公害弁連第36回総会議案書
2007.3.21  東京
【1】 基調報告
第2  公害裁判の前進と課題
6  水俣病のたたかいの前進と課題
(1)  水俣病をめぐる闘いの概観
 水俣病をめぐる闘いは,1996年5月22日の政府解決策を踏まえた裁判所における和解を経て新たな段階に移った。その後,2004年10月15日,最高裁判所は水俣病における行政の賠償責任を断罪し,感覚障害だけの水俣病を認めた。そして,この判決後水俣病の認定申請を求める人が続出し,2005年10月3日ノーモアミナマタ国賠訴訟が司法救済制度による解決を求めて熊本地裁に提起された。
 こうした中で,今年は水俣病公式確認51年目を迎え,1996年の解決の意味を踏まえて水俣病問題の解決がどうあるべきかを示す中で,水俣病被害者の要求に沿った解決ができるかどうかがますます重要な課題となり,鋭い対決点となっている。
(2)  水俣病被害者をめぐる状況
ア  水俣病関西訴訟最高裁判決の二つの側面
 2004年10月15日,最高裁判所は水俣病関西訴訟最高裁判決を言渡した。
@  この判決は,感覚障害だけの水俣病を認めたことのほかに,行政(国・熊本県)に賠償責任を認め,1995年12月15日の水俣病政府解決策の法的根拠を与え,かつ熊本や鹿児島で水俣病をめぐる認定申請や提訴を促した点で高く評価されるものである。すなわち,この判決は水俣病患者の闘いの正当性を認め,これを大きく鼓舞した最上級審の確定判決である点で歴史的に高く評価されるべきである。
A  しかしながら,この判決は,司法認定と行政認定の水俣病というダブルスタンダードを容認するがごとき事態を認めたこと,さらに除斥期間を認めたことなど水俣病患者救済を図る上で環境省やチッソの責任逃れを許す弱点も持っているものである。すなわち,この判決が,環境省に行政救済システムの変更を拒否する口実を与えたこと,チッソに除斥期間など責任逃れをする口実を与えた点で,水俣病患者の闘いに新たな試練を与えたものである。
B  なお,この判決が行政の責任の範囲をチッソの4分の1程度としたことについて,チッソがこれを分社化論に取り入れて,患者補償をするチッソを全体の4分の3の補償をした時点で倒産させるという衝動を持っていることには十分警戒を払う必要がある。
イ  1995年12月15日の政府解決策の二つの側面
 水俣病全国連を中心とする水俣病患者の闘いが,政府解決策を引き出し,1977年に打ち出された水俣病患者大量切り捨て政策を転換して水俣病被害者を救済したことは,水俣病患者が「生きているうちに救済を」強く求めていたことからして評価されるべきことは当然である。まさに,どんなによい解決でもお墓に布団をかぶせるようなものであってはならないからである。
 この政府解決策があったから,最高裁判所は関西水俣病訴訟において判決を下したものである。なお和解に関して,友納治夫元裁判長は「私共が試みた和解協議の中で,病像論にしても責任論にしても,先ほど申し上げた意味で少し引いた姿勢を裁判所がとった,そして国の政治決着の中で,やっぱりそれらの点をはっきりさせていない,これはもし何か関連があるとすれば大変遺憾だなと思うわけで,そのことが現在も尾を引いているとすれば大変不幸なことだと思います」(「水俣病救済における司法の役割」花伝社102頁)と発言している。これは,司法救済システムと政府解決策の関係を考えるにあたって示唆に富む見解であろう。
 司法救済システムにあっては,行政が任意に参加しない場合には和解による司法救済システムは現行制度としては実現不可能になるおそれがあり,この場合に司法救済システムをどのように構築するかが大きく検討されるべき課題である。最高裁判決ででも環境省が動かない事実をどのように評価し,突破していくかが改めて問題となっている。
 特に,最近,トンネルじん肺根絶訴訟で東京・熊本・仙台地裁での三つの判決,原爆症認定訴訟で大阪・広島地裁での二つの判決,C型肝炎訴訟での大阪・福岡地裁の二つの判決,中国残留孤児訴訟での大阪地裁での判決などで勝訴判決を得ても,厚生労働省が控訴して解決を引き延ばす例が増えている。
 この点では,行政の姿勢を変えていく世論を背景にした粘り強い闘いを展開するとともに,アメリカのクラス・アクション制度も見据えた,迅速かつ大量救済をも可能にする判決を活用した方法をも含め検討すべきであろう。
ウ  水俣病被害者をめぐる新たな状況
 水俣病第3次訴訟の時点では,藤野糺医師等は現地の医師会からも疎外され,ニセ患者製造機のような中傷を受けて来た。しかしながら,政府解決策以来,水俣市・芦北郡医師会は水俣協立病院の医師を会員として受け入れ,医学的にもその成果を評価するなど大きな転換を示している。こうした中で,多くの医師が水俣病の診断書を書くという新たな事態も生まれている。
 また,水俣病公式確認五十年事業で,水俣市民の中にも大きな変化が生まれている。06年3月12日は「水俣病五十年フォーラム」では友納治夫元裁判長,大石利生ノーモアミナマタ訴訟原告団長が報告者に名前を連ねた。また,出版事業では水俣病裁判の役割が大きく見直されるというあらたな状況も生まれている。
 こうした中で,医学者などが水俣病認定審査会委員になることを拒否する新たな動きも起こり,国の認定行政に対する国民的怒りが大きく広がった。
 また,熊本県が2004年11月に独自の解決策を打ち出し,中でも不知火海沿岸全住民を対象とする47万人の健康調査を検討していることや,環境大臣の私的諮問機関であった水俣病懇談会が,水俣病の認定基準をめぐって環境省の意図とは違う独自の答申を出そうと努力したことなどは,かつてなかった新たな動きである。
(3)  水俣病被害者の新たな闘い
 こうした中で,最高裁判決後,熊本・鹿児島・新潟で新たに水俣病認定申請者が合計で4855人も名乗り出て,さらにこれとは別に7269人が新保健手帳の交付を受けるなど,水俣病被害者の闘いは全く新しい歴史的段階を迎えているものである。
 この闘いの中で,1100人を超える水俣病被害者が国・熊本県・チッソを被告に新たに裁判まで提起したことは全く予想をはるかに超える被害者の闘いが起こっている事を示している。この裁判の動きはノーモアミナマタ国賠訴訟の範囲を超えて,いくつかの患者団体にも大きく広がろうとしている。
 こうした闘いに対して,九州弁護士会連合会は「水俣病被害者放置は人権侵害」と国,県などに警告しており,水俣病被害者の闘いを大きく支持するものになろうとしている。
(4)  加害企業チッソ・国・熊本県などの動き
ア  熊本県の動き
 最高裁判決直後04年11月,熊本県は水俣病解決の提案をして前出の不知火海沿岸住民47万人の調査を提案し,鹿児島県も認定審査会委員への働きかけをやめるなど地方自治体に国の水俣病政策への不信感が表明された。  ちなみに,熊本県は,総合対策医療事業は国と県で費用を折半していたが,平成18年12月に総務省から特別交付税を交付され,これにより国75%,県25%となった。但し,最高裁判決以後の新保健手帳では国80%と県20%となっている。
イ  環境省などの動き
@  水俣病被害者救済問題
 しかしながら,環境省は現行認定基準による行政認定制度をあくまでも転換しないとする政策を継続しており,新保健手帳による押さえ込みが出来ないとなると,いわゆる第2の政治決着路線を模索している。これは,政府与党の動きとも連動した動きである。すなわち,07年度の政府原案では,水俣病対策費として36億1800万円(前年度比38.2%)が計上された。この中には,与党水俣病対策プロジェクトチーム(PT)が実施を決めた調査費8億円が含まれている。与党PTは第2政治決着に向けこれを基に,救済対象になりうる人数や症状,日常生活の支障などを把握し,救済内容を検討するものである。これは,(1)認定申請者らを救済する姿勢を打ち出すことで,熊本・鹿児島の認定審査会の前委員を説得し,(2)チッソに救済策実施に伴う費用負担を求める説明材料とする狙いもある(06年12月20日熊日夕刊)。
 この調査は,対象者を認定申請患者・保険手帳交付者で,時期は本年4月から10月,実際の調査は熊本・鹿児島・新潟に委託する。6月中に中間報告をまとめ救済策策定の材料とし,7月以降の調査は救済策の具体案作りに反映させる。調査は全員を対象に月1回のアンケート調査,5%については無作為抽出でサンプル調査,アンケート調査票の内容は水俣病に特徴的な神経症状や日常生活での身体能力・支障の程度・季節的変化など。調査の謝礼は五千円,経費は一人月6千円となっている(2007年1月12日熊日夕刊1面)。
A  水銀問題
 ところで,中国やブラジルなどの発展途上国で金を採掘する際に使われ環境中に放出される水銀は,世界の総水銀排出量の3分の1に当たる年間1千トンに達し,最大の水銀汚染になっているとの国連の報告書が明らかになった。これに対し,原田正純教授は「水俣病を経験した日本は,診断や予防,対策面で世界をリードすべきだし,世界の期待も大きい。だが,(患者認定などで)水俣病の範囲を出来る限り限定しようとの国内の動きが影響して,期待に後れを取っておらず,このままでは世界に後れを取ってしまう」(2007年1月20日熊日)と述べている。  日本は2006年236トンの水銀を輸出している。日本は水銀を産出しないので,これらは日本国内で回収・保管されていたものであり,イラン,香港,インドなどに輸出されている(2007年1月28日熊日)。
 ちなみに,環境省は2007年1月から沖縄本島にある国立環境研究所辺戸岬・エアロゾル観測ステーションで,中国やインドの石炭火力発電所などからのガス状・粒子状の水銀およびその化合物を観測する。これは,米・カ・伊・日の国際研究で経済発展を続ける中国・インドの大気汚染を観測し,水銀移動モデル図を作ることなどに目的がある(熊日2007年1月3日)。
 しかし,これらは自国の水銀汚染被害についてきっちり調べることをせず,水銀汚染を世界に広げるもので,さらにアジア地域の経済成長による環境汚染だけを問題にするのであれば,自国はおろか世界の環境破壊に対するする無責任な態度に過ぎない。
B  チッソなどの動き
 チッソは,これまで経済的な発展を担うチッソと患者補償などを担うチッソとの分社化論を探ってきたが,今回ノーモアミナマタ国賠訴訟の場で一次訴訟以来時効や除斥期間を主張した。
 すなわち,チッソの裁判上の主張の要旨は(1)原告の多くは1995年の政治決着前から感覚障害を自覚しており,既に消滅時効期間の3年が経過している。(2)原告の症状が,提訴から20年前の85年10月3日以前に発生していた場合,損害賠償請求権がなくなる除斥期間が経過している,とするものである。チッソは水俣病第1次訴訟以来初めて時効を持ち出したもので,これは分社化論同様チッソの責任逃れにすぎず,許されないものである。
 わが国では石炭やトンネルじん肺など消滅時効や除斥期間論に逃げ込もうとする企業と厳しく闘い,多くの成果を勝ち取ってきた。いま,こうした闘いの歴史に大きく学んでいくことが強く求められている。
(5)  水俣病50年をめぐる動き
 昨年1月12日は,チッソが創立されてから100年,5月1日は水俣病公式確認から50年であった。
 小泉純一郎首相(当時)は,4月28日,おわびと環境保全,再発防止への決意を示した談話を発表した。衆参両院は「悲惨な公害を繰り返さないことを誓約する決議」を採択した。熊本県議会,水俣市議会も早期の被害者救済や患者認定基準の見直し。被害地域の再生・振興を求める宣言・声明を発表した。しかし,小泉首相は慰霊式に出席せず,政府は水俣病の判断条件の変更にも応じていない。
 これに対し,水俣病被害者の会や水俣病訴訟弁護団も参加した行政が主体の「水俣病公式確認五十年事業実行委員会」(会長宮本勝彬水俣市長)は,昨年3月12日にフォーラムを開催し,田中昭一元衆議院議員,大石利生ノーモアミナマタ訴訟原告団長や友納治夫元福岡高裁裁判長も報告した。また,写真展も開催され,裁判をめぐる闘いも紹介された。上記実行委員会が母体となった編集委員会は109人が執筆した「水俣病の五十年」が発行した。この中には約4分の1の人たちが第1次から3次に至る水俣病裁判,新潟の裁判に関して執筆した。これは正面から水俣病の歴史を捉えようとする全く新しいうごきであった。
 さらに,水俣病訴訟弁護団は,6月11日「水俣病における司法の役割」シンポジュウムを行い,8月には友納治夫元福高裁判長,相良甲子彦元熊地裁判長も関与して「水俣病救済と司法の役割」を発行した。
 以上は,水俣病の歴史における司法の役割を大きく評価したものであり,歴史に長く記憶されるであろう。
(6)  水俣病救済と司法の役割
 環境省は,認定基準の変更を拒否し,07年4月から8億円の予算を使って水俣病認定申請者などの調査を行い第2の政治決着を目指し,着々と準備をしている。
 また,07年1月15日,熊本県とで同県水俣病認定審査会前会長岡島透は,今年3月に認定審査会を再開する方向を明らかにし,現行の認定基準を変えないで,救済できないものは与党PTの第2の政治解決に期待するとしている。岡島透は「最高裁判決時と状況が大きく変わった。懇談会が現行基準を一応認めるという認識の下に恒久的な救済策と審査会再開が必要と提言,昨年12月与党PTが新たな救済策を示した」と言明した(2007年1月16日熊日)。国の公害健康被害不服審査会から熊本県の認定申請棄却処分を取消す裁決を受けた緒方正実氏が「私の訴えが何らかの形で審査会の再開に影響したのであろう」(2007年1月16日熊日)と分析するが,まさに熊本県が審査会再開に応じた最大の理由であろう。しかし,そのことと第2の政治決着が連動するとなれば加害者の責任で水俣病として裁判所で救済されたいとする水俣病患者の要求に反するものであり,絶対に許してはならないものである。
 これに関して,伊藤祐一郎鹿児島県知事は「認定基準の整理がついていない現状では委員委嘱の了解を得るのは難しい」(同上熊日),泉田裕彦新潟県知事は「国と最高裁判決の基準による場合は『最高裁の基準に沿って救済されるべき』と思う」(同月25日熊日)との発言が相次いだ。
 要するに,環境省はあくまでも,認定基準を変えずに,司法救済制度も拒否して,第2の政治決着(行政救済制度)で裁判外での安上がり解決を図り,水俣病患者の切実な要求を抑え込もうとしているものであり,今年はこれとどう闘うかが歴史的に問題になっているといえよう。
 特に,裁判では公開される水俣病被害者の情報について,与党PT・環境省はアンケート調査等で得た資料の原本を公表せず,自らの低額・切り捨て路線に過ぎない第2の政治解決策の切り札にしようとしており,この調査の危険性を広く水俣病被害者が認識し,情報の独占をさせないことが重大な対決点となるであろう。これに対して,本年1月28日不知火原告団は環境省の調査を拒否する方向を明らかにした。さらに,いくつかの患者団体もこれに続いている。
 すなわち,司法を武器にこの国の公害被害者を救済する制度を確立するためには,和解手続だけでなく,判決制度も活用して,早期かつ大量に水俣病被害者を救済する裁判上の仕組み(運用)を実現していく闘いが今こそ大きく求められているといえよう。
 さらに,再開された水俣病認定審査会が現実的な機能をほとんど果たさないのであれば,不作為の違法確認や待たせ賃訴訟をも含めて水俣病被害者の怒りを組織していくことが求められている。
 今後,水俣病患者の闘いを全国的に展開することも含め水俣病問題の抜本的な解決が大きく求められている。