東京大気汚染公害裁判を闘って

東京大気裁判原告団
事務局長 石川牧子

 裁判が終わって間もなく2ヶ月が経ちますが,今でも朝目覚めるとトヨタ前に行かなくてはと思ってしまうことがありますが,あの最後の死闘ともいえる闘は,今でも私の心の中で続いているのでしょうか。
 あの時命と引き換えても世の中に訴えたいと無期限の座り込みを決意したときは,メーカー7社が5億円程度の水準で見舞金などと考えていることを許せなかったからです。
 最後に被告メーカーの責任者を引きずり出して謝罪と償いをさせたかったのは,たび重ねられた交渉の場で患者の苦しみをどのように受け止めていたのか,確かめたかったからです。企業の利益を護るための卑劣な態度に腹の底からの憤りが湧き上がって,自分の身体のことより悔しさが勝って,点滴を打ちながら通った原告もいました。
 雨の中,暑さの中,ボロボロに疲れた体を引きずって,毎日座り込みを続けた
原告団はじめ弁護団の先生方,支援の方々,あの最後のトヨタ前での和解勧告を向かえた日をみな一生忘れられないことと思います。
  私たちの,自動車の排ガスからの大気汚染と,目に見えないものからの被害を訴えて闘い続けたこの裁判は,被害者が決して諦めなかったからこそ,勝ち取れたのだと思います。
 そして患者の苦しみに耳を傾けて,その苦しみをそのまま背負い続けてはいけないと,自分を責め続けていた私たち患者に,被告が責任を果していれば被害を回避できた,これが公害あるということをわからせてくださったのが,弁護団の先生方でした。
 私たち患者が裁判で本当の原告になったのは,一次判決以後のことかも知れません。本当に被害を訴えるということは,自分の身の上に起こったことをありのままに伝えるという,難しくはないけれど勇気がいることです。  私たちが失ったものが,かけがえのないものであると知ったのは,裁判の傍聴を重ね,互いの被害を話し合い,一定の時間を経てはじめて心の中に染み込んだような気がします。
 そんな思いに至ってから本当の被害の訴えができたのではないかと思うのです。原告が本当に勝ちたいと思ったとき,弁護団の先生方に自らの心の奥底からの悲しみや,要求を伝えることができたのだといえます。
 原告に本当に闘う覚悟ができたのを受け止め支えてくださったのは,弁護団と支援の方々でした。支援者が私たちの苦しみや,悔しさを自分のことのように受け止め,一緒に泣いて喜んでくださったことは,何より闘う力になりました。
 原告も,弁護団も,支援のみなさんも,同じ時代を生きる人間として公害を赦してはいけないと,それぞれの立場から精一杯の闘いをしきった,それが東京大気汚染公害裁判でした。そして,その集大成がトヨタ前の無期限座り込み行動でした。
 私がいまだにトヨタ前のことを思うのは,あの感動が忘れられないのかも知れません。
 今,支援連絡会の各地域で報告集会が開かれていますが,それらの会場で闘い勝ち取ったものの大きさを確認し合っているところです。
 裁判所を動かし,東京都を動かし,国に決断をさせ,メーカーの喉元まで迫り12億の一時金を勝ち取りました。
 勝ち取った救済制度と公害対策は,将来の希望です。
 そして,今現在苦しんでいる他県のぜん息患者や,他の公害患者の光明になって欲しいと思います。
 救済を求める患者がいる,それを支えて闘う弁護団と支援者がいる,今この国で希望の灯火がここにはある。
 公害病で闘っている人たちに,希望を持っていただけたらそれは大きな達成感となります。
 そのためにも,闘い取ったものを,さらに被害者の現状に沿った制度へと拡充することが,5年後の見直しに対する最大の防御だと信じています。
 これからも三位一体となって国や東京都と,人間らしく生きるための闘を続ける決意です。
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