川辺川ダム建設問題の現状と課題
―9・11熊本県知事が議会で反対表明―
弁護士 板井 優
1 歴史的な県知事判断
2008年9月11日午前10時過ぎ、熊本県議会9月議会冒頭の知事所信表明で、蒲島郁夫知事は、川辺川ダム建設反対を表明した。これは、1966年に建設省(現国交省)が川辺川ダム建設計画を公表して以来42年経過したが、まさに初めてのことである。
蒲島知事は、「現行のダム計画を白紙撤回し、ダムによらない治水計画を追求すべきだ」と述べ、「人吉・球磨地域に生きる人々にとっては、球磨川がかけがえのない財産であり、守るべき『宝』」「住民独自の価値観を尊重することによって、人や地域は輝き、真に豊かな社会が形成される」と述べ、併せて「穴あきダム」についても否定的な見解を述べた。
この蒲島見解は、国交省が42年間もダム推進を言っている中、国営ダム建設事業について推進母体でない県知事が、今年3月の県知事選挙の時は、候補者五人中四人がダム反対で蒲島候補者が当選して半年後に意見を述べるとしていた経緯からすると、歴史的かつ画期的なことである。
この蒲島知事の歴史的判断の前に、川辺川ダムサイト用地がある相良村の徳田村長が8月29日に、またダム治水によって球磨地域で最大の受益地とされる人吉市の田中市長が9月2日に川辺川ダム建設反対の意思を表明している。さらに、同じく流域の錦町長、あさぎり町長もそれぞれの町ではダム反対派が多いことを発言している。流域市町村はまさにダム反対派が多数派を形成する勢いの中で、蒲島発言があったものである。
2 これに対する国・国交省の対応
国交省は、知事選挙後、6月には九州地方整備局長、8月上旬には谷垣禎一国交大臣が知事の意見に従うかのような発言をしていた。そして、知事見解表明の当日、九地整は「知事の内容を詳細に把握した上で、本省とも相談して、今後の方針について検討」するとし、福田康夫首相は「地元の意向は優先、尊重されるべきだ。どういう状況で意向が示されたか検討して最終判断すべきだ」とした。
しかしながら、春田兼国交省事務次官は、知事の意向を検討するが、ダムをお願いする場面がないとも言えない、とする趣旨の発言を行っている。さらに、12日の閣議の記者会見で、谷垣国交大臣は、球磨川の河川管理者は国交省であり、結論に知事の判断は直結しないとして、治水代替策などについて知事の意見をよく伺いたいなどと述べている。その後、麻生新内閣の中川国交大臣は川辺川ダム建設問題について蒲島知事と話し合いたいということを述べ、現地を無視することが出来ないことを述べている。
3 何が蒲島知事発言を引き出したのか。
蒲島知事は、今年3月23日の知事選で当選したが、川辺川ダム建設問題については専門家を集めた有識者会議を半年後に開いて意見を述べるとしていた。しかし、蒲島知事の支持母体は自民党・公明党であり、この二つの政党で熊本県議会の4分の3以上の議席を占めているところ、いずれもダム推進派である。しかも、選挙後から住民の意見では決めない。自分が決めたら反対の意見の人は苦渋の選択をしてもらう、という見解を述べてきた。こうした中で、ダムに反対する市民運動の中や県議会野党(共産党は議席なし)の多数も、蒲島候補者に投票し、当選後は樺島知事批判は許さないとする立場を取ってきた。
これに対し、私たちは、農民や流域住民の要求を掴んで離さず、県知事はこれら住民の意見を代表すべきである。県知事がダムを推進するのであれば、リコールも含めて断固闘いぬく立場を明らかにしてきた。特に、流域住民の要求に基づいたダムによらない利水、治水で地元土建業者も含めて地域振興を図ることを呼びかけた。
今年3月の地元紙の全県民対象のアンケート調査では、ダム反対58.4%に対し、ダム推進は16.6%である。昨年の国交省の説明会では流域住民はダム以外の治水対策を求め、ダム推進発言は2、3名に過ぎなかった。これを、さらに明らかにするために、市民団体が流域住民の聞き取りを行いブックレットで公表した。
こうした中で、蒲島知事は今年6月に、潮谷前知事が決めた球磨川下流にある荒瀬ダム撤去を凍結する発言を行った。これは、水力発電はクリーンエネルギー、撤去には費用がかかるなどを理由にするものであった。私たちは、この発言の背後に電力会社やダム関係業者などで今年初めに創られた「未来エネルギー研究会」がいることを明らかにして、流域住民や漁民の要求に反することを指摘した。
この蒲島発言は、これまで蒲島知事支持を打ち出していたダム反対派や県議会野党に深刻な動揺を生み出し、蒲島批判の大きな流れを作った。
こうした中で、8月3日に人吉市で1350人のダム反対大集会が開かれ、知事選挙でダム反対を打ち出していた矢上前相良村村長、鎌倉前熊本県地域振興部長のみならず、中島前八代市長、潮谷前県知事も参加し、ダム反対意見の大合唱となった。この集会には人吉市や相良村村民が多数参加し、今年4月に10対2でダム反対を決議した相良村議会からも議員たちが参加した。
さらに、8月24日に相良村で開催された川辺川現地調査では「すべてのダムに反対する大ダム会議シンポジュウム」が350人の参加で大きく成功した。その中で、相良村村議会議長がダム反対の意見を述べ、ダムサイト予定自治体議会の立場を明らかにした。
これに対し、ダム促進派も人吉市で1350人集会を行ったが、行政職員や土建業者の動員によるもので、私たちは徹底してこの集会が日当動員、強制動員であることを暴露し、抗議行動を波状的に行ってきた。その結果、挨拶した熊本県議会議長は「中立の立場」を強調し、国交省副大臣である地元選出の金子議員も含めて国会議員はすべて欠席し、電報で挨拶するという状況となった。
こうした中で、国交省(九州地方整備局)は、8月20日には、これまでの80年に一度から、20年ないし30年に一度の基本高水流量を打ち出し、さらに25日には従来の貯留型ダム、流下型ダム(完全穴あきダム)、ダムによらない治水という3つのパタンを熊本県に示した。その際、ダムによらない治水は水害が起きたら大変なことになると熊本県を恫喝した。これは、これまでの闘いの中で、国交省が大きく動揺していることを示したものである。
こうした中で冒頭に述べたように、従来、ダム推進をしてきた地元市町村長たちがダム反対を口にして、その延長線上で、蒲島知事発言が出たのである。その意味では、まさに住民自治の勝利であり、住民と地方自治体対国という図式が生まれたのである。
4 おわりに
これまで、ダム問題については、基本高水流量論争で国交省を論破することが決定的に重要だとする立場が主流であった。しかし、これは国交省の土俵での闘いでしかなく、勝利を勝ち取ることはきわめて困難であった。
しかし、熊本の闘いは、国営利水事業をめぐる闘いでも地元農家が決めるべきとする立場を明らかにし、さらに治水事業についても流域住民が決めるべきとする立場で一貫して闘ってきた。これがまさに歴史的勝利に結びついたものである。
今、熊本の川辺川ダム反対の闘いは全く新たな地平を切り開いたのである。