【2】 各地裁判のたたかいの報告(ダム・干拓問題)
〔1〕 歴史的転機を迎えた川辺川ダム問題
川辺川利水訴訟弁護団
事務局長 弁護士 森 徳和
1 はじめに
川辺川ダム建設計画は、球磨川の氾濫による洪水被害が流域の熊本県人吉市に続発したことを受けて、1966(昭和41)年7月、旧建設省が発表した。当初、最大支流の川辺川に治水目的のダムを建設する計画であったが、その後農業用水を確保する利水事業や発電も加わり、多目的ダムに変更された。
2008(平成20)年、計画発表から42年目を迎えた川辺川ダム問題は、歴史的転機を迎えた。
2 川辺川ダム計画の白紙撤回
(1) 熊本県知事選挙の結果
潮谷義子知事は、2007(平成19)12月、定例県議会で知事選挙には出馬しない意向を表明した。これを受けて県知事選挙は、元消防庁次長、前相良村長、前熊本県地域振興部長、元衆議院議員及び蒲島郁夫前東大教授の5人の候補者が立候補する乱戦となった。5候補のうち、蒲島候補を除く4候補は川辺川ダム反対の立場をとり、蒲島候補は第三者機関で検討したうえで結論を下すという公約をマニュフェストに掲げた。過去の県知事選挙では川辺川ダム推進を公約に掲げた候補が必ず立候補し、推進派の候補が1名も存在しないことは異例の展開となった。
2008(平成20)年3月23日の選挙の結果、蒲島候補が当選し、当選後の記者会見で推進か中止か9月までに政治決断するとの考えを示した。
(2) 有識者会議による検討
蒲島知事は、4月30日、川辺川ダム建設の是非を判断するための第三者機関(有識者会議)のメンバーを発表した。有識者会議は、河川工学、気象学、森林生態学などの専門家からなる委員8名に外国の河川工学の専門家1名をアドバイサーとして加えた9名体制で検証作業を開始した。
有識者会議(座長金本良嗣東大公共政策大学院長)は、8月22日に開催された最終会合で報告書を承認した。報告書は、球磨川流域で抜本的な洪水対策を講じる場合、大きな流量を処理できるダムを用いた対策に一定の理解を示した。そのうえで、ダム建設の際には環境に与えるリスクへの配慮を求め、環境への影響を軽減できる技術導入を検討することを要求した。その一方で、「ダムが環境に及ぼす負の影響を重視し、ある程度の水害は許容し、河川掘削などの方法を工夫してダムを造らない対応もある」と指摘した。記者会見の席上で、金本座長は、「ダム容認なのか」という質問に対して、「ダム容認でも両論併記でもない」と繰り返し、報告書の曖昧な性格が浮き彫りになった。
その結果、川辺川ダム建設の是非に対する判断は、蒲島知事の政治決断に委ねられることになった。
(3) 荒瀬ダム撤去方針の凍結
蒲島知事は、6月4日の定例記者会見の席上で、県営荒瀬ダムの撤去方針を凍結し、発電事業を継続する方向で再検討することを表明した。
県営荒瀬ダムについては、2002(平成14)年12月、潮谷知事が撤去方針を表明して、全国初のダム撤去事例として注目を集めた。その後、撤去方法を検討する荒瀬ダム対策検討委員会が会合を重ね、地元住民に対する説明会も行われてきた。地元住民は、突然の凍結表明に「球磨川に清流が戻るのは既成事実なのに」とショックを隠し切れず、波紋が広がった。
川辺川ダム建設に反対を唱える住民グループは、蒲島知事の凍結表明に対して川辺川ダム問題への影響を懸念した。
(4) 流域自治体の反対表明
8月29日、徳田正臣相良村長は、川辺川ダム建設計画について「現時点では容認し難い」として反対を表明した。
徳田村長は、反対の理由について、川辺川ダム計画は多目的ダムとされながら利水、発電が目的から外れ、さらに国が穴あきダムまで示したことを挙げ、国の意思が一貫しておらずダム建設自体が目的となっているようでおかしいと説明した。そして、相良村民は、容認し難いという人が多いと思うと述べ、村民の世論が反対表明の背景にあることを明らかにした。
9月2日、田中信孝人吉市長は、定例市議会本会議の冒頭で、川辺川ダム建設計画について「計画そのものを白紙撤回すべき」と反対表明を行った。
田中市長は、反対の理由について、昭和48年の水害体験者の多くは市房ダムの放流が重なり被害が起きたとして、ダムによる治水に大きな危惧を抱いていることを強調したうえで、一昨年の鹿児島県川内市の大洪水を例として挙げ、想定以上の降雨量のとき洪水にダムが対応出来ないとすればかえって危険になるとの考えを示し、自然災害を減災するという考えで、様々な防災対策を組み合わせて講じることが大切と表明した。さらに、人吉市が実施した市民の意見を聞く会で80%以上の市民が川辺川ダムに否定的な意見を述べたことも理由に挙げ、人吉市民の世論が背景にあることを強調した。
川辺川、球磨川の流域自治体の首長が相次いで反対表明を行ったことは、蒲島知事の決断にも強い影響を与えることになった。
(5) 蒲島知事の白紙撤回表明
9月11日、蒲島知事は、定例県議会本会議において、「現行計画を白紙撤回し、ダムによらない治水対策を追求すべきだ」と述べ、正式に川辺川ダム計画に反対する姿勢を明らかにした。
蒲島知事は、反対の理由のなかで、ダム事業の根拠となってきた流域住民の生命、財産を守るという点について、洪水対策は建物など個人、公共財産ばかりでなく、「球磨川そのものが守るべき宝」と指摘した。そして、ダムによる治水の最大受益地となる人吉市長が計画の白紙撤回を求めたことを踏まえて、「全国一律の価値基準でなく、地域独自の価値観を尊重することが幸福量の増大につながる」という考えを明らかにし、「過去の民意はダムによる治水を望んだが、現在の民意は球磨川を守っていくこと選択していると思う」とした。
蒲島知事の反対表明直後に、熊日新聞と熊本放送が共同で行った世論調査によれば、85%が知事の決断を支持した。支持者は、環境への影響が大きい、流域住民がダムを望んでいない、県の財政負担が大きいなどの理由から知事の決断を支持していることも判明した。
蒲島知事が、正式に川辺川ダム計画の白紙撤回を求めたことから、国交省は、地元の意思を無視して建設を強行するのが困難な状況になった。
(6) 新たな治水計画の策定
蒲島知事は、10月28日、金子一義国交大臣と国交省で会談し、ダムによらない球磨川流域の治水対策を検討する協議の場を設けることで一致した。その際、金子大臣は、ダムによる水没予定地を抱える五木村については、ダム事業にかかわらず振興を行うことを約束したと報道された。
会談後の記者会見で、蒲島知事は、「計画は白紙になったと思うか」という質問に対して「そう受け止めている」と答えたが、金子大臣は、「私は白紙という言葉は使っていない」と答え、「ダムによらない治水がどこまでできるのか詰めようというもので、それ以上のものではない」と説明して、白紙撤回ではないことを強調した。
その後、国交省九州整備局は流域自治体の首長も含めた協議会の開催を提案したのに対し、熊本県は、推進、反対と対応が分かれる流域自治体の首長を加えれば、協議会は平行線になるとして開催方法に関する思惑の違いが表面化した。
2009(平成21)年1月13日、熊本県庁において、ダムによらない治水を検討する場が設けられたが、冒頭から坂田孝志八代市長が、「安全度を維持せず議論するのは無責任だ」と発言し、流域自治体の首長の意見の食い違いが際立った。
その傍で、国交省は、1月20日、蒲島知事の反対表明や淀川水系の大戸川ダムに対する近畿4県知事の反対表明を受けて、ダム事業全般に関する問題検証チームの初会合を開き、ダム事業を円滑に進めるための方策に関する検証作業に着手した。
3 新利水計画の休止と事業再開への動き
(1) 新利水計画の休止
2008(平成20)年3月、国営川辺川総合土地改良事業の休止に伴い、人吉市に開設されていた農水省川辺川利水事業所は閉鎖され、同省九州農政局(熊本市)の整備部次長が利水事業所長の役割を兼務することになった。
閉鎖に際して記者会見に臨んだ宮崎且所長は、「事業途中で、このような形で一旦事業所が閉じるのは寂しさを感じる」と述べつつ、関係6市町村が意見交換をしながら新たな合意を図ることに期待感を表明した。
(2) 事業再開へ向けた動き
矢上雅義相良村長が、県知事選挙に出馬したために実施された村長選挙では、利水事業推進を公約とした徳田村長が当選した。
これを受けて、6市町村会議(座長内山慶治山江村長)は、相良村を含めた枠組みで新利水計画の議論を開始した。そのなかで、チッソ発電所の導水路から取水する農水省新案を基本に新利水計画を策定することが確認されたが、利水事業が休止になったことから、関係農家の利水事業に対する意欲は低調である。
4 おわりに
改正河川法は、国交省が中短期の治水事業を決定する河川整備計画の策定前に県知事の意見を聞かなければならないと定めている。県知事の意見には、法的拘束力はないが、地元の行政トップの意向を無視して、国交省が川辺川ダム建設計画を推進することは困難である。また、県民世論も知事の反対表明を強く支持しており、地元住民の意思を無視することは出来ない状況である。
今後、ダムによらない治水対策に関する検証作業が進められるが、それ作業に流域住民の意向を反映させめための闘いが求められている。