大阪じん肺アスベスト弁護団副団長 弁護士 村松昭夫
公害弁連担当 弁護士 伊藤明子
1 大阪・泉南アスベスト国家賠償訴訟について
2006年5月26日、大阪・泉南地域のアスベスト被害者8名が国の規制権限不行使の責任を追及して提訴した大阪・泉南アスベスト国家賠償請求訴訟は、今秋いよいよ結審し、来春にも判決を迎える見込みである。一次提訴後、追加提訴を行って現在28名の原告で闘いを進めているが、すでに提訴後に亡くなった原告もいる。
大阪・泉南地域は、約100年にわたる全国一のアスベスト産業の集積地である。原料石綿から石綿糸や石綿布を作る一次加工品の製造を中心に、戦前は戦闘機や軍艦などの軍需産業を、戦後は肥料増産のための電解膜や自動車・造船など経済復興や高度経済成長期の基幹産業を下支えしてきた。泉南地域の石綿工場は最盛期200社以上に及び、石綿紡織品の生産額は全国シェアの約80%を占めたという。
当然のことながら、泉南地域では石綿被害もすでに戦前から進行していた。泉南地域を中心とする石綿被害の労働衛生調査(保険院調査)は、国自身の手により、早くも戦前、昭和1937年から1940年にかけて行われていた。同調査は1,024人を対象にした大規模かつ詳細な調査で、うちX線撮影者650人中のじん肺罹患率は実に12%以上に及んだと報告されている。また、調査にあたった医師らが、すでに法規的取締りの必要性を提言していたことは重要である。しかし、戦後も泉南地域の石綿被害は改善されることなく進行し、劣悪な労働環境は、そのまま工場近隣に深刻なアスベスト公害を発生させた。
こうした中、国は、被害発生と対策の必要性を認識しながら、石綿による健康被害に関する警告、石綿製品の危険性に関する表示、石綿の排出抑制や厳重な取り扱い等必要な対策と規制を怠ってきた。石綿の経済的な効用を優先させて、あえて飛散防止の不十分な劣悪なままでの工場操業を黙認し、そのことで一層の被害拡大をもたらすという「意図的な怠慢」を行ってきたのである。
大阪・泉南アスベスト国賠訴訟は、かかる国の規制権限不行使の違法を追及しているものであり、石綿工場での元労働者、近隣住民、家族などが訴訟に立ち上がっている。
訴訟は、2006年8月30日の第1回弁論期日以後、すでに19回に亘る弁論が開かれ、2008年7月からは原告、被告双方の専門家の証人尋問が、本年1月からは順次原告本人尋問が行われている。この間の経済政策学(アスベスト被害の社会経済構造から見た国の責任)、医学的知見、工学的知見に関する専門家証人の証言は、国の不作為の違法をより一層明確にした。戦前の保険院調査の提言に従って速やかに対策をとっていれば、これほどまでの被害拡大が防げた可能性があることは、国側の証人ですら認めざるをえず、また、粉じん防止対策の技術も、すでに戦前のイギリスやアメリカでは実用化されており、日本でも十分な工学的知見があったことが明らかにされた。残る今年7月末までの尋問期日では、被害者である原告や遺族の苦しみをいかに浮き彫りにするかが最大の課題である。法廷は毎回大法廷を使用して行われており、原告や家族はもちろん、公害患者会、公害関連団体、地元の「市民の会」、労働組合、さらにはアスベスト問題に関心を持つ市民など多数が参加し、熱気溢れる法廷となっている。
本年1月24日には、来春の判決へ向けて世論の支持を受けるべく、「国は、知ってた!できた!でも、やらなかった!」を合い言葉に、公正判決を求める30万人署名スタート集会を開催し、220名の参加を得た。アスベスト被害の全面的な救済と万全な対策には、国の責任を明確にすることが不可欠である。法廷内外の活動をさらに充実させ、来春には何としても勝訴判決の報告をしたい。
2 ゼネコンなどの個別企業責任の追及について
弁護団は、国賠訴訟と並行して、労災やアスベスト新法を活用した救済活動や継続的な医療法律相談、ゼネコン相手、港湾関連の倉庫会社相手、アスベスト製品を使用していた企業相手などに対する訴訟活動等を行っている。2008年9月には、泉南地域の唯一の大手企業であった三菱マテリアル建材(旧三好石綿)との請求人団との和解交渉が成立し、胸膜プラークのみの被害者を含む請求人全員の被害救済を図ることができた。さらなる被害救済のため、現在、第二次請求人団の活動を準備中である。
また、本年2月21日には、各地の弁護団・弁護士に呼びかけて、アスベスト企業責任追及弁護士交流会を企画し、経験交流・情報交換を行った。今後も被害者救済のためレベルアップを図るとともに、引き続きアスベスト被害の掘り起こしの重要性を認識したところである。
3 アスベスト被害の救済に向けた全国的な闘いを
アスベスト被害は複合型ストック災害であり、採掘、製造、流通、消費、廃棄とあらゆる場面で被害が発生しており、その被害救済はやっと手が付けられたところである。
2007年には尼崎においてクボタと国の責任を追及する訴訟が提起され、首都圏でも昨年5月、建材メーカーと国の責任を問う約200名の建設労働者の集団提訴がなされたが、やっと、全国的な救済運動に火がついてきたというところである。
公害弁連は、公害被害者の救済に向けた闘いで多くの経験と知恵を蓄積しており、その経験と知恵をアスベスト被害の救済に生かすことが求められている。再度、全国的な救済運動を巻き起こすことを呼びかけたい。