【2】 各地裁判のたたかいの報告(基地騒音)
〔3〕 普天間基地爆音訴訟
弁護士 加藤 裕
1 対基地司令官訴訟
普天間基地爆音訴訟において,これまでの基地爆音訴訟で初めて当該基地司令官個人に対しても爆音被害の損害賠償を請求してきたことは,すでに報告している。対司令官訴訟については,地裁での審理から分離され,地裁,高裁と請求棄却の判決がなされていたが,最高裁は,2006年2月28日,上告棄却及び上告不受理の決定をなした。
対基地司令官訴訟の試みはこれでとりあえずはいったん決着をみることとなったが,現在は,別の取り組みを開始している。対国の訴訟における立証計画のうちに,普天間基地司令官の証人尋問を組み込み,呼出をさせようというものである。
普天間基地については,嘉手納基地と同様,1996年3月28日の日米合同委員会で,「普天間飛行場における航空機騒音規制措置」が合意されている。この合意では,午後10時から午前6時までの飛行は「必要な最小限に制限される」とされるほか,飛行場の場周経路はできる限り人口稠密地域をさける,日曜日の訓練飛行は差し控える,地域社会にとって特別に意義のある日は訓練飛行を最小限にするよう配慮する,午後6時から午前8時までのエンジンテストは運用上の能力もしくは即応体制が損なわれる場合を除いて行わない,等々の取り決めがされている。ところが,現実にはこのような合意は米軍に対して努力義務を課したのみに過ぎず,極めて安易に軍事上の理由といって破られているのが実状である。
国は,防音工事や周辺対策などを行って騒音軽減に努めていると主張してきているが,もちろんその主張には,上記の騒音規制措置の合意も含まれている。そうであるならば,このような騒音軽減の努力がどれだけ実効性のあるものかについて問われなければならないであろう。また,ラムズフェルド前国防長官でさえ,普天間基地を視察したときに危険と指摘せざるをえなかったにもかかわらず,米軍自身が米国内の米軍基地での環境配慮といかに異なるダブルスタンダードで海外基地を運用しているのか,についても問われなければならない。
2 訴訟の進行について
国に対する差止及び損害賠償請求訴訟は,2002年10月の提訴以来,17回の弁論を経て,双方の主張は基本的に出そろった。途中に同じ裁判体で新嘉手納爆音訴訟での不当判決が出されたためにその裁判体に対して忌避申立をして7ヶ月余り進行が停止した期間もあり,約4年余りが経過した。
このような状況下,現時点で裁判所は,早期に集中的な証拠調べに入ることを双方に提案してきている。裁判所の案では,2007年4月以降夏ころまでの間に,毎月2回程度の証拠調べ期日をもち,証拠調べを終了させようというものである。弁護団としては,集中的な証拠調べにより早期の判決を得ることは普天間基地の早期閉鎖のためにも大きな力となることから,今年は集中的に取り組み,早ければ来年3月ころまでの一審判決がなされるよう努力していく予定である。
3 普天間基地閉鎖への展望
1996年12月のSACO最終合意による普天間基地の返還決定から10年が経過したが,現在においても普天間基地の運用の実態には何ら変化はない。
2006年11月の沖縄県知事選挙の一つの重要な争点は普天間基地の閉鎖であったが,同選挙では,普天間基地の3年以内の閉鎖と名護市辺野古崎のキャンプ・シュワブ沖への移設を掲げた仲井真知事が当選した。現在の閣議決定では,辺野古沖合の海上案は翻され,キャンプ・シュワブの陸域から海上にかけた場所に予定地をずらし,さらに周辺集落の上空を飛行しないために着陸用と離陸用の2本の滑走路をV字形に設置する計画とされている。沖縄県や名護市は,この案に基本的に賛成しつつも,騒音等の危険を主張し,沖合への若干の移動などの修正を求めており,政府と地元の調整が進められている。しかし,いずれにしても,この地域に米軍基地を新設することは,沖縄県内の基地強化以外の何物でもないばかりか,V字滑走路を設置しても,周辺地域に爆音被害を被らせない保証はまったくない。このため,沖縄県内では依然として普天間飛行場の県外への移設の世論が圧倒的多数である。普天間基地の移設をめぐる動きはまだまだ紆余曲折が予想される。
ただ,皮肉なことに,イラクでの戦況の悪化のため,在沖米軍も同地に多く派遣されたままであり,現実には普天間基地所属のヘリコプターのほとんどは同基地を留守にしているのである。移設なき普天間飛行場の閉鎖も十分検討すべき状況にあるといえる。