薬害イレッサ東日本訴訟弁護団
弁護士 阿部哲二

1  2002年7月に、わずか5ヶ月余の審査で世界で最初に肺がん用抗がん剤として承認されたイレッサは、副作用が少ない夢のようなクスリという前評判とは逆に、その後2004年末までの2年半で600人近い副作用死を出した。
 薬害イレッサ東日本訴訟は、このような状況の中で、2004年11月に、国とアストラゼネカ社を被告として、たった1名の患者の遺族が提訴して始まった。

2  原告側の主張の中心は、イレッサには製造物責任法(PL法)上の欠陥があるとするものである。具体的には①設計上の欠陥、②指示警告上の欠陥、③広告宣伝上の欠陥、④販売上の指示における欠陥、⑤適応拡大による欠陥など多方面に及んでいる。また、国にはイレッサを承認した過失と、規制権限不行使の責任を追及している。
 そして、2004年以降の訴訟と、訴訟外での幾度もの試験は、イレッサの欠陥性を徹底的に明らかにしてきた。イレッサは、承認後6年の間に他の抗がん剤や偽薬との比較試験を繰り返してきたが、ついに日本人にあっては数ヶ月の延命効果さえ確認できなかったのである。

3  証拠調べは、原告側3医師の証人尋問を申請して行ない、被告側からも3医師の証人尋問が2008年秋までに行なわれ、総論についての大枠の立証を終えた。
 そして、秋にようやく、東日本訴訟の3人目の患者の遺族が訴訟に加わった。
 イレッサ承認直後の2002年9月に父親がイレッサを服用してあっという間に亡くなってしまった。元々、肺線維症という疾病があったことから、イレッサを投与してはいけなかった。ところが、この点についての指示・警告を全く欠いてイレッサが販売されていたのである。

4  2009年2月から3月には、ほぼ2日間にわたって原被告がその主張等を展開するプレゼンテーションが行なわれる。
 7月16日には本人尋問が行われ結審という段階であり、今年は正に決戦の年となる。

5  私達はこの訴訟を通じて
① 被告らが責任を認めて謝罪すること。
② きちんとした償いをすること。
③ イレッサに対する規制をすること。
④ 抗がん剤による副作用死被害救済制度を作ること。
⑤ 承認のあり方をに見直すこと。
を求めている。
 これらが一日も早く実現できるよう、訴訟で追いつめ、運動を広げていきたいと考えている。
 是非、一層のご支援をお願いします。