一 はじめに
しかし、総会から25日の確認書調印までのわずか4日の間にも、情勢は急展開したし、原告団・弁護団はギリギリまで懸命の努力を重ねた。
3月21日の総会時点では、まだまだ予断を許さない状況であった。確認書の内容をめぐって、被告ら、とりわけ加害企業と厳しい攻防がおこなわれていた。裁判所は、25日の和解成立に、悲観的にさえなっていた。公弁連総会に出席していた弁護団員は、総会の最中にたびたび席を抜け、電話に走ったり、対策を協議したりした。そして、結局は、総会を途中退席し、祝日にもかかわらず、夜中まで動き回ることになった。和解期限のわずか4日前でさえ、そういう状況であった。
そのことを思えば、ことしの公害弁連総会で、薬害ヤコブ病確認書調印と第1次和解成立をご報告できることは、なによりの喜びであり、感無量のものがある。
二 薬害ヤコブ病事件とは
病気は、クロイツフェルト・ヤコブ病。発病すれば短期間に痴呆が進行し、やがて遷延性植物状態に陥って、確実に死にいたる致死の病である。
病気を持ち込んだ原因は、手術のときにつかわれたヒト死体乾燥硬膜ライオデュラであった。
これが、薬害ヤコブ病である。この薬害の悲劇が、全国各地のさまざまな家庭に突然に襲いかかった。
大津訴訟(原告団長谷三一、弁護団長中島晃、同事務局長三重利典)の提訴は1996年11月であり、1年遅れて、東京訴訟(原告団長池藤勇、弁護団長畑山實、同事務局長阿部哲二)が1997年9月に始まった。
それぞれ4年前後の審理をへて、2001年7月2日大津地裁が、7月16日東京地裁が、それぞれ結審にいたった。
結審に際し、各裁判所は、「早期の多面的かつ抜本的、全面的な解決」(東京地裁和解勧告)をめざして和解を勧告した。
そして、11月の各地裁の「和解所見」、翌2002年2月22日の両地裁連名の「和解案」を経て、3月25日の確認書調印にいたった。
三 確認書調印(和解解決の枠組みの策定)の意義
薬剤師や学生など、とくに若い人々に運動が広がった、その原動力になったのは、被害者遺族の訴えであり、被害の深刻さであった。
裁判所を揺り動かしたものも、やはり事実の重みであった。被害の深刻さと国・加害企業の違法行為について、裁判所に積み上げた事実が、裁判所を動かしたのであった。そのことは、一昨年11月の裁判所所見に現れている。
「本件各患者は、脳外科手術中に自らの意思と無関係にヒト乾燥硬膜の移植を受け、その結果ヤコブ病に罹患し悲惨な生活を強いられるに至ったものであって、患者本人とその家族・遺族に対しかけるべき言葉を見いだし得ない。」
裁判所の所見は、そう述べたうえで、国(旧厚生省)と加害企業ビーブラウン、輸入会社ビーエスエスの責任に関し事実を細かく摘示し、明確に断罪している。
しかし、被害者を支援する運動の輪はおおきく広がっていった。厚労省前での座り込み、厚労省を取り囲む人間の鎖。そういう行動を積み重ねるなかで、薬害をくりかえす厚生労働省を非難する国民世論もおおきく盛り上がった。
昨年2月22日、裁判所の和解案は、すべての被害者に対する国の責任を認めるものであった。
そして、3月25日、国と加害企業とのあいだで、確認書の調印をするにいたったのである(確認書の全文は、本議案書の末尾に掲載されているので、ごらんいただきたい)。
この確認書の調印式で、坂口厚生労働大臣は、つぎのとおりにのべた。
「この事態に立ち至りましたことは、返すがえすも残念であり、医療に責任をもつ立場でありながら、命という償うことのできないものをなくし、あるいは、再起不能にした責任は重大であり、心からのお詫びを幾重に申し上げてもなお言い尽くせない心情が残り、言葉の足りなさを痛感いたしております。」
そして、大臣は、こうも述べた。
「医薬品や医療用具の許認可をはじめ、人の生命に関わります分野への職員配置に配慮が足りず、とくに医療用具の許認可、承認の体制が不十分であったこと、さらに諸外国の活動状況や新しい研究成果などに対する掌握が足りなかったことなどを反省いたしております。」
大臣発言は、最初の輸入承認のときから問題があったことを自ら指摘し、責任を認めて謝罪するものであった。大臣のことばをきいて、原告たちは、「胸のつかえがおりた気がする」と口々に言った。
確認書は、これまで薬害をくり返したこと、そのたびに再発防止につとめると確約したのにまたくり返したこと、その反省、そして安全性確保義務の確認、医薬品等の情報収集体制の拡充強化などを述べている。
そして、こう続く。
「万一、医薬品等の安全性、有効性、品質に疑いが生じた場合には、直ちに当該医薬品等について科学的視点に立った総合的評価を行うとともに、それに止まらず、直ちに必要な危険防止の措置を採るなどして、本件のような悲惨な被害を再びくり返すこのがないよう最善、最大の努力を重ねることを固く確約する。」
訴訟では、国は、「世界でたったひとりやふたりの症例があったという段階では、予見できない。まして、症例報告もなければわからない。症例の積み重ねがなければ、国は規制措置をとる義務はない。」と主張してきた。「症例の積み重ね」とは、なんとも残酷な言葉である。人がおおぜい死ぬという、とんでもない事態が起きない限り、国は何もしなくてもよい、そう開き直っていたのである。
しかし、確認書では、国に、「直ちに必要な危険防止の措置を採る」と約束させた。そのことの意味は大きいと思う。
- ① 医学、薬学等の教育において、過去の事件等をとりあげるなど、医薬品等の安全性の啓蒙
- ② ヒト・動物由来の医薬品等の安全性を確保するために必要な規制の強化
- ③ 生物由来医薬品等による被害救済制度の早期創設
- ④ ヤコブ病被害者のためにサポートネットワークへの支援
- ⑤ 被害者の積極的な調査、カルテの長期保存等についての措置(情報が得られるよう配慮する)等
四 法改正にかんする成果と問題
さらにその後、医薬品機構の改組問題(独立行政法人化)も浮上した。
これらの法改正に関することは、本来、この項(基調報告)のところで述べるべきことであるが、すでに与えられたスペースをかなりオーバーしているので、後の「各地裁判のたたかいの報告」のなかの「薬害ヤコブ病(東京)この1年」で述べることにする。
五 今後の課題
しかし、この確認書をほんとうに実効あるものにするかどうかは、今後の努力にかかっている。国民の不断の監視がなければ、ただの紙切れになってしまうかも知れない。
今後も、他のたたかいと共闘し連携しながら、薬害ヤコブ病の原告団、弁護団も、その役割を担っていくつもりである。