公害弁連第35回総会議案書
2006.3.18  大阪
〔2〕 水俣病公式確認50年にあたり、水俣病問題の完全解決を目指して
水俣病訴訟弁護団 事務局長 弁護士 板井 優


1 はじめに
 水俣病被害者・弁護団全国連絡会議(水俣病全国連)が、1995年12月政府解決策を引き出して12,000人以上の水俣病患者の救済を図り、1996年5月21日・22日に福岡高裁などで勝利和解を勝ち取ってから今年で10年になろうとしている。
 その後、2004年10月15日最高裁は水俣病関西訴訟において、感覚障害だけの水俣病を認めたうえで、損害賠償はチッソの4分の1の限度ではあるが国・熊本県の責任を断罪した。
 この最高裁判決をもたらしたものは、もちろん政府解決策を引き出して実質的に行政の責任を明らかにし、感覚障害だけの水俣病患者を救済させた水俣病全国連の闘いにあることは疑いがない。しかしながら、その後、3,600人を越える人たちが新たに水俣病の認定申請を行い、裁判も始まった。
こうした時期に、今年は水俣病公式確認50年を迎える。水俣病問題の完全解決を目指した闘いがいっそう強く求められている。

2 新たに始まった水俣病をめぐる闘い
 2005年10月3日、水俣病不知火患者会の50人が熊本地方裁判所に対し、ノーモアミナマタ国倍訴訟を提起した(原告団長大石利生)。この裁判は現在追加提訴を行い、公害弁連総会までに4次提訴をへて876人になろうとしている。さらに、鹿児島県においても新たな弁護団(団長増田博弁護士)が編成され、裁判の準備も始まっている。
 これらの水俣病被害者が立ち上がったのは、直接的には2004年の最高裁判決がきっかけとなっている。しかしながら、環境省は1977年の水俣病の認定基準を変更しないと言明し、さらに熊本県や鹿児島県(新潟県では最近構成された)では認定審査会を構成できない中で、これらの認定申請患者の中から裁判所に救済を求めて立ち上がったものである。
 熊本県は、2004年11月最高裁判決直後に「今後の水俣病対策について」とする方針を明らかにした。中でも熊本・鹿児島両県にまたがる不知火海沿岸に住む47万人の健康調査をすべきとの提案を環境省にしたが、環境省はこれを拒否した。2005年10月に水俣病でないことを前提に一定の症状がある者に医療費の自己負担部分を補助する「新保健手帳」手続きを開始した。この新保険手帳により、環境省は、新規認定患者は水俣病ではないとして、医療費だけの問題に閉じ込めようとしたものである。
 しかしながら、この方針は現在挫折したことが次第に明らかになっている。すなわち、本年2月13日現在、水俣病の認定申請を取り下げて新健康保険手続きを取ったものはわずか192人に過ぎない。それどころか、新保健手帳の申請者は1,932人であり、水俣病被害が本当に深刻であることが一層明らかになった。要するに、環境省の新保健手帳は、一方で水俣病としての補償を求める人たちが裁判にまで訴えているという事実と、水俣病ではないかと不安を持っている人たちが、相当多数いることを広く明らかにしつつあるのである。
 こうした環境省の対応に、環境大臣の私的諮問機関である「水俣病問題に係る懇談会」では、水俣病認定基準に触れないで答申することは「茶番」との意見まで出て、従来の諮問になかった「被害救済」まで今後の主要論点にするとした。  これに対し、今年2月9日、自民党水俣病問題小委員会は環境省に、熊本・鹿児島両県の認定審査会を今年5月1日までに再開するように要請し、これを受けた環境省は再開に向けた取り組みをすると言明した。さらに、環境省事務次官は「懇談会発足の趣旨は再発防止にどうすればいいかだ」と同日の記者会見で発言し、懇談会に圧力をかけざるを得なくなった。
 行政がこれらの人たちをちゃんと救済しない中で、今年2月、九州弁護士会連合会(人権擁護委員会)は、これらの認定申請者約2000人(人権救済申立をした水俣病不知火患者会および水俣病出水の会の会員)の実態調査を始め、今年5月にもその結果を公表するとしている。
 ところで、こうした動きの中で、創業100年を迎えるチッソは、水俣病補償を行う会社部門から営業活動をする企業部門を切り離して、禊(みそぎ)を行おうとしている(いわゆるチッソ分社化論)。しかし、これは水俣病における企業の責任を回避するものであるばかりか、補償金負担を行政に求償しようとするものである。
 このチッソ分社化論は自民党環境部会で検討していることが、2004年11月に報道されたが、その震源地はチッソそのものであり、環境省の高級官僚も巻き込んで創立100年である今年に実現を強行しようとしている。
 こうして、水俣病問題をめぐる闘いは、全ての水俣病被害の実態を明らかにして適正な補償を実現するかどうかという点で、改めて解決を迫られている。

3 水俣病公式確認50年
 今、中国は空前の高度成長下にある。昨年7月から9月までの中国の国内総生産(GDP)は9.4%と公表されているが、同時に中国では深刻な公害・環境破壊が起こっているとも伝えられている。ところで、「週刊東洋経済」2006年1月28日号は「そこが知りたかった中国の新事実」を特集し、「アジアを蝕む環境破壊大国」で環境問題について述べている。その中で、ジェトロアジア経済研究所の大塚健司研究員は、地元民から「水俣病の経験は知っている」と言われ驚いたとして、「日本の公害対策が飛躍的に進んだのは、・世論形成とその力、・司法の独立、・環境対策のインフラの3つが有機的に関連し、政府・企業が対策を推し進めたから。だが、このどれもが中国では脆弱だ。」と述べている(56頁)。
 確かに、現象的にはそのようにも言えるが、わが国の公害対策・環境保全の力は、まさに公害被害者と弁護団と支援が一体となり、裁判所の勝訴判決をテコに国民世論を味方につけて闘ってきたところにある。そして、この力が企業や政府を動かしてわが国の公害根絶・環境保全の上で相当の成果を上げているものである。これは、水俣病の闘いでも然りである。
水俣では今年、水俣病公式確認50年を迎える。私たちは、こうした時期にあたり、水俣病を始めとするわが国の公害問題を解決してきた力が今や憲法上の司法制度の果たしてきた役割でもあると考え、今年6月4日(日)午後1時に水俣市文化会館および「もやい館」で、「水俣病問題と司法の役割」のテーマでシンポジウムを開催する。
 シンポジウムは、これまでの水俣病裁判に関与してきた水俣病全国連(現在解散)に加わった各地弁護団を中心に、現在当面する水俣病問題と、さらに水俣の経験を通じて広がったヤコブ、ハンセン、HIV、川辺川などの経験も含めて、問題解決における司法の果たした役割を明らかにするものである。なお、このシンポの成果は報告書として出版する予定である。
 このシンポジウムは、水俣市長が実行委員長となっている水俣病公式確認50年実行委員会の関連事業として企画しているが、内実は全くの独自企画である。現在、公害弁連で水俣病に関わった弁護団を中心に企画が詰められている。
 水俣では、ここ数年、水俣市の山間地に巨大産廃処理場を作ろうという動きがあった。昨年4月1日、水俣病訴訟弁護団は産廃施設予定地を現地調査し、市民運動と連携を図った。さらに、昨年4月30日、ノーモアミナマタ環境賞は市民団体に贈呈された。今年2月5日産廃問題を争点にして水俣市長選が戦われ、産廃建設に反対する宮本氏が大差で当選した。この選挙の中では改めて、水俣湾の水銀ヘドロ埋立地について、「我々は海の産廃処理場は許したが山の処理場は許さない、これが水俣病の教訓だ」ということが合言葉となった。
 水俣病第三次訴訟を審理した福岡高裁で、水俣病の解決に尽力した友納治夫裁判長は、現在東京第一弁護士会に所属する弁護士として活躍中であるが、今年3月12日に行われる俣病公式確認50年実行委員会(委員長、水俣市長)主催の「水俣病50年フォーラム」で、「水俣病問題と司法の役割」のテーマで発言する。
 私たちは、この成果を国内外に広く伝えていく課題に、今後とも応えなければならない。