尼崎環境ロードプライシング実施
弁護団 小沢秀造
2009年3月6日第31回連絡会議が尼崎において開催された。そこで国、阪神高速などから示された環境ロードプライシングの実施について、原告側が了解し、4月1日から実施されている。国道43号線の上に、3号神戸線があるという道路の公害をどう解決するかという問題である。日本初の環境ロードプライングということで大きく報道された。割引は時間などにより異なり、なかなか複雑である。湾岸線の割引が最大約5割ということになっている。阪神高速では、環境ロードプライシング拡充、国道43号線、阪神高速3号線沿道の大気環境改善のために湾岸線を利用しましょうと宣伝に努めている。
20世紀におきた公害は20世紀に解決するという格調の高い大阪高裁裁判長の和解の勧告がなされ、2000年年末原告らと国、阪神道路公団との和解が成立した。そこで原告らと国の道路管理者である建設省と阪神高速道路公団は「尼崎市南部地域道路環境改善に関する連絡会」(連絡会)を設置することが合意された。高裁の和解勧告書にあるとおり、「本件訴訟は第一審判決により半ば役割を果たしたともいえ、訴訟による硬直化した解決よりも、第一審の審理及び結論を踏まえて、よりよい道路環境の実現を目指して、産・官・学各方面の協力を得て、より柔軟で多岐にわたる選択ができる」道を選択したつもりであった。原告ら、原告ら代理人らは、連絡会での妥当かつ早期の問題の解決を期待した。国、公団と協力して道路公害を解消するということで出発したが、国などののらりくらりした対応で中身のある話し合いがなかなかできなかった。ここにいたるまで公害調調整委員会でのあっせん合意(2003年6月)があり、国などによる環境ロードプライシング試行の提案とそれに対する原告側の要求があった。2008年7月交通規制権限を有する警察庁の見解も出て国交省は外堀を埋められた。すなわち警察庁は「大型車の交通量を低減する措置の必要性については十分認識している」ことを指摘し、「国道43号線から転換する大型車の受け皿となる迂回路の設定が不可欠である」と指摘した。迂回路の設定はまさしく国の責任である。
連絡会の準備のため原告団、弁護団、道路問題、道路公害問題に関する専門家が周到に打ち合わせをし、原則的かつ柔軟に対応してきた。連絡会には現地の被害者だけでなく各地から支援の人たちが席を埋めた。われわれは理のある話し合いを提案してきた。しかし、国交省の近畿地方整備局の担当者は2年程度で転勤になることが多く、担当者が変わると一から出直しという場合が続き、交渉には消耗感がつきまとった。われわれは判決、和解、あっせん合意に立ち返り、理は被害者側にあるという前提で辛抱強く交渉、説得を続けてきた。
ところで2006年12月現在で5年間の43号線沿線ですさまじいNO2汚染濃度が続いていることが明らかになっていることをわれわれは連絡会で指摘してきた。尼崎市内の自動車排ガス監視局ではNO2濃度はほとんどすべて日平均98%値でも60ppmを超えており、年平均値ではすべて現行環境基準の指針値であった20〜30ppbの上限を超え、とくに東本町、五合橋、元浜公園では、40ppbを超えるという驚くべき数値になっている。2006年12月には当面の目標とする緊急のNO2の低減を掲げ、大型交通量の25%程度の削減を連絡会で提唱した。これで原告らの大気汚染被害がなくなるという数値ではなく、緊急目標として最も高濃度の東本町の現況69ppbを60ppbに下げるということを根拠にした。
今回環境ロープラの課題として当初国交省、阪神高速は、技術的な理由などにより湾岸線西線に対象を限ろうとしていたが、東線についても相当の範囲で割引対象区間を拡大することについて、われわれの要求が入れられた。大型車の規制については、現在料金大型車のみが割引になっているが、センサー上の(普通にいう)大型車まで拡大すること、湾岸線の料金割引については、3号線の料金割引との組合せも考えるという大気汚染対策で当然要求される課題は残っている。さらにナンバープレート規制、43号線の車線規制などの規制方法の必要性などの課題が残っている。当面4月現在のロードプライシングを実施し、迂回路のその後の状況を踏まえ、かつどの程度大気汚染が改善されるかということを検討しながら、さらに改善させるべきところを改善させながら、汚染対策が成功という対策を実施させなければならない。
闘いの歴史を振り返ると、1971年に「尼崎公害患者・家族の会」が設立されたのが大きな出発であった。訴訟の提起は1988年年末、2000年1月神戸地方裁判所判決。その判決は、公害発生源を国道と認め、損害賠償だけでなく不作為の差し止めを認める画期的な判決であり、原告弁護団長中尾英夫弁護士がいうとおり「まさに山が動き、風が吹いた」。患者家族の会の松光子会長は「高齢の患者たちがここまで必死に闘ってきた、その思いはなんだったのか。尼崎の空に赤とんぼが舞い、子供たちの笑い声がそこここにあふれ、老人が安心して暮らせるまちにしたい。」と述べている。43号線横断のためのバリアフリーの要求もまだ実現していない。連絡会で信頼関係の維持強化につとめながら、早く原告らの要求を実現することが求められている。歴史的な闘いを早く総括できるように被害者の運動を共に闘い連絡会でつめていき、すみやかな解決を求めたいと考えている。