首都圏建設アスベスト東京訴訟の提訴

首都圏建設アスベスト訴訟弁護団
事務局長 佃 俊彦

 5月16日、建設現場で建設作業に従事し、その過程で石綿粉じんにばく露した結果、肺ガン、中皮腫、石綿肺等の石綿関連疾患に罹患した患者と遺族172名(東京都、埼玉県、千葉県に居住。患者単位)が原告となって、国と建材メーカー46社を被告とする首都圏建設アスベスト訴訟を東京地裁に提訴しました。提訴後、3800名を上回る支援者が日比谷野外音楽堂に結集して裁判支援大集会を開催し、厚労省、国交省、経産省周辺をデモ行進しました。また、6月30日には神奈川県に居住する被災者41名(患者単位)が横浜地裁に提訴する予定です。
 石綿は、耐火性・耐熱性等に優れ、かつ安価であるところから「奇跡の鉱物」といわれ様々な産業分野において使用されてきました。とりわけ、建築基準法で、ビル、病院、諸々の公共施設、マンション、一般住宅等について不燃材の使用や耐火・防火構造が義務付けられていることから、建材に石綿が大量に、しかも長い年月にわたって使用されてきたのです。わが国は、戦前から石綿が使用禁止された2006年までの間に約1000万tの石綿を輸入してきましたが、そのうちの70%以上が建材に使用されているといわれています。そのため、建設現場で働く建設作業員は、長年にわたり石綿建材を取り扱い、その過程で発生する石綿粉じんに複合的にばく露し、その結果多くの者が次々と健康を侵され、ある者は生命を奪われ、他の者は不可逆的に進行する悲惨な石綿被害に苦しんでいます。また、今後も、建設作業員のなかから重篤な石綿被害者が多数発生することが確実なものとして予測されています。
 石綿粉じんよる被害は、近年に始まったことではありません。わが国においても、既に戦前から石綿粉じんによる健康障害としての石綿肺の発症の危険性が認識されていました。このことは、厚労省も「アスベスト問題に関する厚生労働省の過去の対応の検証」の中で認めています。また、石綿粉じん固有の危険性である発ガン性についても、戦前から指摘されているところであり、遅くとも1950年代半ばには肺ガンが発症すること、1960年代半ばには中皮腫が発症することが疫学的にも明らかになっていました。それにもかかわらず、国と建材メーカーは、一体となって、石綿建材の使用を推進してきたのです。建設作業員にかかる石綿被害をもたらしている主要な要因は、何よりも建材メーカーと一体となった国の石綿建材使用推進政策にあります。このことを裏返えせば、石綿建材に対する国の規制の大幅な遅れと建材メーカーの対策の著しい懈怠であり、国と建材メーカーの責任は明白です。
 ところで、2005年のクボタ・ショックを契機として、石綿被害に対する社会的な関心が急速に高まりました。そこで、国は、石綿被害問題について政府の責任が問われることを恐れ、社会問題・政治問題となることを鎮静化させるため、2006年に「石綿の健康被害の救済に関する法律」(石綿新法)を成立させました。しかし、石綿新法は、国や石綿関連企業の責任を不問に付し、指定疾病を中皮腫と肺ガンに限定するとともに、救済給付金も極めて低額に抑えられており、「労災補償の対象とならない、工場周辺住民、労働者の家族、一人親方、中小企業事業主等を隙間なく救済する」との制定目的から程遠いものとなっています。しかも、国と建材メーカーは、石綿新法の制定をもって、クボタ・ショックによって社会問題化した石綿被害を沈静化させ、自らの法的責任を否定したまま建設作業員の石綿被害問題についても決着をつけようとしているのです。
 このような国と建材メーカーの姿勢を抜本的に改めさせ、石綿被害に見合った救済と被害を完全に防止する施策を確立させるためには、国と建材メーカーの法的責任を明らかにすることが不可欠です。
 原告たちは、国と建材メーカーの法的責任を明らかにすることによってこそ、「あやまれ、つぐなえ、なくせ石綿被害」という自分たちの切実な要求が実現するものと確信し、所属する労働組合(東京土建一般労働組合、埼玉土建一般労働組合、千葉土建一般労働組合、神奈川県建設労働組合連合会、東京都建設組合、東京建設従業員組合)の支援を受け、首都圏の石綿被害者とその遺族が大同団結し、本件訴訟提起を決意したものです。
 原告団と弁護団は6つの労働組合と首都圏建設アスベスト訴訟統一本部を結成して団結するとともに、広範な世論に依拠し、悲惨な石綿被害の救済と石綿被害を根絶させるために奮闘する決意です。
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