薬害ヤコブ病訴訟(東京訴訟)弁護団

一 はじめに

 「妻をかえせ!。子どもをかえせ!。愛する人をかえせ!」
 霞ヶ関の厚生労働省前で、高橋昌平さん(薬害ヤコブ病東京支える会事務局長)のシュプレヒコールは、何度も何度も響き渡った。
 このシュプレヒコールは、この事件を、短いことばでよく言い表していたと思う。
 実際に、遺族たちは、国や加害企業に、そういう思いをぶつけてきた。
 「妻を返してほしい。元気なときの姿で。叶わぬ願いと知りつつも、私の要求をことばにすれば、そういうことです」
 ドイツのビーブラウン本社に弁護団や支援とともに初めて行ったとき、原告団長の池藤勇は、たどたどしいドイツ語で、加害企業の役員たちに、そう語りかけた。
 「私の息子を返してください」
 原告の前田公榮は、国会議員会館での厚生省との交渉で、官僚たちに、そう言って迫った。
そういう心からの叫び声が、多くのひとびとの心を揺さぶり、そして、ついには国や大企業の厚いカベをうち破った。
 約5年の薬害ヤコブ病訴訟を、ひとことで表わせば、そのようにいうことができると思う。

二 昨年3月の確認書調印

 前記前田は、裁判所の原告意見陳述でこう述べた。
 「こんな悲しい出来事は、2度とあってはなりません。
  もう薬害をくりかえすことのないよう、責任は、はっきりとさせなければなりません。
  国と企業は、きちんと謝罪しなければなりません」
 国と加害企業の責任の謝罪、薬害再発防止の抜本的対策をふくむ11項目の統一要求を実現する解決の枠組みをきちんとつくることができるかどうか。昨年(2002年)の公害弁連総会時は、そういう瀬戸際であった。
 昨年の総会から4日後の3月25日、加害者側とのあいだで確認書の調印にいたり、基本的に11項目の統一要求を実現しうる解決の枠組みをかちとった。
 その成果と意義については、本議案書の「[一]基調報告」の「第三公害裁判闘争の前進と課題」の「五」において詳述したとおりであるので、そちらに譲る。

三 確認書調印後のこの1年の歩みと課題

1 薬事法の改正
 薬害ヤコブ病の成果の1つとして、薬事法の改正をかちとったということができる。しかし、そこには見逃すことのできない問題点もある。
(1) 昨年(2002年)7月26日、薬事法の改正法案が国会で可決成立した。なお、法案の正式名称は、「薬事法及び採血及び供血あっせん業取締法の一部を改正する法律案」であったが、ここでは薬事法改正にしぼることにする。血液事業法の関係についてコメントするだけの知識も経験も、私どもにはないからである。
(2) 薬事法の改正には、二面性がある。積極評価できる面と同時に、危険な面もある。
(3) 生物由来製品に対する規制の強化。とりわけ医療用具の安全性に対する規制の強化。そういう面では、国民世論、国民の要求が、官僚の抵抗を押し込んだ、そういうふうに、評価できる面がたしかにある。
  このことは、薬害エイズ、薬害ヤコブ病とつづいた、医薬品、医療用具の安全性を求める運動のおおきな成果であると評価すべきである(なお、この法改正で、従前の「医療用具」は「医療機器」と呼ばれることになった)。
  つぎに述べる危険性にもかかわらず、医薬品等の安全性確保と薬害の根絶を求める国民の声の盛り上がりのなかで、おおきな成果をかちとったということ、そのことはいくら強調しても強調しすぎることはない。
(4) しかし、危険な面をも、この法改正はあわせもっている。
  非常に単純化して、おおまかな言い方をすれば、その危険性は、つぎのアとイの2つにわけていうことができると思われる。
ア 1つは、国がますます後退して、その責任が曖昧になる危険があることである。安全性について責任を負うのは企業であって、国はますます背後に退こうとする考え方が色濃くでている。
 たとえば、医療機器(医療用具)のうち、リスクの低いものは、国の承認ではなく、第三者機関の認証に委ねるなどが、それである。
イ もう1つは、アウトソーシングの促進である。
 種々の製薬会社、製薬業界の意向を色濃く反映し、外注や下請けを促進し、海外での企業活動、たとえば海外で製造して日本に持ち込むなど、そういう動きを促進する面があることを指摘することができる。
 改正後の法文のことばでいえば、従前の「製造承認」に替えて、「製造販売承認」という制度になった点、それに付随する点である。
 行政側にいわせれば、「すでに現状がそうなっているから、製造販売の元売り業者の段階でのチェックが必要なのだ」というのであるが、しかし、現状を追認することが、それを促進させる働きをすることはいうまでもない。
 そして、行政の説明とは裏腹に、そのような外注化、下請け化の促進が、安全性に背を向ける方向で働く面があることは間違いない。
(5) これらの危険な面に、今後、注意を払い、国民的な監視を怠らないようにしていく必要がある。

2 医薬品等副作用機構の改組問題(独立行政法人化)
 昨年12月、「独立行政法人医薬品医療機器総合機構法」が成立した。
 この法案が国会に提出される前から、薬害スモンの被害者を中心に、薬害被害者が反対に立ち上がった。
 医薬品等の副作用被害救済は、現状でさえ、多くが切り捨てられていると批判されている。改組によって、被害者救済がますます後退するのではないかと危惧された。
 さらに、この法律は、種々の問題をかかえている。
 最大の問題は、医薬品等の安全性を審査・監視する部門と医薬品等の研究開発振興部門とが、1つの法人のなかに同居してしまうことである。同じ法人が開発業務と安全確保の両方を担当すれば、まちがいなく、安全性はなおざりにされてしまう。
 「これでは、キツネにニワトリ小屋の番人をさせるようなものではないか」
 そういう声が、沸き上がった。
 「全国薬害被害者連絡協議会」(略称・薬被連)が、明確に反対を打ち出して、厚生労働省への申し入れや国会議員への要請行動、国会議員会館での集会など、短期間のうちに精力的に活動した。薬害ヤコブ病の原告団・弁護団も、その活動に参加した。
 薬被連の活動が奏功し、衆参の委員会審議のなかで、問題点が浮き彫りにされた。
 一時は、いったん採決見送りという状況まで行政側を追いつめた。厚生労働省も必死の巻き返しをはかり、結局、12月13日本会議で可決成立ということになった。
 しかし、12月12日参議院厚生労働委員会において、審議の過程で指摘された問題点について、「政府は、つぎの事項に充分に配慮し、国民の生命と健康を守るために万全を期すべきである」との決議が採択された。配慮すべき事項としては、「研究開発振興業務については、機構を審査関連業務、安全対策業務および健康被害救済業務に専念させるとともに、その一層の効果的展開を図る観点から、早急に同機構の業務から分離すること」など4項目が定められた。
 可決成立後、前記薬被連が厚生労働大臣と面談交渉した。その際、大臣は、被害者の代表に、前記委員会決議をうけて、研究開発振興業務の分離を実現することを明言した。

3 未和解被害者の救済等
 昨年3月25日の確認書調印は、薬害ヤコブ病被害者の早期全面救済に途を開くものであった。
 しかし、東京地裁においては、主として加害企業の頑強な抵抗のために、和解救済は遅々としてすすまなかった。昨年4月以降、昨年末までに和解が成立した被害者は、わずかに2名にすぎなかった。30名以上の被害者が未和解のまま残された。
 ことしにはいってから、ややペースがあがり、3月までに4名の和解が成立し、この1年間の和解成立は6名となった。それでもまだまだ、早期全面解決の実現には、ほど遠い状況がつづいている。
 弁護団は、早期全面解決を文字どおり実現するために、いっそうの奮闘をする決意である。

4 サポートネットワーク
 昨年6月30日、ヤコブ病被害者の支援組織である「ヤコブ病サポート・ネットワーク」(代表・上田宗、略称・ヤコブ・ネット)が発足した。
 提訴した闘病患者、未提訴の患者、あるいはライオデュラを移植されて発病の不安におびえているひとびとなどから相談の電話が寄せられ、これに対応する地道な活動をつづけている。さらに、パンフレットを大量に作成して、その普及、宣伝にもつとめている。