平成17年12月26日、ついに第1回口頭弁論が開かれました。なぜかそこには、多数の原告、被告、裁判所を前にして、意見陳述をする私がいました。意見陳述は、まず新人がやる。これが熊本の掟なのです。
私は、御所浦での経験を踏まえ、被告であるチッソ、国・熊本県がいつまでも患者救済の責任を果たそうとしないのは、水俣病の被害の実態を体で感じ取り、その苦しみを想像するということを怠っているからだと指摘しました。
4 敵地に乗り込む
平成18年4月21日、水俣病公式確認50周年を目前にひかえていたため、環境省に対し、私たちが提唱する「司法救済制度」による解決に協力せよ、という申入れ行動をすることになりました。
そこで、私が申入書を持って、原告2名と共に、霞ヶ関にある環境省へ乗り込むこととなりました。敵地への殴り込みは新人がやる。これが熊本の掟なのです。
この「殴り込み」は、事前に環境省に連絡していたのですが、現地で対応した担当者は、いわば格下と思われる特殊疾病対策室長補佐でした。
私は、もっと上の人を出せと交渉したところ、今、50周年に向けた国会決議や首相談話の件で、みんな国会に行っているということでした。じゃあ、国会で会えないかと迫ったのですが、きちんと対応してくれず、時間が経過するばかりでした。
そこで、私は、マスコミが10名くらい来ていたのできちんと報道してもらう方が大切だと思い、国会に行くことなく、環境省の中で申入書を渡すことにしました。
そして、担当者には、途中でもみ消したりせず、きちんと大臣に渡すように釘を刺しておきました。
翌日の熊本の新聞には、このときの様子がきちんと報道されていましたので、とりあえず私の役割は果たしたと胸をなで下ろしました。
5 ノーモア・ミナマタを広げる
平成18年7月5日、熊本大学の授業の一環として、原告団長の大石利夫さんと2人で、水俣病についての講義をしました。
参加してくれた学生の数はそれほど多くはありませんでしたが、大石さんが語る被害の訴えや、私が説明するこれまでの訴訟の経緯などを熱心に聞いてくれました。
講義が終わった後、数名の学生から「水俣病がまだ終わっていなかったって始めて知りました。」との感想を聞き、若い世代に水俣病の問題を伝え、ノーモア・ミナマタの運動を広げるきっかけになったことをうれしく思いました。最近の学生も捨てたものではありません。
6 大きな力を結集する!
水俣病は、公式確認50周年を迎え、裁判の方も佳境を迎えつつあります。被告らがもっとも恐れるのは、水俣病患者やその支援者の団結でしょう。
すべての水俣病患者が正当な救済を受けるためには、大きな力を結集することが必要です。ぜひ皆様のご協力をお願いいたします。