新横田基地公害訴訟・最高裁判決
弁護士 松浦信平
1 はじめに
2007年5月29日、最高裁小法廷は、国の上訴にかかる「将来請求」について、3対2で、その一部を認容した高裁の判断を破棄する判決を言い渡した。
直前の5月22日に同小法廷は、住民側が上訴した「夜間・早朝の飛行差止」について、上告棄却(及び上告不受理)の決定を行っていた。
1996年4月の第一次提訴から約11年を要した新横田基地公害訴訟は、高裁口頭弁論終結時までの損害賠償の支払いを国に命じる範囲で住民の要求を容れ、差止及び将来請求を棄却するとの結論で、すべて終結することとなった。
2 将来請求についての最高裁多数意見・補足意見
2005年11月30日に言い渡された東京高裁判決(江見弘武裁判長)は、過去の損害賠償について危険への接近論の全面排斥等の前進を見せた他、控訴審口頭弁論終結から判決までの約1年間については、住民の受ける航空機騒音の程度に取り立てて変化が生じないことが推認されるとして、この限度で、「将来請求」を認容した。深夜早朝の飛行差止については、主権免除論による対米訴訟却下、第三者行為論による対国請求棄却の判決が続く中、「将来請求」についての東京高裁の判断は、永遠に訴訟を繰り返さざるを得ない住民の苦痛に多少なりとも目を向け、従来の司法判断の枠組みから一歩を踏み出したものであった。
しかし最高裁多数意見はこれを認めず、住民が訴える基地騒音被害の継続性の特質を吟味することなく、「将来請求は権利保護要件を欠き不適法」とする先例(昭和56年大阪国際空港最高裁大法廷判決)に固執した。3名のうち2名(上田豊三・堀籠幸男裁判官)は、「空港周辺住民が被る騒音による損害賠償請求のうち、事実審の口頭弁論終結以降のものは不適法とする判断部分こそが、『狭義の判例』として拘束力をもつ」との補足意見をつけた。
一方、藤田宙靖裁判官の補足意見は、大阪国際空港判決を厳格に維持することへの躊躇を表明しつつ、他方で、過去の被害についてのデータから将来の被害についての「高度の蓋然性」をどのように見出せるかについてはなお残された多くの問題がある等として揺れ動きを見せた上、本件においては多数意見に従わざるを得ない、とした。
3 少数意見
これに対し、2名の裁判官が、反対意見を述べた。
まず、那須弘平裁判官は、大阪国際空港判決の言う「(将来の)損害賠償請求権の成否及びその額をあらかじめ一義的に明確に認定することができる」との要件を余りに厳密に解することは相当でないとした。そして、大阪国際空港事件と本件との具体的差異を指摘しつつ、原判決は、判例の枠組みを踏まえつつ、当事者の適切かつ迅速な救済を図るために、あえて判決言渡日までの短期間に限定して将来の損害賠償請求権の成立を認めるべく実務上の工夫をしたもの等と述べ、原判決を支持した。
そして、田原睦夫裁判官は、将来請求の要件を狭く解する大阪国際空港判決は見直されるべきとし、基地騒音被害が長期にわたり継続し、最低限度の共通被害についての損害賠償額を左右する事由は、転出や防音工事等といった非常に明白なものに限られること等を指摘した。その上で、延々と訴訟を繰り返さざるを得ない住民の負担を考えると、原判決言渡日の翌日以降についても将来請求が認められて然るべき、とまで述べ、多数意見を批判した。
4 評価と課題
3対2の僅差、しかも多数意見に余することに躊躇を示す藤田補足意見を見れば、私たちのたたかいは、あと一歩のところまで最高裁を揺り動かした、と言えるだろう。その一方、具体的事案の検討を拒み、「空港訴訟において将来請求は一切認めないことが先例として拘束力を持つ」、とまで言い切り、わずか1年間の将来請求すら認めない二名の裁判官の姿は、最高裁の守旧性の砦の堅さを改めて見せつけるものでもあった。
約6000名の大原告団を組織し、11年にも及ぶ道のりを歩いてきた新横田基地公害訴訟は終結した。しかし、今日もまた、米軍機は爆音を響かせ、住宅地をかすめ飛ぶ。航空自衛隊航空総隊の移駐が迫り、軍民共用化の動きもうごめく。
私たちは、歩みを止めることはできない。旧訴訟を含めて約30年間に及ぶたたかいを改めて振り返り、成果と課題をよく整理し、新たな一歩をどのように踏み出すのか。住民とともにじっくりと練り直す作業がはじまっている。