よみがえれ!有明海訴訟弁護団
弁護士 後藤富和

1  開門にむけて
 2008年6月27日、佐賀地方裁判所は、有明海漁業者らの請求を認め、農水省に対して、諌早湾干拓潮受堤防の開門を命じる判決を下した。
 判決は、国に対して「本判決確定の日から3年を経過する日までに、防災上やむを得ない場合を除き、国営諌早湾土地改良事業としての土地干拓事業において設置された、諌早湾干拓地潮受堤防の北部及び南部各排水門を開放し、以後5年間にわたって同各排水門の開放を継続せよ」と命じた。
 この訴訟は、諫早干拓による環境破壊によって漁業被害を被った有明海沿岸4県の漁業者と全国の市民らが、潮受堤防の開放などを求めて、2002年11月に提訴していたものである。
 判決は、「本件事業のように大規模な公共事業を実施した被告(国)としては、これにより有明海の漁業に被害を及ぼしている可能性がある以上、有明海の漁民らに対し、率先してその当否を解明し、その結果に基づいて適切な施策を講じる義務を一般的に負担していると言うべきであって、そのためにはもはや中長期の開門調査は不可欠である。有明海のような広大な海洋の環境変化の原因を、本件訴訟の原告(漁民や市民)らのような一私人が解明することは困難なのであって、被告としては、本件事業と有明海の環境変化との因果関係について、自ら一般的には立証責任を負担していないからといって、それを根拠に、これを放置することは到底許されるものでない。当裁判所としては、本判決を契機に、すみやかに中長期の開門調査が実施されて、その結果に基づき適切な施策が講じられることを願ってやまない。」と判示し、中長期開門調査をサボタージュし、その犠牲を漁業者らに負わせてきた農水省の姿勢を厳しく断罪した。
 判決を受けた有明海の漁業者らは、これで漁業を続けられる、自殺者が出なくてすむ、息子に跡を継がせることができると歓喜の声をあげた。佐賀地裁判決は、有明海沿岸の漁民や市民に喜びをもって受け入れられた。
 しかし、国は期限前日の7月10日夜に控訴した。同時に、農水大臣は圧倒的世論に押され「開門調査のための環境アセスメントを行い、開門調査を含め今後の方策について、関係者の同意を得ながら検討を進めていきたい」との談話を発表した。
 もっとも、この環境アセス先行論は、開門を先送りするための使い古されたテクニックである。そもそも、農水省には、自ら設置したノリ第三者委員会の中長期開門調査について、開門の期待を抱かせながら、賛否両論があることを口実に、客観性を装った「調査・検討」を行い、結局、その期待を裏切った前科がある。
 例年繰り返す不漁と累積する漁業被害の深刻さを思うとき、いわゆる「開門アセス」を農水省まかせにして、開門を実施しない口実作りに終わらせ、歴史の過ちを繰り返すようなことは、決してあってはならない。
 開門を実施するうえでの論点・課題・保全対策に関する議論は、この間、裁判の審理を通じて、あるいは、国会議員の勉強会のなかで、すべて出尽くしている。
 農水省のいう開門を困難とする理由は、たとえば、「大量の海水の出入りによる排水門の近傍の速い流れやそれに起因する濁りの発生等により、海域の漁場環境や漁船航行等漁業への影響が生じるおそれがある」「開門により調整池水位に干満が生じるため、潮受堤防の防災機能の維持が困難となり、洪水時の湛水被害や常時の排水不良が生じる」「干拓農地ではかんがい用水がなくなる」「調査に長い年月を必要とし、その成果は明らかではない」などである。
 これらに対しては、研究者の協力のもとに、漁民側からすべて反論がなされ、必要な対策の提案がなされている。
 第1に、海水の出入りによる流れの変化に起因する問題については、開門方法の問題として論じることができるものである。
 第2に、調整池に干満差が発生すること、調整池の淡水が海水になることから発生する、防災上の問題や干拓農地の農業用水代替水源の必要は、開門に必然的に伴ってくる問題であり、排水ポンプの増設や干拓農地周辺に存在する代替水源の開発によって対策が可能である。
 第3に、開門の成果が明らかでないなどのその他の問題については、そもそも開門拒否の根拠となりえないものである。
 重要なことは、これらの課題については、すでに漁民側から、研究者の協力を得て、具体的な対応策が提案されているので、現時点では、その対応策の具体化の検討をしさえすればよいということである。
 そもそも開門アセスは、佐賀地裁判決とこれを支持する国民世論を背景にして登場したという経緯からすれば、本来、実施することを前提にしなければならないものである。当時の鳩山邦夫法務大臣も同趣旨のコメントを残している。
 この間、開門実施をめぐる論点・課題は出尽くし、対策も具体的に提案されている。残されているのは、その対策の具体的な実施についての検討である。開門アセスの手続は、それを合理的かつ民主的に行うにふさわしいものでなければならない。
 このような課題を有する開門アセスは、環境アセスメントの事後調査であり、有明海再生を目指す再生事業というべきである。これらに関連する法規・制度が定める手続は、事業者である農水省まかせにすることをよしとせず、事業者から独立した中立的な第三者委員会の指導・助言や、広範な関係者とのラウンドテーブルを含めた協議、関係省庁の連携などを必要としている。これらの点からしても、農水省主導の唯我独尊的な開門アセスの手続は許されない。
 そして、もっとも重要なのは、開門アセスが問題となった経緯からして、実質的な開門の当事者ともいうべき原告等漁民との協議である。国は、現在、係属している訴訟の場(たとえば、長崎地裁)において、まずは、裁判所の指導・監督のもとに原告等漁民との協議を開始すべきである。
 それこそが、開門アセスを真に有明海再生の手続にし、広範な国民の開門世論を裏切らない唯一の途である。

2  国際的世論
(1)  ラムサール条約会議
 2008年10月下旬から11月初旬に韓国で開催された第10回ラムサール条約締約国会議に弁護団の弁護士も参加した。
 ラムサール条約は、湿原の保全に関する国際条約で、日本も1980年に加入し国内37ヶ所の湿地が国際的に重要な湿地として条約に登録されている。
 本会議に先立ち、順天市(スンチョン市)で開かれたNGO会議では、湿地環境保全に逆行する愚行として、わが国の諫早湾干拓事業に非難が集中した。会議では、「セマングム事業は韓国のイサハヤだ」などと「イサハヤ」が公共事業による環境破壊を表す代名詞として通例され、イギリスの研究者からは「イサハヤの与えた負の影響は甚大である。でも、失われた環境を回復するために水門を開けることは可能である。日本政府が開門を決断しなければ世界各国のNGOは日本政府を非難するだろう。」と、昨年6月27日の佐賀地裁判決を踏まえた建設的な意見が飛び出した。NGO会議の成果を踏まえた順天(スンチョン)NGO宣言の採択でも圧倒的な賛成で、宣言文に「イサハヤ」問題が取り上げられることとなった。
 本会議は昌原(チャンウォン)市で行われた。本会議場の隣のエキシビションのスペースでは、政府機関やNGOが様々なブースを出し、日本からも、WWFジャパン、日本自然保護協会、日弁連、有明海漁民・市民ネットワークなど様々なNGOがブースを出しており各国の政府関係者が訪れとりわけ日本の弁護士の活動に強い興味を示していた。本会議では、NGOの宣言が議題となり、正式に決議22として東アジアフライウェイ(渡り鳥の渡りのルート)の緊急の保護が採択された。この決議は、特に日本の諫早湾(有明海)と泡瀬干潟(沖縄県)、韓国のセマングム干拓において世界に類例のない環境破壊が行われている実情に鑑み採択されたものである。また、本会議では、一度失われた湿地を再生させる取り組みに対しても今後積極的に評価していこうとの決議がなされたが、この決議が公共事業によって豊かな干潟が奪われたイサハヤを念頭に置いているのは明白である。

(2)  韓国水環境大賞受賞
 同年11月12日、よみがえれ!有明弁護団は、韓国環境府、韓国環境運動連合、SBS放送の共催による第1回水環境大賞の国際部門賞「ガイア賞」を受賞した。この賞は、水と水辺環境を保全することの大切さを訴え、その取り組みを前進させることを目的として、先進的な取り組みをした団体・個人を表彰するものである。
 今回の受賞は、破壊された自然環境を干拓事業終了後も、漁民、市民、研究者とともに活動し粘り強く戦い成果を生み出した取り組みが韓国社会から高く評価された結果である。
 ソウル市内で行われた華やかな授賞式には、馬奈木昭雄弁護団長以下、弁護団、漁民原告、支援者ら多数が出席し、その模様は1時間半にわたり韓国全土に生中継され、韓国の国民的英雄である宇宙飛行士第1号の女性がガイア賞のプレゼンターとして登場し、彼女が「よみがえれ!有明訴訟弁護団」と呼びかけると会場から大きな拍手が起こり、スポットライトを浴びた馬奈木団長が壇上に昇り受賞スピーチを行った。スピーチが終わると、諫早干拓の歴史と私たちの戦いを紹介する映像が流れ、ドミノ倒しのように鉄板が諫早湾に落とされていくギロチンの映像から始まり、漁民の海上デモ、佐賀地裁での勝訴、そして、弁護団会議の模様などが流れた。

3  まとめ
 佐賀地裁の開門判決、この間の国会での行動、そして国際的な世論の盛り上がりを背景に、有明弁護団はこれまで以上に漁民、市民、研究者と協力し合い、有明海をよみがえらせるまで全力を傾ける所存である。