平成18年6月21日、大阪地方裁判所において、薬害C型肝炎訴訟の最初の判決が言い渡され、フィブリノゲン製剤を投与されてC型肝炎に感染させられた原告九名が、被告である国や製薬企業(三菱ウェルファーマ・ベネシス)に勝訴した。
2 薬害C型肝炎訴訟とは
薬害C型肝炎訴訟とは、人の血液を原料として製造される血液凝固因子製剤であるフィブリノゲン製剤、血液凝固第・因子製剤を投与された患者が、同製剤に混入していたC型肝炎ウイルスによってC型肝炎に感染させられたとして、同製剤を製造・販売していた製薬企業及び同製剤を承認した厚生省(国)に損害賠償を求めた訴訟である。平成14年10月の東京、大阪同日提訴を皮切りに、福岡、名古屋、仙台でも提訴され、本稿を執筆している平成18年11月12日現在、全国で127名が原告となっている。
本件で問題になっている製剤のうち、フィブリノゲン製剤は、1964年に製造・販売が承認されたものであり、大量出血時の止血用、特に産科における出産時の大量出血の止血剤として広く使用されてきた。この製剤によるC型肝炎感染者は、被告の製薬企業の試算によっても、1980年以降だけで1万人以上に上るとされている。
他方、血液凝固第・因子製剤は、1972年に輸入・製造・販売が承認されたものである。同製剤は、薬害エイズ事件を引き起こした製剤としてもよく知られており、本来、先天性第・因子欠乏症(血友病B)の治療薬であったはずだが、新生児出血症等の後天性疾患に対しても、「血液凝固第・因子が欠乏している病態である」とされて用いられてきた。
いずれの製剤も、現在では後天性の疾患に対しては用いられていない。これらの製剤は本来承認されるべきではなかったのではないか。あるいは、もっと早く規制されるべきだったのではないか。そうなっていれば、原告らに投与され、原告らがC型肝炎で苦しむことはなかった。これが我々の主張である。
3 大阪判決の内容
大阪判決は、フィブリノゲン製剤に関し、製薬企業について1985年8月時点での責任を認めた。
これは、同時点においては、同製剤の有効性の乏しさ等が判明していたのに、ウイルス不活化の方法を変更し、C型肝炎感染の危険性をより高めた点をもって過失と認めたものである。また、国については、1987年4月時点での責任を認めた。これは、前年に青森県での同製剤による肝炎集団感染事例報告等がなされたにもかかわらず、適応制限をせず、そればかりか加熱製剤の製造を極めて杜撰な手続で承認した点を、違法と認めた。
残念ながら、我々が主張していた、1964年製造承認当初からの過失は認めなかったが、しかし、「フィブリノゲン製剤の製造承認申請にあたり提出された臨床実験試料は、医薬品製造指針の要求する症例数の不足の疑いがあること、粗雑な資料があることなどから、ずさんと評価すべき点が多々含まれていたことは否定できない」と断じている。
また、アメリカにおいては1977年にFDA(連邦食品医薬品局)が同製剤の承認を取り消しているのに、我が国では何らの規制もなされなかった点について、「厚生省は、海外情報を収集する手段があったにもかかわらず、上記FDAに関する貴重な情報を収集、検討しなかったものであり、医薬品の安全性を確保するという立場からは、ほど遠い、お粗末な面が認められ、その意識の欠如ぶりは非難されるべきである」と厳しく指摘している。
4 福岡判決の内容
福岡判決は、大阪判決が認めた国・製薬企業の責任をさらに進め、フィブリノゲン製剤に関し、遅くとも1980年11月時点における国・製薬企業の責任を認めた。
これは、上記のFDAにおける承認取消しを受け、我が国でも同製剤の有用性について調査・検討を行わなければならなかったとした上、これ以降、本件訴訟の原告の中で最初に投与を受けた時期が1980年11月であることに着目し、この間2年10か月もあるから、それまでには検討し有用性を判断することができていたはずとしたものである。したがって、この1980年11月という時期は便宜のものであり、これ以前についても被告らの責任が認められる余地を残している。
5 判決の評価及び課題
上記両判決は、責任を肯定した部分のみならず、責任を否定した判示部分においても、国・製薬企業に対して、医薬品評価や安全性・有用性確保の在り方について、重大な反省を迫っているといえる。その意味で、これらの判決を高く評価したい。
しかしこれらの判決にも問題がある。
最も大きな問題は、本件で対象になったもう一つの製剤である、血液凝固第・因子製剤については、被告らの責任を認めなかったことである。フィブリノゲン製剤と血液凝固第・因子製剤における問題の構造は全く同じであり、だからこそ我々は、これら二つの製剤につき、同じ訴訟の中で、同じ枠組みで、責任を追及してきた。何より、前記のとおり、血液凝固第・因子製剤は薬害エイズ事件を引き起こした、危険性の極めて高い医薬品だった。第・因子製剤の原告は、多くが新生児のときに投与されており、まだ20代の若者である。両判決のうち、彼らの声に、涙に、苦しみに、耳を傾けず責任を否定した部分には、憤りを感じざるを得ない。
また、フィブリノゲン製剤についても問題を抱えている。両判決とも、1964年の製造承認・販売開始の責任を認めず、時期による線引きを行った。この結果、同じくフィブリノゲン製剤を投与されC型肝炎になったのに、勝訴する原告と敗訴する原告を出すこととなってしまった。しかし、両判決とも同製剤の承認手続の杜撰さを指摘しているのであり、それならばなぜ直截にこの時点での責任を認めなかったのか、全く疑問である。
これらの問題点を克服していくのが、今後の我々の課題である。
6 最後に
それにしても、本件訴訟で全く解せないのが、国・厚生労働省の対応である。
このように原告勝訴の判決が相次いでいるにもかかわらず、原告と会ってその声を聞くことすらせず、機械的に控訴を繰り返している(福岡判決後には、原告からの面談要請書の受け取りすら拒否した。)。自身が国民の生命・健康に対して負っている重大な責務を忘れ、保身のみに汲々としている言わざるを得ない。
我々はこの訴訟において、単に原告の損害賠償だけを求めているわけではない。投与の時期が古いことから、既にカルテがなく原告になれない多数の患者がいる。さらにその背後には、全国350万人とも言われるウイルス性肝炎患者がいる。ウイルス性肝炎は、その多くが医療行為によって感染した医原病であり、根本的には国の防疫対策の不備によるものであって、国がその責任を負うべきものである。我々は、この訴訟を通じ、全ウイルス性肝炎患者が安心して治療を受けられる社会を実現したいと考えている。そのために、今後高裁・地裁における裁判だけでなく、国会への働きかけなど、あらゆる手段を講じて、上記のような厚労省のばかげた態度を変えさせていきたい。
みなさまのご支援をお願いする次第である。