公害弁連第35回総会議案書
2006.3.18  大阪
〔3〕 よみがえれ!有明海訴訟の現状と有明海の再生
よみがえれ!有明海訴訟弁護団 弁護士 堀 良一


1 経過の概要
 好感触はあるのだが,なかなか決定がでない。佐賀地裁の諫干事業差止仮処分をめぐる,そんなイライラ感が高まる中,「これ以上,何人漁民が自殺したら諫干を止めてくれるんですか」と本訴の弁論で漁民が意見陳述したのは,2004年7月のことであった。これを機に裁判所のためらいがふっきれたかのように勝利の差止仮処分決定が出たのは,その翌月の8月26日だった。
 しかし,2005年1月に国の保全異議を退けたものの,5月16日に福岡高裁がこれを覆し,最高裁も漁民側の許可抗告を棄却して福岡高裁を追認した。
 他方,公調委に申請していた原因裁定は年の瀬も押し詰まった2004年12月28日に専門委員報告書の原案が示され,諫干と有明海異変・漁業被害の因果関係に関する科学的解明が大きく前進する中,勝利の原因裁定が下る期待が高まったものの,これもまたなかなか結論が出ないままに時が経過し,2005年8月30日,魚種と漁場を異にする17人の漁民全員の申立を退ける,まさかの不当裁定が下された。

2 因果関係に関する高裁の不当決定と原因裁定
 福岡高裁の不当決定は,因果関係と損害の2点において,漁民側の訴えを退けている。ここでは,原因裁定と共通する因果関係論について紹介する。
 高裁の因果関係の判断は,諫干の影響は「ほぼ諫早湾内に止まっており,諫早湾外の有明海全体にはほとんど影響を与えていない」という国の主張を退け,「本件事業と有明海の漁業環境の変化,特に,赤潮や貧酸素水塊の発生,底質の泥化などという漁業環境の悪化との関連性は,これを否定できない」などと述べながら,他方で,「現在のところ,本件事業と有明海の漁業環境の悪化との関連性については,これを否定できないという意味において定性的には一応認められるが,その割合ないしは程度という定量的関連性については,これを認めるに足りる資料が未だないといわざるを得ない」とするものである。
 民事訴訟における因果関係論については,ご承知のように,最高裁のいわゆるルンバール事件判決がリーディングケースとされている。すなわち,法的因果関係の立証においては,一点の疑義も許さない自然科学的証明は不要で,経験則に照らして全証拠を総合的に検討し,通常人を基準として疑いを差し挟まない程度の真実性の確信を持ちうるか否かという意味での高度の蓋然性があるか否かを問題とすれば足りる。
 福岡高裁の決定が,この決定から大きく逸脱していることは明らかである。そもそも,有明海異変という,潮汐,潮流,成層化,貧酸素,水質,底質,赤潮の発生,海洋構造,生態系など,海洋物理,海洋化学,生物などの学際的な知見が必要とされ,それぞれの環境要因が複雑にからみあい,しかも,それらをめぐるデータの集積すら不十分な分野で,影響の割合,程度といった定量的関連性を求めるのは,まさに「一点の疑義も許さない自然科学的証明」という不可能を漁民側に強いることに他ならない。
 また,自らが設置したノリ第3者委員会が提言した中・長期開門調査をサボタージュしてデータの集積と科学的知見の前進を阻んでいるのは,他ならぬ事業者である農水省である。福岡高裁の決定は,サボタージュしたものが勝ちと言わんばかりである。
 この点は,そもそも漁民側と国の間には「人的にも物的にも資料収集能力に差が存する」,そのような漁民側と国の間にある能力差を全く無視し,漁民側にばかり「自然科学的証明にも近い高度の立証を求めるのは(中略)公平の見地からは到底是認し得えない」と述べ,また,中・長期開門調査が行われないことによって事実上生じた「より高度の疎明が困難となる不利益」を漁民側のみに負担させるのは,およそ公平とはいいがたい,と述べた佐賀地裁の仮処分決定とは全く正反対の判断であり,どちらが公平で妥当かは誰の目にも明らかであろう。
 原因裁定の不当性も,高裁におけると同一である。
 たとえば,ノリ養殖業の不作をもたらした赤潮の発生について,原因裁定は,ギロチンと呼ばれた潮受堤防の締切以後に赤潮が大規模化・長期化している事実は認めながら,「赤潮の発生及び増殖の機構については,なお相当に未解明な部分が残されている」などとして因果関係を否定し,被害と事業との時期的一致や,専門委員意見書などにおける科学的に説明可能な赤潮発生機序に関する研究の到達点などに関する証拠の総合的検討ではなく,もっぱら自然科学的証明の厳格さにおいて因果関係を否定しているのである。
 こうした福岡高裁の決定や原因裁定のような自然科学的に厳格な証明を要求されると,それは越えることのできないハードルとなって,この種の環境訴訟において,常に被害者側は不可能を強いられることになる。

3 困難ななかでも勝ち取られた漁民側の到達点
 このような政治的ともいえる不当な判断を受けながらも,漁民側の闘いは,次のような,重要な成果を勝ち取っている。
(1) 影響は諫早湾内にとどまるという国の主張は福岡高裁も原因裁定もさすがにこれを認めることができず,不当決定ではあっても,それを通じて,有明海異変の原因として諫干を無視できないことが明らかとなった。
(2) 佐賀地裁はもちろん,福岡高裁,原因裁定のいずれもが,調査の必要に言及せざるをえなかった。福岡高裁に至っては,国は「ノリ不作等検討委員会が提言した,中・長期の開門調査を含めた,有明海の漁業環境の悪化に対する調査,研究を今後も実施すべき責務を有明海の漁民に対して一般的に負っている」とまで述べざるをえなかった。
(3) 原因裁定においては,専門委員報告書によって有明海異変・漁業被害の解明に関する科学的到達点が前進した
(4) 地元自治体・議会が佐賀地裁を支持して賛同決議をあげ,佐賀,熊本,福岡の各漁連が中・長期開門調査を要求しつづけるなど,マスコミも含め,いまや中・長期開門調査を実施しないままの事業継続は世論の支持を受け得ない状況にある。
(5) 佐賀地裁の仮処分によって工事が中断したため,工期が伸び,これによって2006年度の時のアセスが避けられなくなり,ふたたび諫干は事業の合理性について検証されることとなった。

4 ますます深刻化する漁業被害と漁民の反撃
 漁民は,福岡高裁,最高裁の不当決定,原因裁定にもかかわらず,決してくじけてはいない。それは漁業被害がもはや一時の猶予も許さないほど深刻化しており,ここでくじけてはいられないからである。
 タイラギなどの潜水漁業は,長年にわたって漁が中止されたままである。漁船漁業は,次々に対象漁を変えてしのいでいたが,もはや,捕る魚がいない。ノリ養殖は,養殖業であるから人為的な努力でかろうじて形をなしていたが,今や,人為的な努力だけではいかんともしがたく,好条件の気象頼みという,文字通り天に任せるといった有様である。
 福岡高裁が因果関係を否定し,毎日のように海に出ている漁民の実感と合わない判断をしたばかりか,ノリ養殖業についてノリの収穫枚数の推移によって被害を否定したとき,漁民の怒りは爆発した。以前なら収穫もせずに放置していた質の悪い買いたたかれるノリでも,製品にして売らざるをえないノリ漁民の必死の延命の努力を逆手にとったからである。
 そうした漁民の怒りは,高裁決定後の爆発的な原告数の増大に表れている。
 原告数は,それまでの882名から高裁決定後のわずか半年の間に2533名と約3倍に膨れあがった。増加した原告数1651名中,漁民原告が1252名であり,急激な増加の大半を占めている。
 このことは,福岡高裁も最高裁も原因裁定も,現場の漁民を納得させることができず,この紛争の解決に役立たなかったばかりか,あまりにも杜撰で冷酷な判断に漁民が怒りをもって立ち上がることを促し,かえって紛争を激化させたことを示している。役割を放棄した司法に対する痛烈な批判というべきであろう。

5 時のアセスに向けて有明海再生の転換点を
 漁民側は,今,佐賀地裁に再び,開門,調査,事業の凍結を求める新たな仮処分を提起し,差止めの本訴とともに戦っている。
 2006年5月ころからは,いよいよ時のアセスが行われる。他方,このままでは,工事もまもなく終了する。
 待ったなしの有明海漁業の深刻な被害に終止符を打ち,有明海を宝の海によみがえらせるための状況の転換を勝ち取り,有明海再生に向けての大きな一歩を踏み出すか否か,いよいよ2006年は正念場の年である。