公害弁連ニュース 142号




巻頭言   中国・韓国の法律家に接して

  公害弁連顧問 弁護士 千場茂勝

 2004年3月熊本市で第2回環境被害者救済日中国際ワークショップが開催された。そして韓国からも参加者があったので日中韓ワークショップとも言える。
 3月19日、水俣で現地調査の後、午後、経験交流懇談会があり、私は、水俣裁判について講演することになり、「水俣病裁判はいかにしてたたかわれたか―企業の責任を中心として―」と題して話をした。中国では国の責任を論ずるのは時期尚早と思ったからである。
 相手は中国の約20人の法律家で、リーダーは王燦発(ワン・カンファ)氏で、中国法政大学環境被害者法律援助センターの長で、同センターからは3名だった。大変権威のあるセンターであるように見受けられた。外は人民大学法学院、国家法官学院、武漢大学環境法研究所の各教授3名、全人代環境与資源保護委員会、国家環境保護総局政策法規司の行政官2名、黒龍江省環境保護科学研究所の高級工程師1名、律師(弁護士)4名(南京、貴州省、北京)、医師1名(福建省)、人民日報記者1名等で、40代や30代後半の中国では相当地位のある人のように見えた。勿論4分の1位は女性だった。
 私がこんなに詳細に紹介したのは、このように、中国の各分野・各地域の、しかも重要な地位にある法律家たちが、はるばる日本の水俣までやって来たということを分ってもらいたかったからである。しかも、彼等は礼儀正しく、かつ非常に熱心に私の水俣病裁判の経験を聴きながら、全員がいちいちメモを取っていたのである。
 日本の公害裁判の経験に学ぼうというその熱意が私にもひしひしと伝わり、私も大変やり甲斐を感じて、もっと詳しく分かってもらおうと思って、私の著作「沈黙の海」を全員に贈呈した。
 その日は水俣病患者の話の後、高級工程師(シニアエンジニア)のツァイ・ピンヤン氏が松花江の水銀汚染の講演をした。  水俣病の汚染地域も南北80km、東西20kmの不知火海一体という広大なものだが、松花江の場合は、長大な1300kmの松花江の沿岸がすべて汚染されていて、被害の大きさが違う。それなのに被害の発見が遅く、また認定基準は1992年になって定められたので、被害が拡大した。また彼は、日本では被害者の漁民の役割が大きかったと言っていた。中国ではどうも被害者の動きは弱く、科学研究機構の研究者たちが国を動かし、国が汚染源を遮断したようである。私は被害者が動けなかったのではないかと感じたが、それはその翌日からのワークショップで分った。
 翌3月20日から21日まで、会場提供の熊本学園大学、日本環境会議、公害弁連、前述の中国の援助センターの共催で、国際ワークショップが開かれた。
 紙数の都合で、中国について2例だけを紹介する。
 王燦発氏は「中国の環境権利侵害救済の発展過程」について述べた。それによると、第1段階が1978年までで政府の抑圧の時期、第2段階はその後1991年までで、法律の救済制度による救済の時期、第3段階は1991年以降で、特別な規定ができて環境が重要視された時期ということである。
 1958年、湖北省でひどい汚染が起こったが、1973年には被害農民が軍に投獄されている。1979年に全人代で環境保護法が制定され、1986年に民法に特殊な不法行為が規定され、環境被害救済は民法に初めて根拠を持つようになり、1989年には行政訴訟法でも環境保護が明確に規定され、湖北省の農民2人は、有罪判決が破棄され無罪となり、釈放された。また、無過失責任が原則となった。
 1992年には、最高裁の司法解釈が変わり、民訴法の適用で因果関係では被告が挙証責任を負うようになった。2001年から、開発許可の前に環境面からの審査があり、環境を悪化させた企業には行政処罰がなされるようになった。
 律師の趙永康氏は、貴州省での化学肥料工場による湖水汚染に対する訴訟の報告をした。魚の養殖業者が、魚が全部死亡したので工場を汚染源として1999年にその化学企業を訴えたものである。その律師は化学と環境法を専攻しているとのことだった。挙証責任と無過失責任の話しが出たが、よく聞いてみると人間の生命・健康の被害についてではなく、農業や漁業の被害についての適用であった。最も重要なこの問題については中国ではどうなっているか分らなかった。
 しかし、中国の法律家の日本の公害・環境訴訟に学ぼうとする熱意には驚かされるものがあった。
 その後、韓国の代表者からの「センマングム地域干拓事業差し止め訴訟」と題する記念講演があった。全羅北道での干拓のための干潟堤防建設反対のたたかいである。日本の有明海の事件と似ている。驚いたことには、執行停止の仮処分が出たとのことだった。そして、1審で勝訴し、上訴審中であるが、住民・弁護士・支援者らは、200万人の署名を求める大運動を起こしてたたかっており、そのたたかいの壮大さには感動した。
 その後3月26日から3日間、昌原地方弁護士会を訪問した。熊本県弁護士会と交流協定の調印式である。私は、若い人達も殆ど全員日本語ができることに驚いた。学習意欲旺盛である。私は全く韓国語ができず恥かしい思いをした。
 今、私は、中国・韓国の法律家との交流ができて本当に良かったと思っている。
 3月のこれらの体験で感じたことは、何よりも中国・韓国の法律家の学習意欲の高さ、特に日本の経験に学ぼうという熱意の強さである。私は感動した。
 これまでの中国・韓国での見聞と今回の体験で、私は今、興隆する中国・韓国をひしひしと感じている。





農水省断罪
― よみがえれ!有明海仮処分決定 ―

よみがえれ!有明海訴訟弁護団
弁護士 後藤富和

1、仮処分決定
  2004年8月26日、佐賀地方裁判所は、有明海漁民106名の申請にかかる国営諫早湾土地改良事業(諫早湾干拓事業)差止の仮処分事件において、漁民の申請を全面的に受け入れ、国に対し、本件干拓事業の工事を続行してはならないと命じる仮処分決定を出しました。決定は、本件干拓事業と有明海異変・漁業被害の法的因果関係を明確に認定し、事業を厳しく断罪するものでした。
2、決定の内容
(1) 争点1 被保全権利の有無について
 裁判所は、被保全権利について、「漁業行使権は漁業権そのものではないが、それと不可分であり、かつ、その具体化された形態であるから、漁業権が物件とみなされるのと同じく、物権的性格を有し、これが侵害された場合には妨害排除請求権や妨害排除請求権を被保全権利として有する」と認定しました。
(2) 争点2 被害について
 裁判所は、特にノリ養殖業の実態に触れながら、「ノリ養殖業を営む債権者らの漁獲高の減少は、将来の経済生活の面で、極めて重大で深刻な影響を与えている」と漁民らの被害を正確に認定しました。
(3) 争点3 因果関係について
 民事保全手続における因果関係の立証の有無については、「通常人が特定の事実が特定の結果発生を招来したという関係の存在、確信するに至らなくとも一応確からしいという心証を持ちうるものか否かということで判断すべきである」として、法的因果関係の考え方を明確に示しました。
 その上で、ノリ不作等検討委員会が、諫早湾干拓事業が流動および負荷を変化させ、有明海全体の環境に影響を与えていると指摘していることや、多数の学者が本件事業が漁業被害に影響を及ぼしている旨の見解を示していること、水質環境調査を行った研究グループが潮受堤防建設により大規模な赤潮が発生しやすくなったと調査結果を報告していること、漁民の多くが本件事業と漁業被害との間には関連性があると実感していることなどを考慮して、「因果関係の疎明はあると認めることができる」と認定しました。
 さらに、農水省自ら設置したノリ不作等検討委員会が中、長期開門調査を提言したにもかかわらず、農水省が同調査を実施していない状況に鑑み「中、長期開門調査が行われなかったことによって事実上生じた『より高度の疎明が困難になる不利益』を債権者らのみに負担させることはおよそ公平とは言いがたい」と判示し、農水省の対応に極めて強い不信感を示しました。
(4) 争点4 保全の必要性について
 本件事業による漁民らの損害を避けるためには、すでに完成した部分も含めた本件事業全体を再検討し、その必要に応じた修正を施すことが肝要であるとして、有明海再生のために事業の見直しが必要であることを示しました。
 そして、現在予定されている工事が着々と進行したならば事業の再検討自体が困難になる以上、「重要なのは本件事業の一時的な現状維持(現状固定)であり内部堤防工事などの差し止めであっても債権者らに生じる著しい損害または急迫の危険を避けるために必要というべきであり保全の必要性は認められる」とし、有明海の再生のために事業を差止めるべき必要があることを示しました。
3、まとめ
 このように、これまで本件干拓事業と有明海異変・漁業被害の関係をかたくなに否定し続けてきた国の言い逃れは、本仮処分決定によって明確に否定され、 農水省がこれまでやってきた悪行が厳しく断罪されました。
 この決定によって、工事は止まりました。しかし、われわれの目標はあくまでも有明海の再生にあります。工事を止めることは有明海再生への第1歩に過ぎません。
  われわれは、農水省に対して、諫早湾を有明海から切り離している潮受堤防を直ちに開門することを求めるとともに、漁民らが被った被害の回復に1日でも早く着手するよう強く要求していきます。
 有明海の再生のために、皆様のより一層のご支援をお願いいたします。





イレッサ薬害被害訴訟について

弁護士 中島 晃

はじめに
 本年7月15日、私たちは大阪地裁に、新しい薬害訴訟・イレッサ薬害被害訴訟を提起した。肺ガン治療薬イレッサの投与を受けて、間質性肺炎などの副作用によって死亡した被害者は、今年3月末まで444人に上っている。
 イレッサは、イギリスに本社をおく世界的な大企業アストラゼネカによって開発された肺ガン治療薬であるが、これが2002年7月5日厚労省によって輸入承認され、日本国内で販売されるにいたった。この訴訟は、イレッサの輸入承認をした国(厚労省)と日本で販売をしたアストロゼネカの日本法人を相手どった、被害の救済を求める被害賠償請求訴訟(国家賠償訴訟)である。

訴訟の概要
(1) イレッサとは
 イレッサ(一般名ゲフェチニブ)は、アストラゼネカ社が開発した肺ガン治療薬で、それまでの殺細胞的な抗ガン剤と異なり、癌増殖にかかわる特定の分子を標的とする分子標的薬として、承認前後から、入院の必要のない飲み薬という手軽さも手伝い、「副作用の少ない画期的な夢の新薬」として大々的に宣伝された。イレッサの標的は、細胞増殖に関わる上皮成長因子受容体(EGFR)とされている。
(2) 販売直後から副作用被害が多発
 しかし、販売開始直後から、宣伝とは異なり、急性の間質性肺炎(ステロイドパルス療法が効を奏さない場合には、治療法のない致死的な疾患)等の急性肺障害の副作用症例が多数報告され、2002年10月15日には、厚労省の指示に基づき、アストラゼネカが緊急安全情報を発出し、添付文書の警告表示を改訂してきた。その後も、2003年4月までの間、アストラゼネカは、合計4回にわたり添付文書の記載を改訂し、その都度、急性肺障害に対する警告をふやしていき、原則入院処方とし、さらに急性肺障害の危険因子を記載するなどしていった。
(3) 急性肺障害の予見可能性
 イレッサにより急性肺障害が発症する可能性については、すでに臨床試験や承認前の個人輸入による使用により副作用症例が報告されており、予見可能性があったことは明らかである。しかし、アストラゼネカは、臨床試験により急性肺障害を発症してグレード4相当の重篤な状況になったという副作用報告を受けていながら、承認申請書類には、これをグレード3相当の症例として報告していたことも明らかになった。
 また、そもそもEGFRは癌細胞に特異なものではなく、傷ついた正常細胞が回復していく過程でも発現するものであり、イレッサが正常細胞のEGFRを攻撃する可能性は理論的にも予測可能であった。事実、東京女子医大の永井教授らは、イレッサ承認前に、肺を繊維化(肺炎の後遺症のようなもの)させたマウスにイレッサを投与する実験を行ったところ、肺障害が悪化したという動物実験を行っていた。この結果は、イレッサが正常細胞のEGFRを攻撃するという理論的な予測を裏付けるものであった。ところが、アストラゼネカは、この実験にイレッサを提供するにあたって、学会等で発表する際にはアストラゼネカの承認を得ることを条件としており、永井教授の学会発表を容易に認めず、永井教授が発表できたのは、イレッサ承認後になった。
 厚労省も、海外等の臨床試験症例で重篤な肺障害を発症した事例が報告されていたにもかかわらず、そうした症例について検討をほとんど行わないままイレッサの承認をした。
(4) アストラゼネカと国の責任
 以上のように、イレッサにより致死的な急性肺障害等の副作用が発生することは、承認以前からアストラゼネカ、国ともに十分予見可能な事柄であった。したがって、アストラゼネカと国はともに、イレッサの承認、販売開始にあたっては、最低限、間質性肺炎等の急性肺障害の危険性につき、厳重な警告を行い、入院処方に限定するなど、急性肺障害の発症を抑止するためのあらゆる方途を取るべき注意義務があった。
 ところが、イレッサ販売開始時点での添付文書には、細かい字で僅か3行のみ「間質性肺炎を発症することがある」という趣旨の記載しかなく、およそ急性肺障害の発症を抑止するための警告といえるものではなかった。
(5) 提訴状況
 2004年7月15日、京都府在住の被害者1名の遺族4人が、大阪地裁に提訴した。請求額は、慰藉料として3000万円、弁護士費用300万円である。
 肺ガンで手術不能ということもあり、なかなか提訴まで結びつきにくいという面あるが、肺ガンにより余命が短くても、むしろ短いからこそ、残された時間は、被害者、遺族にとって、この上もなく貴重なものだったはずであり、その残された命の重さは、健常者と比較できるものではない。そうした貴重な命をイレッサは否応なく奪ったのであり、アストラゼネカと国の責任はまことに重大である。

終わりに
 この訴訟の弁護団の主要メンバーは薬害ヤコブ病訴訟を担当した弁護士である。
 薬害ヤコブ病訴訟は、2002(平成14)年3月25日、被害者・弁護団と国・企業との間に確認書を締結し、和解による解決がはかられることになった。この確認書のなかで、厚労大臣は、薬害の再発防止のために最高・最善の努力を尽くすことを固く誓約している。
 ところが、イレッサは、この誓約がなされた3月余り後に、申請後5ヶ月という異例の速さで承認がなされた。薬害ヤコブ病の確認書における薬害再発防止の誓約が事実上反古にされた、といっても過言でない。その意味で、日本での薬害の再発防止、根絶を実現するうえで、この訴訟で国と企業の責任を追及する意義はきわめて大きいと考える。
 私たち弁護団は、薬害の根絶をめざして、この訴訟で国と企業の責任を明らかにするため全力をあげて取り組む決意である。多くの皆さんのご支援を心からお願いする次第である。

(追記) なお、イレッサ薬害被害訴訟は、関東在住の被害者を原告として東京地裁への提訴の準備が進められており、近く提訴される予定である。






寝屋川廃プラ処理施設操業差止申立事件

弁護士 原 正和

1 はじめに
 平成16年7月1日、大阪府寝屋川市大字打上に現在建設が進められている廃プラ処理施設(今秋に試験操業が開始される予定)につき、大阪地方裁判所に対して、操業禁止(停止)の仮処分命令を申し立てました。
 これまでに(平成16年8月20日時点)、第2次提訴分も含め、本件廃プラ処理施設の周辺に住む住民約650名が債権者(申立人)となっています。
 ここで、われわれ債権者側は、今回問題になっている施設のことを「廃プラ処理施設」と呼ぶのに対して、債務者は、そのような表現は誤解を生み不適切である、本件施設は「再商品化施設」と呼ぶべきであると主張しています。このような呼称の違いに、本件事件の核心が表れていると言えます。

2 本件廃プラ処理施設の概要
 債務者が「再商品化施設」と呼ぶのは、本件廃プラ処理施設においては、廃プラをただ単に「処理」するのではなく、パレット製造の原料として「再生利用」するとしているからです。債務者は、本件廃プラ処理施設では、地域の一般家庭から排出されるプラスチック製容器包装廃棄物(具体的には、スーパーで売っている食品用のプラスチック製容器・包装物等をイメージして下さい。)を原料として使用して、パレット(簀の子のような形をした薄べったい箱状のものをイメージして下さい。)を製造すると説明しているのです。また、債務者の説明によれば、本件廃プラ処理施設は、「日本で初めて」プラスチック製容器包装廃棄物を100%再利用してのパレット製造施設であり、1日あたり48トンもの廃プラを使用するとのことです。
 そして、本件廃プラ処理施設においては、廃プラは解体(解砕)→手選別→破砕→洗浄→比重選別→乾燥→減容(熔融)→射出成型の各工程を経て、再生パレットに製造されるとされています。

3 本件廃プラ処理施設から有害化学物質が発生するおそれが極めて強いこと
 中間処理施設に搬送する不燃ゴミ(この中には多量の廃プラが含まれています。)の圧縮作業を行っていた不燃ゴミ積み替え施設(杉並中継所)の近隣住民に、いわゆる化学物質過敏症に似た症状が出現した事件(いわゆる杉並病公害)につき、平成15年6月24日、公害等調整委員会が原因裁定を下し、申請人ら(近隣住民)の症状と杉並中継所からの排ガスとの間に因果関係が認められると判断しました。廃プラの圧縮と有害化学物質発生との間に因果関係が認められたのです。
 しかしながら、本件廃プラ処理施設は、この杉並中継所よりもさらに多種多量の有害化学物質が発生するおそれが極めて強いのです。本件廃プラ件処理施設には、「解砕」、「破砕」工程(杉並中継所における「圧縮」工程に相当するもの)のほかに「熔融」工程が存在するため、廃プラに強度の物理的圧力(機械的せん断力)を加えることにより有害化学物質が発生することのほかに(いわゆるメカノケミカル反応)、熔融工程において廃プラの熱分解に伴い有害化学物質が発生することにより、より一層多種多様な有害化学物質が生じる危険性があるのです。
 にもかかわらず、本件において債務者が行った廃棄物処理法上の生活環境影響調査項目は大気汚染項目では粉じんのみであり、本件工程に伴って発生する排気ガスについてはそもそも調査項目にすら挙げられず、何ら調査、予測及び影響の分析は行われていません。また、本件廃プラ処理施設は住民の意思を全く反映させないで建築手続が進められました。本来、建築基準法第51条但書が適用されるべき場面ではないにもかかわらず同条但書を適用し、住民の意思を全く無視して建築許可手続が進められたのです。

4 さいごに
 以上のように、本件においては、廃プラを含んだ不燃ゴミの圧縮工程から杉並病が発生したという前例があること、本件廃プラ処理施設における排ガス発生の高度の蓋然性があること、排ガスについての生活環境影響調査を行っておらず、しかも排ガス対策が取られていないことからして、本件廃プラ処理施設が稼働を始めれば周辺住民に健康被害が生じるおそれが極めて高いのです。
 いかに廃棄物の再資源化それ自体が社会的意味を有するものであるとしても、周辺住民の健康を害してまで操業を行うことは矛盾であり許されるべきものではないことは言うまでもありません。





【報告】 徹底討論 「公調委をどう活用するか」

弁護士 西村隆雄
1 はじめに
 去る7月21日、一橋大学名誉教授の南博方先生を招いて徹底討論「公調委をどう活用するか」を開催した(参加・弁護士18名、当事者3名)。
 1995年から13年間余、公害等調整委員会(公調委)の非常勤委員を勤めてこられた南先生から約1時間の講演をいただいたうえで、実践的かつ活発な質疑・意見交換を行うことができ、とりわけ、専門委員制度とこれによる調査の活用、対国・行政の事件での公調委のメリットと活用の可能性など、今後の公害弁連の活動方向にとっても重要な示唆に富む有意義な討論とすることができた。以下その内容について報告する。

2  公調委の位置づけ
 公害紛争処理法に基づき、国に公害等調整委員会、都道府県に公害審査会が設置されているが、公調委は、重大事件、広域処理事件、県際事件に関するあっせん、調停、仲裁を扱う他、裁定を扱う点に特徴がある。
 公調委は、国家行政組織法の3条委員会で公正取引委員会と同格で、委員長および6名の委員(うち非常勤3名)で構成され、いずれも国会の同意を得て内閣総理大臣により任命される。委員長は大臣級の扱いで、国の各省においてもその意味で、一目置いた存在となっている。

3  裁定制度
 裁定には、損害賠償責任の有無、賠償額について判断する責任裁定と、加害行為と被害との因果関係に関する法律的判断のみに限定した判断を行う原因裁定がある。
 責任裁定は、裁定書送達から30日以内に民事裁判の申立てがなかった場合には、責任裁定と同一の内容の合意が成立し、この合意は、調停と同様、民法上の和解契約としての効力を有する(労働委員会命令のように行政処分として行訴の対象となる訳ではない)。
 一方、原因裁定は、当事者の権利義務関係に影響を与えるものではなく拘束力はないが、事実上その後の訴訟、調停で公調委の裁定結果が重視されることとなる。
 手数料は、原因裁定が1人3300円、責任裁定も訴訟と比べて大幅に割安となっており、期間も、調停事件で1年半程度、裁定事件の方がむしろ早く、遅くとも2年程度をめざしている。
 裁定事件は、公開で、準司法的手続で行われ、審問(主張、証拠整理)、尋問(当事者、参考人の意見陳述)、文書提出、立入・事実調査、調査委託等の手続が用意されている。
 委員の他に事務局があり、この下に裁判所・行政部から出向(課長クラス)した審査官(約9名)のほか審査官補佐(7名)がおり、最高裁の調査官的役割を果たしている(当然のことながら、出身官庁の利益代表として動くことはない)。

4  専門委員、調査
 職権による調査、資料の収集を積極的に行うのも特徴の1つであり、公調委は、専門事項の調査を専門委員に委嘱できる点が注目される。
 専門委員は、事件単位で総務大臣が任命するもので、人選は両当事者の意見を聞いて行われるのが通例である。
 調査については、費用は公調委持ちで独自の調査を行うことが可能であり、これまでも、山梨・静岡ゴルフ場事件で農薬と地下水汚染の因果関係が問題となったケースで、茨城県のゴルフ場を実際に使って約60日間360万円をかけて調査を行い、農薬散布により地下水に影響が出ることを明らかにしてこれが解決に結びついた。
 また豊島産廃事件では、2億3600万円もの巨額の調査を行って、産廃からの汚染が海洋に流出など、生活環境保全上の支障が生ずるおそれがあり、早急に適切な対策が講じられるべきであることを明らかにして調停成立の原動力となった。

5  公害審査会
 都道府県の公害審査会については、公調委と全く異なり、組織上の独立性がなく、委員も非常勤ばかりで、事務局も兼務であるため、一部の審査会を除き、その機能を十分に果たしていないとの指摘もある。
 調停は、公調委と同様非公開とされているが、これは傍聴を禁ずる趣旨であるとの説もあり、また、合意形成に支障がない限り、情報提供(マスコミ公開)についても柔軟に対応すべきであるとの意見もある。





新嘉手納爆音訴訟の結審と今後の基地公害訴訟

弁護士 中杉喜代司

1 那覇地裁沖縄支部で、新嘉手納爆音訴訟第1審が結審した。
 同訴訟は、米軍嘉手納基地周辺の6町村の住民5541名が日米両国に対し米軍機の夜間・早朝の飛行差し止めや合計160億円余りの損害賠償を求めた裁判である。
 同じ沖縄にある普天間基地、小松(1名)・厚木(3名)・横田(11名)の各基地騒音公害訴訟の原告団・弁護団を始め、公害弁連からも中島晃代表委員、板井優幹事長、西村隆雄事務局長、有明訴訟より後藤富和弁護士も参加した。
2 6月30日、全国の弁護団・訴訟団は、午後から公害弁連の幹事会と普天間基地調査の二手に別れて行動した。
 幹事会では、新嘉手納弁護団より訴訟と今後の運動について報告があり、普天間基地訴訟などについても討議が行なわれた。普天間基地の調査では、基地反対に奮闘している伊波洋一宜野湾市長を訪問し、互いに激励することができた。
 夜は、全員で沖縄市の「あしびなー」で開催された新嘉手納訴訟の結審前夜集会に参加し、勝訴に向けて決意を固めた。夜10時ころより、新嘉手納訴訟団の心尽しの野外バーベキューの会が開かれ、三線の音と共に、夜遅くまで和やかな時を過ごした。
3 7月1日、沖縄支部の裁判所敷地内に訴訟団・弁護団・支援者・マスコミ等約200名が集まり、直前集会が開かれ、代表団が横断幕を先頭にシュプレヒコールをしながら裁判所へと入廷した。結審法廷では、新嘉手納訴訟団(原告3名)、同弁護団(5名)、各基地公害訴訟弁護団(4名)の意見陳述があり、公害弁連も中島代表が騒音被害の救済を強く求める意見陳述を行なった。裁判所は、判決日を来年2月17日午前10時と明示し、審理を終了した。
 さらに、打ち上げを兼ねた昼食会の後、午後からは板井幹事長を加えて、弁護士だけで36名と、これまで最大規模の全国空港弁連が開かれ、2日間の日程を終了した。
4 基地騒音訴訟では、これまで過去の損害賠償請求は認められるものの、差止め請求と将来の損害賠償請求は、ことごとく却下又は棄却されている。差止め請求には、(1)日本政府は、騒音を発生させている米軍機の飛行を規制することができない、(2)騒音被害は、身体的被害の危険性・可能性や精神的被害等に止まり、差止めの受忍限度を越えないとのハードルがある。新嘉手納訴訟では、(1)については、米国自体を被告にすることで、(2)については、身体的被害を立証することで、これらのハードルを突破しようとしている。
 しかし、(1)に関しては、米軍の飛行が米国の主権的行為であるから、我国の裁判権が及ばないとする最高裁判決が確定しており、なおハードルは高い。普天間基地訴訟では、米国そのものではなく、基地司令官を被告として訴訟を起こしている。これに対し、裁判所は、公示送達の方法で訴状送達を行なった。普天間基地訴訟において、近く基地司令官に対する判決がなされると聞いており、その結果が注目される。
 (2)のハードルに対して、新嘉手納訴訟では、沖縄県の健康被害調査で騒音性難聴と診断された12名の住民のうち4名の原告について、個別の被害立証を行なっている。この身体的被害を立証することによって、差止め判決を勝ち取ることを目指している。
5 基地訴訟における飛行差止めは、日本政府の一存だけで解決しないところに難しさがある。今、米国の大統領選を睨みつつ、米軍再編(トランスフォーメーション)の記事がたびたび新聞紙上を賑わしている。在日米軍司令部が横田からキャンプ座間に。第5空軍司令部が横田からグアムに。横田に航空自衛隊を移駐させ、軍民共用に。厚木のNLP訓練が岩国へ。普天間基地が本当に辺野古へ移転するのか、嘉手納に統合かなど、様々な情報と憶測が飛び交っている。
 このような大きな米軍再編の流れの中で、原告数18、000名を越える基地騒音訴訟をはじめとする基地被害が日米両国政府にとって無視できない問題となっている。さらに、普天間基地のヘリ墜落事故も、住民運動の盛り上がりを見せ始めている。
 この大変動の時期において、新嘉手納や普天間の判決を迎えて、今後の基地訴訟の運動をどう盛り上げていくか、もう一度しっかりと検討し組み直していくことが必要である。





圏央道あきる野土地収用事件
― 一審勝訴判決を受けて思うこと ―

弁護士 伊藤克之

1 はじめに
 私は、2000年10月に弁護士登録し、縁あって圏央道あきる野土地収用事件の弁護団に参加する機会に恵まれました。本稿では、この事件の弁護団の末席を汚すようになってから感じたことを、2、3述べたいと思います。
2 あきる野の自然と圏央道について
 実際に圏央道の建設現場を見たのは弁護士になった後でしたが、地権者の中村文太さんのお宅にお邪魔し、庭(このお宅も庭も今はありません)でお茶を頂いたときには、東京にこのような静謐な場所があったことに感銘を受けたことを、一方で、あきる野IC建築予定地を見たときは、田園地帯に不似合いな高い橋脚がそびえている様に驚き、またその橋脚が1本約1億円かかると聞かされて、唖然としたことを思い出します。
 このような、東京に残された田園風景を破壊し、道路公害を拡散させる事業を「公共」の名のもとに推し進めることに理不尽さを感じ、公害が発生して事後救済を求めるようになる前に、道路公害を事前に抑止したいと考えるようになりました。
3 地裁と収用委員会
 しかし、道路という公共事業の違法性が認定された例は極めて少ない中、どのような主張立証をすべきか、悪戦苦闘を強いられました。
 私は、行政訴訟で主に騒音問題等に関する標博重さんの本人尋問を、収用委員会の公開審理で主に大気汚染の意見陳述などを担当しましたが、両者の手応えが全く違ったことを思い出します。
 収用委員会の審理では、委員が7人いるにも関わらず、聞いているのかどうかすら分からず、徒労感を抱きました。それに対し、行政訴訟の本人尋問においては、裁判長の補充尋問がこちらの問題意識を的確に踏まえたもので、裁判所が尋問に熱心に聞き入っていたことに確信を持つことができました。
 このような差は、独立行政委員会が本来持つべき中立性を放棄し、自らを起業者の協力機関と位置付けるようになった収用委員会の姿勢と、行政処分の違法性についてメスを入れた裁判所の姿勢の差によって生じたと思われます。
4 勝訴判決の感激
 弁護団の鈴木亜英弁護士は、判決後の記者会見で「35年間弁護士をしていて、これほど素晴らしい判決は初めてだ」という趣旨のことを述べました。私はその言葉を聞いて、初めての行政事件でそのような勝訴判決を得られたことの素晴らしさを改めて実感しました。勝訴したこと自体ももちろん、これまでの道路公害裁判の成果や、その成果を踏まえて私達が尋問や準備書面などで行った主張が的確に汲み上げられており、私達の苦心が報われたこと、何より「公害道路のための土地収用は許されない」という道理が通ったことに大変感激いたしました。
5 執行不停止原則について
 ただ、この事件では、本案訴訟の結審が3か月後に予定されていたにも関わらず、東京高裁により執行停止を認めた地裁決定を2か月で覆され、特別抗告・許可抗告も最高裁に棄却されたため、地権者の多くは本案訴訟の結審直前に明渡を余儀なくされました。また、地権者の病死により明渡がされていなかった不動産につき判決後新たに申し立てた執行停止も、勝訴にも関わらず、最高裁の抗告棄却を理由に却下されました。
 そのため、判決で事業が違法と認定されたにも関わらず、明渡を強制される事態に至りました。
 この事態の原因が、行政に偏った高裁の事実認定や法律適用にあることは確かですが、「事業計画の適否について早期の司法判断を可能にする争訟手段」(1審判決)がないことや執行不停止原則などにより、既成事実の積み重ねが可能なことが大きいといえます。
 日本で執行不停止原則が採用された背景には、行政への信頼があるとされていますが、無駄な公共事業と争っている私達の実感とはかけ離れています。執行不停止原則が採用され、「執行停止制度も有効に機能しない」(同)状況が、「司法によるチェック機能が十分に働かず、国民は行政のなすがままに任されている」(同)状態を生み、ひいては「行政のモラルハザード化」とでもいうべき現象を招いているのではと思われてなりません。
 行政事件訴訟法改正により、執行停止の要件が緩和されましたが、十分とは思われません。司法によるチェック機能を十分に働かせ、「行政のモラルハザート化」を阻止する、執行停止原則の採用に匹敵する抜本的な行政訴訟法規の改正の必要性を感じました。
6 最後に
 本件は、被告らの控訴により、東京高等裁判所での審理が始まります。
 行政訴訟などにおいて、高裁が不当な判断を続けていることに鑑みると、決して楽観はできませんが、私達は、1審判決で得られた成果を維持すべく全力を尽くしますので、今後ともどうかご支援のほどよろしくお願いいたします。





環境サマーセミナーに参加して

第57期司法修習生 古川 拓 (*)

 「環境サマーセミナー」に参加したのは初めてのことではなく、千葉で行われた去年の企画(講師は野呂・広田・堀の各先生)に続いてのことだった。前回参加した際には、野呂先生のジェントルな雰囲気と、広田先生のエレガント(と言うにはあまりにも凄まじい武闘派ぶりだったように記憶しているが。笑)な講義にすっかり魅了されてしまい、とても楽しいセミナーだったこともあって、今年の案内がJELFの方から来て以降、非常に楽しみにしていた。
 後期の研修所の殺伐とした雰囲気から逃れ、和光から茨城の土浦まで電車に乗ること約2時間。霞ヶ浦の湖畔に立つ国民宿舎「水郷」で、環境サマーセミナーが始まった。
 まず初めに、ゴミ弁連の池田直樹弁護士から、廃棄物問題についての講義が行われた。昨年の「武闘派」広田弁護士とはひと味違った「理論派」池田弁護士からは、廃棄物を巡る問題の現状や、実際に訴訟を行っていく際の醍醐味について「大阪能勢町ダイオキシン事件」等を題材に講義頂いた。単に一方通行ではなく受講者に発問する形式の講義は、緊張感溢れるおもしろい内容であった。
 続いて環境法律家連盟の早川光俊弁護士からは、地球温暖化問題への取り組みについて講義頂いた。早川弁護士の取り組みは、普段イメージしている「法律家」というよりはロビイストといった印象を受けたが、図や表を多用しての問題点の提示は非常にダイナミックであり、今後色々な方面へ法律家が進出していく一形態の先駆けであると思えた。
 最後に公害弁連からは西村隆雄弁護士に、東京大気汚染訴訟を題材とした講義をいただいた。ドキュメントビデオを観た後にこれを踏まえて講義をいただいたが、具体的訴訟において相手方証人を論駁していくという戦術的側面における苦労話などは、非常にエキサイティングであったし、また別面では、環境事件が常にねばり強い運動によって支えられていくということを改めて思い知らされた。
 夜は講師の先生方も交えて懇親会が行われた。参加者全員が自己紹介を行い、講演を聴いた感想や日頃の想いをそれぞれ語った。講師の先生方からは、弁護士を目指す契機となった学生時代の原体験を話して頂くなど、場所を変えて行われた2次会を含め、ざっくばらんなお話が聞けたことは非常に有意義であった。
 2日目は、1日目の講義とは趣向を変えて、霞ヶ浦の環境回復と地域おこしに取り組むNPO法人「アサザ基金」の活動についての現地見学に向かった。猛暑の中、代表の飯島さんに1日かけての懇切丁寧なご説明をいただいたが、単に環境の回復だけではなく、その地域を再生することを同時に行うというスタイルは、公害弁連の弁護士の方達が共通して仰ることに正に合致しており、単に「飼い慣らした」「テーマパーク的」自然を再生するという、自己満足的環境保護に堕しない「有機的」環境の維持発展の重要性を再認識した次第である。
 今回の環境サマーセミナーを一言で総括すると、やはり実務家としてスタートを切ることが直前に迫ったこの時期に、自らがどのような視点をを持ち、事件にどのようなスタイルで取り組んでいくのか、といったことを改めて考える機会をいただいた点にあろう。
 どの講師の先生方も、環境問題を単なる法律上の(法廷内の)問題に矮小化することなく、広く社会システムに対しての問題提起(例えば安易なスクラップアンドビルド、フリーライダー等に対する)を積極的に行っていくという明確な視点を持っていらっしゃった。また、実際の事件に対する取り組みでも、訴訟を解決の一手段として位置づけ、有効であれば公害調停その他の非訟手続から法廷外での交渉まで、あらゆる手段を講じるという柔軟性にも学ぶことが多かった。
 これに加えて今回、ロースクールの学生の方達との交流の機会が持てたことも有意義だったと思われる。今回参加されたロースクール生の方々は、それぞれ豊富な社会人経験や国際NGO等での活動を積んでこられた方が多く、社会人としての経験の全くない私にとっては、そう言った方々が近い将来法律家として活躍されることを思うと頼もしく思う反面、戦々恐々たる思いをも同時に感じた。
 最後に、経済的援助も含めこのような得難い講演・見学の機会を与えてくださった3団体の諸先生方に感謝の意を表するとともに、10月以降実務家としてスタートを切ることができた暁には、是非その末席を汚させて頂きたく思っている次第である。

(* 肩書きは原稿執筆時)