病救済と司法の役割
 環境省は、認定基準の変更を拒否し、第二の政治決着を目指し、水面下において着々と準備をしている。
 また、07年1月15日、熊本県とで同県水俣病認定審査会前会長岡島透は、07年3月に認定審査会を再開する方向を明らかにし、現行の認定基準を変えないで、救済できないものは与党PTの第二の政治解決に期待するとしている。岡島透は「最高裁判決時と状況が大きく変わった。懇談会が現行基準を一応認めるという認識の下に恒久的な救済策と審査会再開が必要と提言、昨年12月与党PTが新たな救済策を示した」と言明した。国の公害健康被害不服審査会から熊本県の認定申請棄却処分を取消す裁決を受けた緒方正実氏が「私の訴えが何らかの形で審査会の再開に影響したのであろう」(2007年1月16日熊日)と分析するが、まさにそれが熊本県が審査会再開に応じた最大の理由であろう。しかし、そのことと第二の政治決着が連動するとなれば、加害者である国・県、チッソの責任で、水俣病患者として、裁判所における救済を希望する水俣病患者の要求に反するものであり、絶対に許してはならない。
 これに関して、伊藤祐一郎鹿児島県知事は「認定基準の整理がついていない現状では委員委嘱の了解を得るのは難しい」、泉田裕彦新潟県知事は「国と最高裁判決の基準による場合は『最高裁の基準に沿って救済されるべき』と思う」との発言が相次いだ。そして新潟県では、08年2月21日、新潟水俣病の歴史的問題を検証し独自の新救済策を探る「新潟水俣病問題に係る懇談会」が、新保健手帳所持者を対象にして、独自救済策を実施する方向で一致した。鹿児島、新潟の両県では、国の水俣病に関する施策に批判的な態度であることが明確になってきた。  これに対して、環境省は、あくまでも認定基準を変えずに、司法救済制度も拒否して、第二の政治決着(行政救済制度)で裁判外での安上がり解決を図り、水俣病患者の切実な要求を抑え込もうとしているものであり、今年は、訴訟の進展がこれにどう歯止めを掛け、水俣病患者らがいかに団結してたたかうかが問われる歴史的に場面に突入する正念場であり、決戦の年となるであろう。
 司法を武器にこの国の公害被害者を救済する制度を確立するために、和解手続だけでなく、判決制度も活用して、早期かつ大量に水俣病被害者を救済する裁判上の仕組み(運用)を実現していくたたかいが今こそ大きく求められているといえよう。
 その意味において、2008年2月22日は大きな流れを作る日となった。同日、熊本地方裁判所で開かれたノーモア・ミナマタ訴訟第12回口頭弁論において、裁判所は「7月の口頭弁論において、原告側医師証人の高岡滋医師の証人尋問を実施する」意向を示し、民間の医師の診断により水俣病患者の救済を図る第一歩を歩き出した。
 また、ノーモア・ミナマタ訴訟のみならず、水俣病被害者互助会も、同月14日に開かれた第1回口頭弁論において、新たなたたかいを開始した。このたたかいには、第1次訴訟原告、水俣病認定申請を長期間放置され死亡後に棄却処分の取消を争う現在福岡高等裁判所に係属中の溝口訴訟の原告、ノーモア・ミナマタ訴訟の原告らが、「ともにたたかおう」とエールを送った。
 新潟においては、すでに13名の原告が提訴しているが、さらに3名の原告が追加提訴するとの動きもある。
 今後、関西、東京も含めて、水俣病問題の真の全面解決を目指すたたかいを全国的に展開することが、いま大きく求められている。
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