第四次厚木基地爆音訴訟の提訴
第四次厚木爆音訴訟弁護団 事務局長 石黒康仁
平成19年12月17日午後1時過ぎ、横浜地裁正面玄関前には「平和で静かな空を」、「爆音訴訟に勝利するぞ」とそれぞれ書かれた赤いゼッケンを着けた原告約180名が集まっていた。原告総数6130名による第四次厚木基地爆音訴訟の提訴の日である。
今回は、損害賠償請求だけではなく本来の飛行差止請求をも求め、しかも民事上だけでなく行政訴訟に基づく差止請求をも同時に求めた、新たな新機軸を打ち立てての闘いの始まりである。
厚木三次訴訟は、東京高裁平成18年7月13日付け判決にて、一審原告4854名に対して航空機騒音は受忍限度を超える違法なものであるとして損害賠償が認容され確定したが、裁判所が「被告が厚木基地周辺の被害解消に向けて本腰を上げて真摯な対応を取っているようにはうかがわれない」と判決理由中にて国の不作為を強く非難したにもかかわらず、その後の騒音被害は一向に解消されていない。エンジン推力も増加したFA−18Fスーパーホーネットが新たに配備され、平成19年1月に告示された騒音区域の見直しにあたっては、第一種区域の対象地域が面積にして7700ヘクタールから約1万500ヘクタールに、世帯数にして約14.7万世帯から約24.4万世帯へと大幅に拡大し、対象自治体は新たに茅ヶ崎市も加えて八市となった。
このような変わらぬ騒音被害状況を踏まえて、基地周辺被害住民は、厚木基地爆音防止期成同盟やこれまでの爆音訴訟のメンバーを中心にして、平和で静かな空を求めて新たな訴訟提起をしようとする動きを模索し始めた。これまで昭和51年9月提訴の第一次から昭和59年10月提訴の第二次、そして平成9年12月提訴の第三次と、それぞれの訴訟が常に重なり合い、訴訟だけでなく運動としての継続性が保たれており、これを絶やしてはならないという使命感も当然にあった。住民らは、高裁判決確定の余韻も覚めやらぬ平成18年10月には新たに実行委員会を立ち上げて、原告募集へと動き出した。
このような動きの中で、三次訴訟の弁護団としても安穏としていられず、平成19年1月の新年の集まりでは三次訴訟の反省と四次訴訟へ向けての課題について意見交換し、早くも2月の準備会では弁護団の組織作りや新人弁護士のリクルートなどが話題となり、同時に三次訴訟にはなかった差止訴訟を求める、更には行政訴訟での請求も付加するという方針が次々と決まっていった。
第一次厚木訴訟最高裁判決(平成5年2月25日)では、自衛隊機の差止請求について「自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行使は、その運航に必然的に伴う騒音等について周辺住民の受忍を義務づけるもの」で、周辺住民に対する公権力の行使にあたり、差止請求は、そのような防衛庁長官の権限の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含することになるから、「行政訴訟としてどのような要件の下に、どのような請求をすることができるかはともかくとして」、民事上の差止請求は不適法だと判示されているが、それならば、この最高裁判決に則って、新たに行政訴訟として「どのような要件の下に」、「どのような請求をすることができるか」検討しようというのが弁護団の総意となり、民事差止と行政差止の各チームを作り調査研究活動に入った。差止について民事と行政の二つから攻めて、裁判所の逃げ道を塞ごうという作戦である。
しかしながら、行政訴訟という新機軸を打ち立てたものの、防衛大臣の行政処分行為(権限)や原告適格の問題、更には米軍機の運航を規制する権限など越えなければならないハードルは幾つもあり、白熱したチーム会議が何度となく開かれ、また最近の騒音被害状況の調査(騒音データーの入手と分析)などもあって弁護団の中では、平成20年春までには提訴しようというスケジュールが次第に頭の中を占めるようになっていた。一方、現地では既に広範囲にわたって原告募集活動が始まっており、弁護団メンバーも5月末から手分けして原告応募住民に対する現地説明会に出ていたが、そのような中で、9月末には原告団中心メンバーから年内に提訴したいとの要望が出され、これに押されるように弁護団としても(やむなく?)具体的に年内提訴日を決めて、これに向かって集中的に訴状作りに没頭せざるを得なくなっていった次第である。
本年3月には追加提訴も予定されているが、損害賠償請求訴訟原告6130名のうち、訴訟進行や立証を考えて民事差止原告が58名、同じく行政差止原告が58名(一部重複あり)という代表訴訟の形態をとっているのも特徴的である。いずれも横浜地裁第一民事部に係属することとなり、年末の弁護団と裁判所との協議からして、第一回弁論期日は、本年4月頃に指定されるのではないかと思われる。
本件訴訟の今後の動きに注目していただきたい。