(1)  水俣病をめぐる闘いの概観
 平成20年12月末日現在、熊本・鹿児島両県で、6,222名の水俣病患者が公健法上の認定申請を行い、新保健手帳申請者は、両県で22,491名(うち交付者数は19,843名)に達する。昨年より認定申請者数は約500名増、新保健手帳においては約2,000名の増加がみられる。つまり、水俣病患者は今日に至っても全国各地に取り残されており、合計で2万6,000名以上の水俣病患者が、声を上げ続けている現状である。
 水俣病をめぐる闘いは、1996年5月22日の政府解決策を踏まえた裁判所における和解を経て、2004年10月15日、最高裁判所は水俣病における国、及び熊本県の賠償責任を断罪し、現在の水俣病認定基準を否定して感覚障害だけの水俣病を認めた。そして、この判決の後、続々と水俣病の認定申請を求める人が続出し、2005年10月3日ノーモア・ミナマタ国賠訴訟が司法救済制度による解決を求めて提起された。
 こうした中で、今年は水俣病公式確認53年目を迎え、1996年の解決の意味を踏まえて、現在も取り残された多くの未救済の水俣病患者を最後の一人まで救済するための制度構築こそが最重要の課題となっている。

(2)  水俣病被害者をめぐる状況
1)  1995年12月15日の政府解決策の二つの側面
①  いわゆる水俣病第三次訴訟における水俣病全国連を中心とする水俣病患者の闘いが、政府解決策を引き出し、1977年に打ち出された、いわゆる52年判断条件による水俣病患者大量切り捨て政策を転換させ多くの水俣病被害者を救済したことは、水俣病患者が「生きているうちに救済を」強く求めていたことからして高く評価されるべきことである。それはまさに、どんなによい解決でも「お墓に布団をかぶせる」ようなものであってはならないからである(足立昭二裁判長)。
②  一方で、水俣病第三次訴訟第1陣の控訴審である福岡高裁における和解協議を担当した友納治夫元裁判長は「私共が試みた和解協議の中で、病像論にしても責任論にしても、先ほど申し上げた意味で少し引いた姿勢を裁判所がとった、そして国の政治決着の中で、やっぱりそれらの点をはっきりさせていない。これはもし何か関連があるとすれば大変遺憾だなと思うわけで、そのことが現在も尾を引いているとすれば大変不幸なことだと思います」(「水俣病救済における司法の役割」花伝社102頁)と発言しているとおり、政府解決策においては、行政の責任、及び、水俣病患者としての救済という点が後退したのも紛れもない事実である。この点、司法救済システム(現在進行中のノーモア・ミナマタ訴訟においては「司法救済制度」と呼ぶ)においては、この点を放置したままの解決はないのであって、この友納元裁判長の発言は、司法救済システムと政府解決策の関係を的確に示唆するものである。
 もっとも、和解を内実とする司法救済システムにあっては、行政が任意に参加しない場合には現行制度としては実現不可能になるおそれがあり、この場合に司法救済システムをどのように構築するかは、常に検討されるべき課題である。
 この点、2008年10月3日、与党水俣病問題対策プロジェクトチーム(いわゆる「与党PT」)の座長である園田博之衆議院議員は、訴訟を遂行する原告らと裁判所における和解も可能である旨の発言をしている。

2)  水俣病関西訴訟最高裁判決の二つの側面
 2004年10月15日、最高裁判所は水俣病関西訴訟最高裁判決を言い渡した。

①  この判決は、感覚障害だけの水俣病を認めたことのほかに、行政(国及び熊本県)に賠償責任を認め、1995年12月15日の水俣病政府解決策の法的根拠を与え、かつ、熊本や鹿児島で水俣病をめぐる認定申請や提訴を促した点で高く評価されるべき判決である。すなわち、この判決は水俣病患者の闘いの正当性を認め、これを大きく鼓舞し、また、上記のように、この判決により潜在的に取り残されていた多くの水俣病患者が手を挙げて名乗り出る勇気を与えた最上級審の確定判決である点で歴史的に高く評価されるべきである。
②  しかしながら、一方で、この判決は、司法認定と行政認定の水俣病というダブルスタンダードを容認するがごとき事態を認めたこと、さらに、水俣地区から関西地区に移住した原告に除斥期間を適用したことなど、すべての水俣病患者救済を図る上で環境省、熊本県や原因企業チッソの正義なき責任逃れを許す弱点も併せ持つものである。すなわち、この判決が、環境省に行政救済システムの変更を拒否する口実を与え、チッソに除斥期間など責任逃れをする口実を与えた点で、水俣病患者の闘いに新たな試練を与えたという側面も持ち合わせていることを見過ごしてはならない。
3)  水俣病被害者をめぐる新たな状況
 水俣病第3次訴訟の時点では、原告らを主に診断し法廷でも医師証人となった藤野糺医師等は現地の医師からも疎外され、ニセ患者製造機のような中傷を受けて来た。しかしながら、政府解決策以来、水俣市・芦北郡医師会は水俣協立病院の医師を会員として受け入れ、医学的にもその成果を評価するなど大きな転換を示している。こうした中で、多くの医師が、水俣病の診断書を書くという新たな事態が生まれ、現在に至っている。
 また、06年の水俣病公式確認五十年事業で、水俣市民の中にも大きな変化が生まれている。06年3月12日の「水俣病五十年フォーラム」では友納治夫元裁判長、大石利生ノーモア・ミナマタ訴訟原告団長が報告者に名前を連ねた。また、出版事業では水俣病裁判の役割が大きく見直されるというあらたな状況も生まれている。
 また、環境大臣の私的諮問機関であった水俣病懇談会が、水俣病の認定基準をめぐって環境省の意図とは違う独自の答申を出そうと努力したことなどは、かつてなかった新たな動きであった。

(3)  水俣病被害者の新たな闘い
 こうした中で、最高裁判決後、熊本・鹿児島両県で新たに水俣病認定申請者が合計で6,222名も名乗り出て、さらにこれとは別に、19,843名が新保健手帳の交付を受けるなど(08年12月末日時点)、水俣病被害者の闘いは全く新しい歴史的段階を迎えている。
 この闘いの中で、1,600人を超える水俣病被害者が原告となり、国・熊本県・チッソを被告に新たに訴訟まで提起したことは、当初の予想をはるかに超え、誰もが予想し得なかった被害者の闘いが起こっている事を示している。この裁判の動きはノーモア・ミナマタ国賠訴訟の範囲を超えて、いくつかの患者団体にも大きく広がった。
 すなわち、これまで、集団訴訟による司法解決までは踏み込まなかった水俣病被害者互助会も、ノーモア・ミナマタ訴訟と同様の国家賠償訴訟に踏み切り、司法解決の道を突き進んでいる。また、新潟でも、いよいよ法廷闘争が動き出している。
 こうした闘いに対して、九州弁護士会連合会は「水俣病被害者放置は人権侵害」と国、熊本県などに警告しており、水俣病被害者の闘いを大きく支持するものになった。そして、日本弁護士連合会も、08年6月、水俣現地に赴いて被害実態調査を行い、同年11月には水俣病の最終解決のためのシンポジウムを開くなど、弁護士会をあげて水俣病問題が取り上げられるに至っている。
 そして、水俣地域から数千名が移住したといわれる近畿地方の水俣病患者らも立ち上がり、09年2月27日、水俣病不知火患者会近畿支部の会員12名が国、熊本県、チッソを被告として損害賠償訴訟を提起した。
 これらの多くの水俣病患者らの闘いの拡がりは、多くの水俣病患者らが救済されぬまま取り残されていたことを実証した。しかし、このように最高裁判決によっても正当に救済されない水俣病患者らが提訴までしなければならない現状は、かつて水俣病第2次訴訟控訴審判決において、「認定基準が厳格に失する」と真正面から否定されても認定基準を改めず行政の大量切り捨て政策を突き進んだために、やむなく提訴に至らざるを得なかった第3次訴訟当時の状況と、驚くほどの相似形をなしている。
 それは結局、以下に述べるような加害者側の無責任な態度に起因するものである。

(4)  加害企業チッソ・国・熊本県などの動き
1)  政府、環境省などの動き
①  第2の政治解決策(与党PT案)の提示
 環境省は、最高裁判決後も、現行認定基準による行政認定制度をあくまでも変えないとして、まさに司法を無視する政策を継続した。そして、水俣病の被害を矮小化するために05年10月、緩やかな条件の下にいわゆる新保健手帳を交付して認定申請、訴訟を押さえ込もうと画策した。その後、この新保健手帳による押さえ込みが出来ないとわかるや、いわゆる第2の政治決着路線を模索してきた。
 07年4月から10月にかけて、与党PTは、調査費用として約8億円を予算計上して、救済対象になりうる人数や症状、日常生活の支障などを把握し、救済内容を検討すると同時に、①認定申請者らを救済する姿勢を打ち出すことで、熊本・鹿児島の認定審査会の前委員を説得し、②チッソに救済策実施に伴う費用負担を求める説明材料とする狙いとしたアンケート調査などを実施した。
 この調査は、対象者を認定申請者・新保健手帳交付者とするもので、その全員を対象に月1回のアンケート調査、うち5%については無作為抽出でサンプル調査、アンケート調査票の内容は水俣病に特徴的な神経症状や日常生活での身体能力・支障の程度・季節的変化などを聴取するものであったが、調査の謝礼は5,000円、経費は1人6,000円(2007年1月12日熊日夕刊1面)とされるなど、異例のものであった。
 これを受け、07年10月25日、与党PTは、現在、申請患者が急増している水俣病未認定患者につき、04年に最高裁で下された司法基準はもちろんのこと、95年の政治解決をも下回る水準で、しかも、申請については期限を付して、ある一定の期限を過ぎればその後は一切の救済に応じないとする旨の政治決着案を発表した。
 具体的には、行政が指定した医師の診断のみにより、四肢抹消優位の感覚障害が認められる人に対し、①一時金150万円、②毎月の療養手当1万円、③医療費の自己負担分を全額免除するという内容である。
 これは、民間の医師の診断書による審査を排除している点で大量切り捨ての危険性を孕んだものであると同時に、司法判断で示された賠償水準を無視し、しかも、一定の期限までに申請しなければその後は一切救済しないという制度であり、最高裁判決で断罪された水俣病の発生・拡大の加害者として、無責任かつ恥知らずな提案である。国は再び多くの水俣病患者を切り捨てることを公言したのである。
 同案に対しては、その直後に一部の患者団体が受け入れを表明したものの、その実態が、救済対象者を認定申請者及び新保健手帳所持者の約4割にとどめるものと発表されたことから、圧倒的多数の患者団体が猛反発するに至り、後述するように、チッソにも拒否されるなどして、実施が遅れた格好となった。
 しかし、政府は、09年度財務省予算原案に、原因企業チッソが政府解決策に応じることを前提にした援助費として22億9,500万円を計上し、後述するように、チッソ分社化法案と認定制度の廃止を前提とした新救済策とを一体化した「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の最終解決に関する特別措置法」案を09年3月の国会に提出しようとしている。
 これは、まさに究極の加害者救済というべき政策である。潜在的な水俣病患者の掘り起こし調査すら行わず、どのくらいの水俣病患者が存在するのかすら不明の状態で、公健法上の指定地域を解除し認定制度自体を終了させるというのである。水俣病患者が取り残されていることを知りながら、故意に水俣病患者らを闇に葬らんとするものであって、水俣病史上最大の汚点となる政策である。
 また、新保健手帳も「訴訟提起を許さない」とする制度であって、これはすべての国民に裁判をする権利を認めた憲法第32条に反する違憲かつ違法な制度と言わざるを得ない。

②  国際的な水銀規制問題
 ところで、中国やブラジルなどの発展途上国で金を採掘する際に使われた結果、環境中に放出される水銀は、世界の総水銀排出量の3分の1に当たる年間1千トンに達し、最大の水銀汚染になっているとの国連の報告書が明らかになった。そして日本は、2006年には約236トンの水銀を「輸出」している。日本は水銀を産出しないので、これらは日本国内で回収・保管されていたものであり、イラン、香港、インドなどに輸出されている(2007年1月28日熊日)。このような状況の中、これまで、日本は「法的拘束力のある条約制定」と「各国の自主的対応」との間で曖昧な対応を続け、近時指摘される長期の水銀微量汚染が胎児の発達に与える悪影響においても決して先進的とは言い難い対応に止まっている。
 これに対し、原田正純熊本学園大教授は「日本は水俣病の認定を意識するあまり、胎児期汚染を含む軽症例の研究を怠り、国際社会に発信するチャンスを自ら捨ててきた。胎児性患者を対象とした被害認定基準づくりや汚染メカニズムの解明など、日本がすべきことは山積している」(2009年2月22日熊日)と述べ批判している。このように我が国の姿勢は、自国の水銀汚染被害についてきっちり調べることをせず、その一方で水銀汚染を世界に広げるものである。そうでありながら、さらにアジア地域の経済成長による環境汚染だけを殊更問題にするのであれば、自国はおろか世界の環境破壊に対する無責任な態度といわざるをえない。
 その後、09年1月20日にアメリカ大統領に就任したオバマの政策転換により、09年2月20日、ケニアのナイロビで開催された第25回国連環境計画(UNEP)管理理事会において、2013年までに水銀規制条約を締結する方針が決まった。そのために、2010年には政府間交渉委員会を設置し条約制定の準備に入るとのことである。本来であれば、この条約制定の推進役は、水俣病の教訓から水銀規制の必要性を学んだ日本であるべきであった。しかし、変革を掲げるオバマ政権の環境問題に対する姿勢を示す格好の場となった現実は、国際社会からみても恥ずべきものである。
2)  熊本県の動き
 最高裁判決直後の04年11月、熊本県は、水俣病解決に向けて前出の不知火海沿岸住民47万人の調査を提案し、鹿児島県も認定審査会委員への働きかけをやめるなど地方自治体に国の水俣病政策への不信感が表明された。
 ちなみに、熊本県は、総合対策医療事業は国と県で費用を折半していたが、平成18年12月に総務省から特別交付税を交付され、これにより国75%、県25%となった。但し、最高裁判決以後の新保健手帳では国80%と県20%となっている。
 このような費用負担割合の下で、日々、新保健手帳申請者が増え続ける中、熊本県は本心では自らの財政負担の軽減のみに腐心しつつ、表向きは国の与党PTの方針に追随するのみである。金澤熊本県副知事は、第2の政治解決策である与党PT案の受け入れを拒否するチッソ本社に出向き、与党PT案の受け入れを要請した。その後、08年3月23日投開票が行われた熊本県知事選挙で初当選した蒲島知事も、09年1月15日、斎藤環境大臣にPT案実現を切望し、園田座長にも早期解決を要求するなど、国と別個に独自の救済策を定立しようとする動きは全く見られない。熊本県においても、すべての水俣病を救済せんとする動きはみられないのである。
 また、抽象的には被害者救済を標榜しながら、熊本県の財政負担に最後までこだわった熊本県議会水俣病対策特別委員会の対応も同様であった。08年12月25日に開催された同委員会において、結論としてチッソの患者補償責任の明確化を求める要望書の提出を決定し、チッソの分社化案を「熊本県のみが責任を負わされる格好にならないのであれば」という条件付きで認めている。同委員会も、公的診断をたてにして3人に2人を切り捨て、しかも申請期限を区切って水俣病を闇に葬ろうとする与党PT案での解決に同意しているのである。
 そのことの証左として、熊本県では、09年2月15日、それまで1年7ヶ月にわたって休止していた水俣病認定審査会が急遽開催され、50名の審査が行われた。しかし、この審査会開催に際し、「車の両輪」「ワンセット」「二層式」と熊本県幹部が繰り返したように、結局、熊本県は、この審査会で棄却した人を新救済策の対象にすると公言しているのである。このような動きは「認定制度の切符切りと揶揄[やゆ]されたこともある審査会だが、今回の姿はそういう役割を担っていることを公然と認めたことになりはしないか」と批判されている(2009年2月25日熊日)。

3)  チッソなどの動き
 一方で、水俣病の原因企業であるチッソは、これまで、経済的な発展を担うチッソと患者補償などを担うチッソとの分社化論を探ってきたが、ノーモア・ミナマタ国賠訴訟の場では第一次訴訟以来主張してこなかった時効や除斥期間の抗弁を主張して水俣病患者に対する責任を否定した。
 このようなチッソの基本的態度は、同社機関誌で、95年の政治解決策を「(関係当事者全ての)最終全面解決」の合意だったと位置づけた上で、「最高裁判決を以て、この裁判が終われば、当時の関係者(各対象グループ、国、県、及びチッソ)は、新たな紛争につながるような行動をなすべきでなかったと考えます」「それにもかかわらず、この合意の基本を無視したかのような関係者の言動があり、それが今日の混乱に結びついていることは残念でなりません」と公言する後藤舜吉チッソ会長の言にもよく表れている。
 すなわち、チッソは、07年10月に提示された与党PT案に対し、同年11月、①ノーモア・ミナマタ訴訟などの存在により、与党PT案による解決では展望が持てない、②時効・除斥期間論を主張している訴訟上の主張と矛盾する、③支払い能力を超えている上、株主等に対して説明が不可能、などとして、一時金の負担を拒否すると発表した。
 しかし、結局チッソは、それ以降、チッソ分社化と税制優遇措置をむしり取るために、これまで延々と事態を引き延ばしながら、究極の加害者救済策である「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の最終解決に関する特別措置法」案を引き出したのである。同法案は全40条からなり、水俣病問題の最終解決を掲げる一方で(同法案1条)、認定申請や訴訟を取り下げることを条件とするものである(同5条)。そして原因企業チッソを賠償責任から解放するためにチッソの分社化を認め(同8条以下)、税制優遇措置も与え(同30ないし32条)、その後、水俣病認定制度を終了することを宣言している(同7条)。
 しかし、すでに指摘したとおり、これは水俣病患者のみならず、水俣病問題という歴史自体を闇に葬り去ろうとするものである。水俣病の原因企業チッソは、国家権力と結びつき自らに有利な状況を引き出すまで被害者救済には応じないと開き直ったものであり、社会的に許されない企業態度であることは言うまでもない。東京経済大学の除本理史教授によれば「チッソが分社化すれば被害者側は手も足も出せない状態になる。分社化は補償原資となる子会社の株式売却益がいくらになるかで補償総額が左右されかねない『応能負担の論理』であるが、この論理はPPPとは無縁。四大公害裁判後、明確になってきた日本の環境問題解決の原則とは大きく乖離する」と批判している(2009年3月4日熊本市内で開催されたシンポジウムより)。

(5)  水俣病救済と司法の役割
 このように、環境省は、熊本県と鹿児島県を抱きかかえ、あくまでも認定基準を変えずに、司法救済制度も拒否して、第2の政治決着で裁判外での安上がり解決を図り、水俣病患者の切実な要求を抑え込もうとしている。
 2009年3月6日、与党水俣病問題プロジェクトチームが正式に決定した「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の最終解決に関する特別措置法案」の内容は、その名に反し、水俣病被害者を切り捨て、水俣病問題を混乱させるものでしかない。
 まず第1に、同特措法案は「被害者大量切り捨て策」である。
 与党PTの方針は、2007年7月発表の「中間とりまとめ」等を見る限り、申請者の3人に1人しか救済しないものと評せざるをえない。この点に関する患者団体の批判に対し、与党は「救済を受けるべき人は救済する」と述べるのみでなんら説明しておらず、「3人に2人を切り捨てる」大量切り捨て方針であることはもはや明らかである。そもそも、「最終解決」と銘打っておきながら、国は未だに地元が要求する地域住民の健康調査も行っておらず、正確な被害者の実態把握ができていない。そうでありながら、3年の期限を切ってその後に現れた水俣病患者を一切救済しない本法案は、現在声を上げている患者の切り捨てに加え、未だ声を上げられないでいる潜在患者を完全に切り捨てるものである。
 第2に、同特措法案は「加害者救済のための幕引き策」である。
 被害者補償を目的とする莫大な公的支援を受けた加害企業チッソが、分社化によってその被害者補償責任を免責されることになる。また、共同加害者である国・熊本県の責任もあいまいなまま、地域指定解除による幕引きが図られようとしている。
 第3に、同特措法案は「法治国家にあるまじき司法無視の無法」である。
 行政認定の認定基準を見直さないまま、国の認定審査会をも利用して被害者を切り捨てようとするとともに、与党新救済策を前提にした本法案の救済内容も最高裁判決を無視して開き直っている。しかも、「救済措置」の対象者となるには、認定申請や訴訟提起を行う権利を放棄することが条件とされ、憲法で保障された裁判を受ける権利を侵害している。
このような「被害者大量切り捨て策」「加害者救済のための幕引き策」「法治国家にあるまじき司法無視の無法」は、被害者としても絶対に受け入れられるものではないし、公害の原点とも言われる水俣病についてこのような法案の成立を許すことは、公害の歴史に悪しき前例を作ることになり、全ての公害被害者のためにも決して許されるものではない。
 ノーモア・ミナマタ訴訟をはじめとする裁判での闘いを中心に、全国の公害被害者が力を合わせ、水俣病問題の真の全面解決を目指す闘いを展開することが求められており、本年は、その最重要の年になることは間違いない。今こそ、水俣病を経験し、被害者が加害者らに踏みにじられてきた歴史を踏まえ、すべての被害者を救済するための闘いを大きく展開すべきである。