尼崎公害患者・家族の会
会長 松 光子
2000年1月、大気裁判史上初めての「差止め」を認めた完全勝訴を勝ち取りました。
その後、同年12月8日国・公団(現阪神高速会社)と和解、和解条項に基づき、大型車の削減、交通規制等による沿道周辺の環境改善に向けた「道路連絡会」が設置されましたが、国側のすべて一方的な回答、誠意ある対応が示されず、第二回連絡会も成果なく、連絡会とは別に近畿整備局と交渉しましたが、和解条項の大型車削減、規制は出来ないと回答、私達は再び裁判提訴も考えましたが、2002年10月に公害等調整委員会に「あっせん」を申請、公調委による8回に及ぶ審議の結果、ほぼ原告の主張を認めた「あっせん案」が提示されました。
① 大型車削減のための総合的な調査を実施する。
② 環境ロードプライシングを試行する。
③ 大型車の交通規制、車線削減の可否の検討を警察庁に申請。
④ 連絡会の運営を円滑化する連絡会の公開と適宜開催。
⑤ 関係機関等との連携を推進する。
⑥ 調査対象地域を国道2号線以南尼崎南部地域とする。
公調委のこの「あっせん案」を国・公団、原告団双方が受け入れて「あっせん」が成立しました。
私達は「あっせん」の内容が、私達の望んでいた道路沿道周辺の環境改善につながると非常に喜びました。また、連絡会も公開になり、年一度でなく何度も話し合うことが出来るので、今までのように何を申し入れても黙ったままでイタズラに時間が過ぎ去った苦い経験から、公開になれば、話合いはスムーズに進み、近い将来道路公害は軽減され少しでも住み良い環境になる!!と期待感は大きいものがありました。
しかし、私達の期待はものの見事に裏切られました。
確かに大型車の交通量削減の為の「アンケート調査」も実施され、「環境ロードプライシング試行」も2回にわたり実施されました。その結果、国道43号線の大型車は減少し、湾岸線に変更する車が増加しました。
さらに、2008年7月、警察庁よりの回答が出ました。(別紙参照)この回答のなかにも規制の受け皿となる迂回路(湾岸線への変更)が不可欠と指摘され、国土交通省に対し検討を求めましたが、国交省は環境ロードプライシングの必要性は認めるものの実施の具体化については、言葉を濁して回答していません。
環境ロードプライシングも、バリアフリーその他何一つ実現せず、僅かに成果のあったのは、大型車の交通量削減の為のアンケート実施、ロードプライシングの社会実験、交通量の大掛かりな調査、そして警察庁への大型車削減の可否の検討依頼と回答と目に見えるものは何もなく、和解から8年、30回に及ぶ連絡会開催に至っています。
私達の闘いは、当初「国交省の仕事は道路を作ることで、沿道の環境までは考えていない」発言から「あっせん」に至りました。
裁判での正しい判断、公調委による「あっせん」このことが、道路公害激甚地域の運動であり、この地域に生きる人々の願いをかなえてくれる支えでもあります。
原告も1/3が亡くなり、残された人々も高齢化、重症化し、それでもこの町で生まれ、この町で育てて貰った恩があり何としてでもこの町を守る為には絶対に引き下がれない。次世代の人々も大勢参加してくれている「会」をあげての大きな柱としてこれからも「差止め判決」「あっせん」「警視庁の回答」を支えとして活動してゆきます。
この間、連絡会関係(あっせん9回+連絡会30回)参加者数は
① 患者・原告団関係 3,210名
② 弁護士 207名
③ 学者 95名
を数えています。