【2】 各地裁判のたたかいの報告(薬害裁判)
〔4〕 薬害イレッサ東日本訴訟
薬害イレッサ東日本訴訟弁護団
弁護士 阿部哲二
1 イレッサとは、2002年7月に、世界で最初に日本で承認された肺がん用抗がん剤とされるものである。これまでの抗がん剤が、がん細胞とともに正常細胞をも攻撃するため副作用が強かったのに対し、このイレッサはがん細胞をピンポイントで攻撃することから副作用の少ない夢のような薬と宣伝された。わらをもつかむ思いの多くのがん患者がこれに飛びついた。結果は逆だった。副作用は少ないどころか、間質性肺炎等の重い副作用による死者が相次いだ。承認後これまでの5年間で少なくとも730人以上の副作用死が確認されている。
薬害イレッサ訴訟とは、このような被害にあった患者の遺族が中心となって、イレッサを開発したアストラゼネカ社(本社大阪)(親会社イギリス)と承認した国を被告とした損害賠償請求訴訟である。
2004年7月に初めて大阪地方裁判所に訴訟が起こされた。東日本訴訟は、同年11月に、東京地方裁判所に起こした訴訟である。
2 争点
争点は、このイレッサが有用性の認められない欠陥商品か否か、イレッサを仮に承認するとしても警告等の被害防止義務はつくされていたか等である。
イレッサには、一定の腫瘍縮小効果はあるが、延命効果は確認されていない。偽薬と比較しても、その偽薬に勝てない。それがそもそも抗がん剤などと言えるのか。EUでは、延命効果が確認できないことから、アストラゼネカ社は、その承認申請を取り下げた。アメリカでは、日本に遅れて2003年に一旦承認されたものの、効果が確認できないことから、新規患者への投与が禁止された。
それが、日本では世界で最初に承認され、今なお使い続けられ、730人以上の副作用死を出し続けているのである。
イレッサを飲んで効いた患者がいる、という声がある。しかし、薬の効果は、大規模な比較試験でしか判定できない、判定してはいけないというのが科学の基本である。
本当に効く人がいるのか、どういう人が副作用被害にあうのかは、もう一度、臨床試験に戻して調べ直すのが筋である。企業が責任をとらないまま市場で売り続け、適応を絞り込むなど許されない。
3 訴訟の経過
イレッサ訴訟は2006年から証人尋問が始まった。東京では、福島雅典京大教授、別府宏圀医師、浜六郎医師が原告側申請証人として証言した。2007年10月からは被告側申請証人の尋問に入っている。被告側は、西條長宏国立がんセンター副院長、坪井正博東京医大医師、工藤翔二日本医大教授を証人に立てている。がっぷり四つの医学論争を展開しているかのようでもあるが、決して難しい話ではない。
延命効果が確認されない中で、副作用死を出し続ける責任、多くの副作用症例を見過ごして承認した誤りが問われているのである。
又、被告側証人と企業との間にどのような利益相反関係があり、どのようなバイアスがかかる中で、証言が行われているかも明確にされなければならない。
4 今後の見通し
2007年末から2008年にかけて、薬害C型肝炎訴訟は画期的な解決を勝ち取った。しかし、それで薬害は終ったわけではない。
薬害イレッサがある。
薬害イレッサ訴訟は、抗がん剤をめぐる世界で最初の薬害訴訟であり、製造物責任法の適用を求める初の本格的な薬害訴訟であり、今なお使い続けられている薬についての責任を問う薬害訴訟である。
被害に対する賠償、責任を認めての謝罪を求めての訴訟だが、それだけではない。
がんだから死んでもしょうがない、などとして放置されてきた抗がん剤による副作用死に対し、これによって利益をあげる企業がきちんと責任をとる副作用死補償制度の創設をも目標とする。
今年末から来年に向けて、大きな訴訟のヤマ場を迎えるように進めたい。