イタイイタイ病弁護団

 イタイイタイ病とカドミウム汚染に対する取組みは、昨年も①イタイイタイ病②公害発生源対策③汚染土壌復元の3つの課題を柱として継続的に取り組まれた。
 その中でもとりわけ昨年は、1972年8月のイタイイタイ病訴訟控訴審判決から30周年となり、判決後30年に渉る活動の成果と今後の課題を明らかにするため11月16日(土)イタイイタイ病勝利判決30周年シンポジウム「イタイイタイ病の今日的課題と環境問題」を開催した。第1部は、講演として、以下の四氏からそれぞれの分野について30年の成果を中心に講演いただいた。

 イタイイタイ病研究の56年と21世紀の課題
   加須屋 寛 (富山医科薬科大学名誉教授)
 発生源対策の30年とこれからの30年
   倉知 三夫 (京都大学名誉教授)
 神通川流域における土壌復元事業の経過と展望
   小林 吉夫 (富山県農林水産部技術推進課長)
 イタイイタイ病裁判勝利と豊かな大地をとり戻す住民の運動
   近藤 忠孝 (イタイイタイ病弁護団長)

 第2部は、第1部の成果の上に立って今後の課題を明らかにするためのパネルディスカッションがもたれた。最初に弁護団から提案を行った。以下、そこでの弁護団提案を掲載し今年の報告とする。

勝利判決30周年シンポジウム
弁護団提案

1 これまでの到達点は、第1部で明らかにされた通りであり、その特徴は、

① 誓約書・協定書を基礎に3つの分野で精力的に取り組んで
きた。『誓約書・協定書』を生きたものにしてきた。
② 被害者団体・地域住民が団結し、弁護団・科学者・医学者
などの協力を得て運動を進めてきた。
③ その結果大きな成果を収めてきた。

  この成果・到達点を高く評価し、確信と誇りを持って今後の問題に取り組もう。

2 これからの課題

(1) イタイイタイ病
 ① 認判定行政   -患者の完全救済-
   判決後、原因論争の巻き返しと、これに連動した行政の後退があり、ほとんど患者認定をしないという事態が続いた。これに対し、私たちは、’88行政不服審査請求を取り組み、’927名中4名について県知事の不認定処分の取り消しを勝ち取り、翌年環境庁は、新認定基準を出した。認定行政を被害者救済という本来の姿に戻すよう取り組み、大きな成果を上げた。 しかし、患者認定に消極的な行政は、今日もなお継続しており、死亡後解剖して争いようがない証拠がでて、初めて患者と認定するという本末転倒した事態となっている。これは、認定要件を誤って解釈し、不適正な運用をしているからであり、患者の治療に当たってきた主治医が、診断書を作成しているのに、審査会がこれを否定しているためである。『患者隠し、切り捨て』の行政から研究成果を積極的に取り入れた公正な認定行政への転換が必要であり、今後も監視と批判、要求が重要である。
 また、要観察者と判定すべきなのにこれを放置しておいて、いきなり患者と認定される事態が続いている。不適正な要観察者判定行政を是正し、要観察者を見逃さない体制が必要である。
 自治体議員の協力も得て、今後とも、積極的に取り組む必要がある。
 ② カドミ腎症の公害病認定
 神通川流域を始め全国のカドミウム汚染地に腎臓障害が発生している。病状が非可逆的で、貧血を伴うなど日常生活に支障があり、将来イタイイタイ病に発展する可能性がある。カドミウムとの因果関係、特異性、疾病性があり、これを公害病と指定しないのは、行政による違法な患者の切り捨てである。
 カドミ腎症の理解を深め地域住民が一体となって行政への働きかけを強める。国、企業に対する訴訟提起についても検討する。
 ③ イ病・カドミ研究と住民の健康管理
ア ’68/5の厚生省見解で、イ病の原因究明のための調査研究は、これで終止符を打ち、今後は、予防と治療を中心に研究するということになっていた。しかるにその後、イタイイタイ病研究に名を借りた原因論争が蒸し返され、カドミ原因説を否定したり、因果関係を曖昧にしようとする様々な「研究」が長期にわたり行われてきた。その影響を受けた行政のもとで患者救済が怠られ、土壌復元も停滞した。その中でも地元の研究者、良心的な医学者の長年の努力により、カドミウム否定説は基本的に克服され、カドミウム原因説が一層進化した。今後は、現地で研究を重ねた研究者を登用し、地元に密着したイタイイタイ病研究センタ-を設置するなど研究体制を充実させる必要がある。
イ 私たちはこれまで患者の発見救済と汚染地住民の健康保持のために、継続的住民検診体制の確立を求めてきた。行政はこの要求を受け、’97以降住民健康調査を実施してきた。今後もその改善や健康管理センターの設置など一貫性のある健康管理システムの確立が必要である。
(2) 汚染農地復元   -復元事業の早期完遂-
 ① 汚染農地の復元事業は、1500haが、汚染対策地域と指定され、’80年から復元工事が始まった。現在の第3次復元事業は、平成18年終了予定であり、26年がかりでの完成となる。二期工事(3号地)は、平成20年終了予定である。
 市街化区域内の汚染農地の復元問題は、当面する課題であり、行政への働きかけを強める。復元事業が終了しても汚染米が生産される事態がないようにしなければならない。
 復元事業の三井金属の費用負担問題は、当初の35,1%から住民の粘り強い要求によって不十分ながらも39,4%に若干引き上げられた。
 ② カドミウムの国際基準の設定作業が進められているが、これが採択されると現在の食品衛生法での基準1ppmから0,2ppm前後に強化される可能性がある。(低濃度カドミ汚染問題)日本各地で 0,2ppm以上の米が産出されている。神通川流域では1500haの汚染対策地域が指定されているがそれ以外のその上流と下流の農地は、当然問題になる。
 ③ 1500haの汚染対策地域の内500haの広大な転用された汚染非農地があり、その汚染土壌の安全性や富山湾の海底の汚染も関連してくる。更に、復元対策地域は、富山市周辺であり、ここでは都市化の進展が著しく、都市近郊農業の将来像や後継者問題などこの地域固有の課題や日本の農業のかかえる課題がいろいろある。これらの課題との関連も踏まえて、私たちの課題の解決に取り組んでいこう。
(3) 発生源対策 神岡鉱山には、これまでの生産活動に伴い莫大な量の廃棄物・有害物が貯蔵・蓄積されている。これが将来にわたり排出され、下流域を汚染する虞が常に存在する。従って、発生源の監視・対策は、永久に必要である。
 ① 自然界値(0.05ppb~0.06ppb)目標を堅持し、これへ到達する。あと一歩である。
     ’69年  1  ppb
     ’81年  0.23ppb
     ’01年  0.08ppb
 ② 到達点から後退しない。そのためには、対策を続けることが必要である。

  • きめ細かいチェック・点検・改善要求
  • 異常時(地震・豪雨)の対策
  • ダム・河川低質対策
  • 休廃坑周辺の荒廃地の緑化事業

 ③ 住民の監視と県による水質測定体制の充実が必要である。富山県の神通川水質測定は、NDが多く、実体を十分把握せず、水質監視として極めて不十分である。住民は、これまで独自に神通川水質の測定(クロスチェック)を続けてきたが、県として0.01ppbまで測定して住民に開示し、また住民の調査・研究活動に協力すべきである。
 ④ 立入調査のあり方
 当面暫くは、現在の全体立入調査・専門立入調査の2本立てで継続し、将来の状況変化と必要性に応じて対応していくことになる。住民の中から立入調査の専門家を作る専門委員制度は、貴重であり、その育成が重要である。
 ⑤ 操業全面停止も視野に入れる。採掘を中止して既に1年半になる。今後ともリサイクル施設として存続するとの見方もあるが、操業全面停止、撤退の事態もあり得る。これらを視野に入れて操業している現在から対策を求めていく必要がある。
(4) 運動の担い手  -患者団体と農業被害団体の車の両輪-
 ① 資料館・記念碑の建設
 来年度から進展するよう当面力を入れて取り組む。資料館の内容も住民の声が反映したものとする。現在の清流会館に対する固定資産税の課税は、その公共性を無視するもので速やかに撤廃などの解決を図る。
 ② 経験と運動のスムーズな継承
 この30年献身的で優秀な指導部が、活動を牽引してきたが、高齢化は避けがたい。経験と運動のスムーズな継承のために指導部の交替が不可欠である。地域の若い人々の参加を工夫していく。また、イ対協と鉱対協の住民組織の形態も将来必要に応じた改編が求められる事態がくる。また、求められる課題にふさわしい組織が必要となる事態もある。今後とも、全国公害被害者との連帯や地球環境問題に取り組む人々と連帯して運動を進めていく必要がある。
 ③ 弁護団・科学者の協力のあり方
 弁護団は、裁判終了後、汚染土壌復元などの問題が解決するまでとの合意で継続してきた。その時点でなお課題が残されていれば、残された課題の解決にふさわしい形で継続していくことが必要である。
 協力科学者グループの活動も到達した自然界値から後退しないための技術的科学的援助が必要な範囲で継続していくことが必要である。
 ④ 財政基盤の確保
 運動を支える財政の確保は、今後とも不可欠である。これまでは、裁判で獲得した資金を積み立てて支えてきたが、今後は、必要な資金は自ら拠出することを基本にした財政活動が必要である。同時に活動の公益性から国・自治体が資金を負担することや加害企業の責任として拠出を求めることも必要である。
(5) 地球環境問題との関わり

 永続可能な地球環境の維持は、現在生存している人間の次世代への義務である。公害は、環境破壊の典型的象徴的かつ先鋭化した事態である。被害を回復し汚染環境を復元することは、良好な地球環境の維持への積極的な貢献である。人類史上未曾有なカドミウム被害とその克服の事業をしっかり成し遂げ、その経験を次世代と世界の人に伝えていこう。

二 イ病認定・要観判定問題

1 患者・要観の現状(2003年1月末日現在)
 ① 認定患者総数 186名  うち生存者数4名
    新規認定者    1名
 ② 要観判定総数 335名  うち生存者数4名
    新規判定者    1名

2 2002年度認判定の状況
(1)認判定状況
 ① 本年の申請分について
 本年は、2月5日1名、3月1日1名、6月21日3名、9月5日1名、12月2日1名の合計7名の認定申請をした。
 このうち、2月5日申請のHさんが7月14日に認定された(3月25日死亡されたため死後の認定となった)。また、3月1日申請者のSさんが7月14日の認定審査会で剖検結果(3月5日死亡したため)を待つため継続とされた、その他は、現時点では審査継続中である。
 7月14日認定されたHさんは、00年2月10日に申請したが翌01年4月28日に不認定とされ、異議を申し立て、同年8月19日に要観判定されたため、異義を取り下げ、本年再度申請して認定された。剖検の病理所見では骨軟化症が認められており、骨病変が1年間という短期間に急激に進行するものではないことを考えると、要観判定された時点では既に認定に足りる状態であったとみられる。また、同様の理由で最初に申請した00年の時点では要観判定されるべきであった。認判定行政が適正であれば要観にもされず長期間放置されたり、死後認定という結果が避けられたはずで残念である。
 また、3月1日申請したSさんも3月5日死亡されたが、この方も前年に要観判定された人で、病理所見では骨軟化症が認められており、Hさんと同様の問題がある。
 なお、その後現時点(1月31日)まで、認定審査会開催は開かれておらず、開催予定も今のところないという。
 ② 昨年以前申請分について
 まず、00年2月10日申請した2名は作年4月28日不認定とされたため異議を申し立て、うち1名のHさんは上記の通り要観に判定された後本年2月5日再申請して認定された。残りの1名は異議が棄却され、再申請の準備をしている。
 この異議申立は、要観の段階を経ないで、いきなり患者に認定されるケースが続いたため、要観判定の不適正を明らかにする目的で行った。
 次に、01年1月26日に申請した3名のうち、要観であった1名は昨年5月に認定された。不認定とされた残り2名は上記の通り昨年6月21日に再申請を行い、認定審査会での審査待ちの状態である。このうちMさんが本年1月7日死去された。Mさんは外見でもわかる骨の異常な屈曲が見られ、認定されるべき人であった。なお、これらの人についても審査会記録の情報公開請求を行っている。
 ③ 申請の現状
(2) 認定審査会資料の情報公開請求
 上記(1)②のとおり、要観判定の不適正を明らかにする目的で異議申立を行っているが、同じ目的で01年7月30日に認定審査会の議事録その他の資料の情報公開請求を行った。請求したのは00年2月10日申請で既に認定されている3名と上記Hさん、Sさんの2名及び01年1月26日に申請した3名のうち不認定とされた2名の7名である。
 これに対して県は、01年8月17日プライバシーを理由に、データを消して表の枠=書式部分のみを開示したので、この一部開示決定に対して異議申立を行い、02年7月31日に情報開示審議会で遺族及び代理人が意見陳述を行った。この審議は継続中で結論は出ていない。
(3) 評価
 上記の通り、認判定については相変わらず患者側に冷たい不適正な状態が続いている。
 認定された例はいずれも、短期間に不認定→要観判定→認定とされている。前記骨病変の進行速度から考えると、もっと以前の時期から要観判定されて経過観察されるべきであった。また、今回の短期間の要観からの認定は、要観でもない状態から突然患者に認定されるのは要観判定の不適正さを示すものだとの批判を免れるために、本来患者の状態にあった人を一旦要観に判定したものとみることもできる。その結果死後認定が増加して被害者救済に大きく反する結果になっている。
 さらに、昨年6月に申請した3名については、申請後半年以上も認定審査会が開かれず放置されるという、かつてない異常な事態となっており、被害者救済に反する。

二 イタイイタイ病研究

 2000年にほぼ遅れを取り戻した環境保健レポートの発行が、また遅れだした。
 以前は例年3月に行われる研究班総会のまとめが9月頃に環境保健レポートに掲載されて公表されてきた。これが遅れ初めて1年以上発行されない事態になり、環境庁への要請を行い、2000年にほぼ遅れを取り戻した。ところが、2001年度分も2002年度分も現時点(2003年1月末日)で発行されておらず、再び大幅な遅延を生じている。
 このため、現在イ病に関する研究がどのように行われているのか知ることが出来ない状況である。研究に被害者住民の意見を反映させること、研究成果を予防、治療に生かすことの両面で重大な問題となっている。