【若手弁護士奮戦記】
兵庫アスベスト弁護団に参加して

弁護士 宮本由季

1  兵庫アスベスト弁護団の活動について、初めて知ったのは、今年の2月に尼崎市内で開催されたアスベスト勉強会に参加したのがきっかけでした。同じ事務所の筧宗憲弁護士が、すでに弁護団に参加していて活動しており、筧弁護士から誘われて、勉強会に参加しました。その時の私は、アスベスト訴訟について何も知らない状態でした。
 勉強会では、アスベストの問題点や訴訟に当たっての法的問題点などを教えていただきました。ニュースなどで何となく聞いたことはあったのですが、その時、初めて被害の深刻さに触れました。  当初、私のような駆け出しの弁護士に、何かできることはあるのだろうかと躊躇しましたが、2日後には、兵庫アスベスト訴訟の法廷に座っていました。

2  それから、私は、弁護団会議に参加しましたが、最初は、分からないことばかりでした。必死でメモを取っていたのですが、外国の文献名や研究者の名前などは、聞き慣れないので、うまく聞き取れず、まともにメモも取れない状態でした。ましてや議論に参加することもできませんでした。初めのころは、本当に受け身の状態でした。
 やがて、少しずつ問題点が理解できるようになってきました。一番の問題点は、やはり、この訴訟が環境型であることです。被害者の方々は、アスベストによる中皮腫で亡くなれているのに、職場でアスベストを使用していたわけではないという点です。被害者の方々は、アスベストを使用する工場の近隣に居住あるいは通勤されていた方々です。労働安全衛生法などの労働関連法規は、労働者を保護の対象としており、近隣住民は、これらの法律では保護されないと国が主張していることが問題です。
 労働者のみなさんは、働いている限り、その環境から逃れられません。同じように、近隣住民のみなさんも、たまたま近所にアスベストを使用する工場ができたからといって、簡単に引っ越しすることもできません。ましてや、近隣住民のみなさんには、その工場でどういった材料が使われているのか、その材料がどれだけ人体に有害なのかを知ることもできないのです。そのような有害な物質から逃れられないのは、労働者も近隣住民も同じなのです。
 国は、アスベストの使用を推進し、危険性が判ってからすぐにアスベスト使用を全面禁止にしなかった以上、責任があることは確かだと、私は思っています。

3  私は、訴訟が始まってから弁護団に参加したので、あまり議論を理解しておらず、準備書面を作成する場面では何もできない状態でしたので、とりあえず、訴訟のため何か自分にできることからやってみようと思いました。ちょうど、首都圏建設アスベスト支援集会の案内が、弁護団に来ており、当弁護団から一人派遣するという話になりました。私は、まだお役に立てないので、せめて集会に行って、他の弁護団の様子をしっかり見て来ようと思い、参加することにしました。
 私には初めての経験でした。会場には、全国各地の団体の幟が立っていました。日比谷野外音楽堂は、支援のために集まった方々で埋め尽くされ、5月だというのにもの凄い熱気でした。首都圏訴訟では、原告が約140名いらっしゃるということを聞き、首都圏だけでこれだけ多くのみなさんが訴訟を提起されたということは、全国にするともっとたくさんの方々が訴訟で闘っていらっしゃって、また、訴訟で闘っていらっしゃる方だけでこれだけいらっしゃるのなら、いろんな事情から訴訟に参加できないままアスベストを原因とする病気で苦しんでおられる方々が、さらにたくさんいらっしゃるのだろうなと思い、胸が熱くなりました。
 私は、その集会に居て、ただ壇上の方々のお話を伺っていただけでしたが、それまでのように受け身の姿勢ではいけないと改めて思うきっかけになりました。

4  今年8月には、丸1日かけてアスベスト訴訟について勉強する合宿を開催しました。アスベストの危険性の知見についての論文を検討したり、他のアスベスト訴訟の進行や結果について割り振りし、報告したりと充実した内容でした。私は、首都圏訴訟の報告を担当いたしましたが、兵庫訴訟とは異なる労災型訴訟の問題点が解りました。合宿を通じて、ようやくアスベスト訴訟のことが解り始めたといった感じでした。
 合宿の後には、懇親会を催し、弁護団の先輩方のお話をたくさん伺うことができて、有意義な時間を過ごしました。

5  まだまだ右も左も分からず、駆け出しの私ですが、更なる精進をしてこのアスベスト問題に取り組んでいきたいと思っております。
(このページの先頭に戻る)