四 まとめ
以上,本訴訟における発病,増悪の因果関係について,一般環境における大気汚染の観点を中心に概観した。以上の重要な証拠のほか,欧米,WHOと中心とする世界的な大気汚染物質規制の流れ等もあわせ考えれば,一般環境における健康影響の因果関係は明らかと言わざるをえない。
ただ,以上の証拠を提出しながらも,二次〜五次訴訟において,裁判所は,沿道50メートル以内に居住する原告のみを証人尋問の対象とするという訴訟指揮を行った。この訴訟指揮の不当性及びこれを覆した経過は他の報告に委ねるが,このような訴訟指揮を行わしめた要因については,もう一度検討を行う必要があろう。
しかし一方で,東京高裁は,和解案において,メーカーに対し,一審の判決の基準からすれば三倍以上となる金額を解決金として勧告した。これは道路沿道における因果関係のみしか認めないという枠組みであればあり得ない金額であり,一般環境に関する発病・増悪の証拠の集積を裁判所が無視できなかったことの表れと言うことができる(控訴審においては,沿道居住以外の原告に対して,増悪に関する本人尋問を行った。)。
なお,以上のほか,「疫学的因果関係」の判断の枠組み論,統計学的有意性と疫学調査の証明力に関する問題,短期影響調査に対する被告側の批判等,被告側と鋭く対立した重要な問題は他にもあるが,紙幅の関係で割愛させていただく。
五 残された問題
本訴訟で大気汚染の指標となったNO
2とSPMのうち,SPMについては,東京訴訟の期間中に,ほぼその環境基準が達成されるに至った。
事実上差し止めが実現したわけであるが,これを単純に喜ぶわけにはいかない。まず,もともと日本の基準は欧米と比べて非常に甘い(倍くらい緩い。)。
また,より細かいPM2.5(粒径2.5マイクロメートル以下の粒子)に関する規制が日本にはまだなく,測定すら十分に行われていない。
現在欧米では,PM2.5による環境基準がスタンダードになっている。アメリカ環境保護局(EPA)は1997年にPM2.5による基準を設定し,2007年さらに強化した。WHOも2005年に発表した最新のガイドラインにおいて,PM2.5のガイドライン数値を示している。
翻って我が国における数少ないPM2.5の測定値をみれば,上記の環境基準値,ガイドライン値をいずれも上回っている。PM2.5については,呼吸器疾患ばかりでなく心臓血管疾患との関係を示唆する疫学研究も積み重ねられており,我が国でも早急に環境基準を設定する必要がある。
2007年7月に,「微小粒子状物質曝露影響調査」という形で,我が国でもPM2.5と呼吸器疾患の関係が報告され,新聞等で報道された。また環境省は,「そらプロジェクト」という,PM2.5等と,学童・幼児の健康影響に関する疫学調査を開始しており(その方式に問題はあるが),平成23年には結果が報告される予定である。
大気汚染と健康影響の因果関係の問題については,訴訟上の到達点と問題点は以上のとおりであるが,今後は,以上の到達点を,PM2.5の環境基準の設定,全国規模での救済制度制定への基礎として,どのように展開していくかが重要である。