巻頭言 基地公害訴訟の今後の問題
代表委員 榎本信行
1 新横田基地公害訴訟も、そろそろ終わり近づいている。6000人近い人たちを組織して展開してきた闘いのあと、今後どのような運動にしていくのか、今議論が行われている。基地公害訴訟をはじめた者のひとりとして、私個人が考えていることを書いて見たいと思う。
私は、学生時代から砂川闘争―立川基地拡張反対闘争―に関わり、恵庭・長沼・百里などの自衛隊反対運動に参加してきた。1970年代に入って、安保破棄、基地反対闘争には行き詰まりの傾向が出てきた。こんな中で、公害闘争が盛んに闘われていた。特に影響を与えたのは、大阪空港訴訟であった。大阪空港における飛行機の爆音による損害賠償と夜間飛行の禁止を求めた訴訟である。民間空港の爆音も、米軍基地の爆音も同じではないか。横田基地でも同じような訴訟を起こせないかという発想から始まった。
ただ、ここで問題があった。安保破棄、基地撤去の要求からみて、爆音訴訟は、基地の存在を前提とした闘いになるということである。基地の存在を認めた上での闘いでは、問題だというのである。それに米軍機の爆音による損害賠償や差止めは米軍の治外法権的な地位からして認められないのではないかという危惧もあった。しかし、行き詰った基地撤去運動や安保破棄の運動に新たな展望を開くために、爆音訴訟を提起しようということになった。次に問題になったのは、呼びかける相手は、基地反対の人たちだけかそれとも基地を認める人たちも含めるかということであった。この点については、爆音被害は、基地に対する考えの違いによって、相違がないから全ての人に呼びかけようということに決まった。そして基地に対する考え方は、爆音反対運動の中で考えて行こうということになった。
こうして、基地公害訴訟が始まった。旧訴訟と新訴訟と通じて、安保体制に対する大きな打撃になる成果があった。その一つは、軍事公共性に優越的地位はないという言う判断である。
旧訴訟の東京高裁は、米軍機の飛行は、民間機の飛行となんら違いはなく、軍事公共性は他の行政各部門の公共性と違いはないとして、軍事公共性の優越的地位を否定した。また、旧第三次の東京高裁の和解勧告により影響を受け、横田基地における夜10時から翌朝6時までの米軍機の飛行を原則禁止する日米合意が成立した。
2 しかし、根本的な解決―飛行中止=基地撤去には至らない。安保破棄の運動は進まなかった。訴訟提起の頃は、それによって基地撤去の運動は他方ですすむかと思った。しかし、基地撤去の運動は、相変わらず沈滞したままである。また、被害ばかりを強調して、在日米軍基地を使用した米軍の行動が、アジア、中近東などの人々に大きな加害を与えていることに対する日本の加害責任についても、何の問題提起もしていないという批判も聞く。根本的な問題は、主権国家である日本にいつまで外国軍隊を置いておくのかである。日本は敗戦で、アメリカ軍に占領され、そのままサンフランシスコ条約―旧安保条約―で米軍を駐留させたが、60年もの間、敗戦の屈辱を引きずっているとしかいえない。もともと安保条約体制は、対共産圏封じこめ政策から発した体制である。アメリカが、ソ連、中国を封じこめるという政策であって、日本を守ると言うためのものではない。
1990年に冷戦が終焉したとき、私は「これで、基地がなくなる」と思った。なにしろ基地を置く目的がなくなったのだから、基地は要らなくなったのだ。ところがなくならない。冷戦終結時に、「基地は要らなくなったから返せ」という声も日本側からほとんど上がらなかった。訴訟の中でも主張しなかった。
「安保の問題は、措いておく」という方針だったからである。安保体制の問題は、訴訟団内で意見の統一がないからである。これの方針は、正しいことではある。しかし、やむをえないながら、問題も含んでいる。爆音を全てなくすには、基地撤去しかない。公害の根絶には、基地撤去しかない。
訴訟が終わるについて、これからの運動の展開にあたっては、訴訟提起当時の悩みが再びわれわれを襲うのである。私個人は、これからは基地撤去の問題も「措いておかない」運動も別途でもいいから進めるべきだと思う。主権を侵している在日米軍再編で、戦争に日本が巻き込まれ、自衛隊が他国の人々を殺傷する危険が迫りつつあることを訴えかけていく必要があるのだと思う。