【2】 各地裁判のたたかいの報告(カネミ油症)
カネミ油症事件
カネミ油症事件弁護団
はじめに ─ 裁判は終わったが・・・ ─
カネミ油症事件の裁判は,1987年最高裁判所での鐘渕科学(現社名 カネカ・・・カネミ油症の原因物質PCB・商品名カネクールの製造・販売企業)との和解,そして,国に対する訴訟の取り下げと国の同意で終了した。
カネミ油症統一原告団と弁護団は,訴訟終了後も・医療費の保証・治療方法等の研究・仮払金(国に勝訴した第1陣,第3陣訴訟の判決に基づく仮執行金)の返還問題等の解決を求めて運動を継続してきた。
昨2006年は,この運動に大きな飛躍をもたらした1年であり,今年は新たな成果を勝ち取る年にしなければならない。
1 20年目の全被害者集会
4月16日(日)に文字通りカネミ油症の全被害者団体が集まる「カネミ油症全被害者集会」が開催された。全被害者団体の代表が同席する会合は,1987年3月の最高裁判所での和解とその直後の記者会見以来のことであり,さらには,自民・公明・民主・社民・共産の与野党の代表も参加する記念すべき集会となった。この集会では「油症手帳」制度の確立,「治療研究事業の抜本的強化」「仮払金の返還の免除を認める特別立法の制定」「未認定被害者の救済」など,7項目の要望が採択され,その実現へ向けて運動を進めることが確認された。
2 日弁連への人権救済の申し立てと救済勧告
全被害者集会の翌日,日弁連は国に対し立法措置をも含めた救済策をとるよう勧告した。(なお,日弁連はカネカ,カネミの両企業にも勧告している。)この日弁連への人権救済申し立ては,2002年に設立された「カネミ油症被害者支援センター」が中心となって,被害者に呼びかけ,2004年4月に第1次申し立てを行ったものである。
その後,この日弁連への人権救済の申し立てを軸にして,カネミ油症の全被害者を結集した新しい運動の波を作ろうとの動きが始まり,統一原告団,弁護団もその一翼を担うこととなったのである。
3 深刻な被害の実態と運動の前進
日弁連は,人権救済の申し立てを受けて,2005年7月から被害者の事情聴取を開始した。その冒頭,7月1日は長崎県五島列島の玉之浦で公開ヒアリングが行われた。午前中10名の被害者が訴えた。深刻な被害の実態は,これに参加した議員,行政,そしてマスコミに大きな衝撃を与え,運動を前進させる力となった。2005年10月には,長崎県五島市でカネミ油症五島市の会が結成され,シンポジウムも開催された。
このような状況のもとで前述した2006年4月の全被害者集金に至ったのである。
4 東京集会そして今年の課題
全被害者集会を受けて運動が前進していく中で,2006年9月24日,カネミ油症被害者東京集会が開催され,翌日には院内集会を行い,各党への要請を行った。この間,与党は5月にカネミ油症被害者の救済等を検討するプロジェクトチームを立ち上げ,民主党も独自の救済策の検討を始めた。
昨年は,様々な事情で法案が日の目を見るには至らなかったが,今年は何としても成果を勝ち取るべく,統一原告団,弁護団も全被害者団体と共に全力を尽くす決意です。御支援・御協力を宜しくお願い致します。