巻頭言 公害裁判は…

代表委員 吉野高幸

 「公害裁判は被害に始まって被害に終わる」とは良く耳にする言葉である。私は、カネミ油症事件をめぐる新たな動きの中でこの言葉の正しさと重さを痛感している。

1、カネミ油症事件の裁判は、1987年最高裁判所でのカネカとの和解と国に対する訴訟の取り下げで終了した。それから20年目の今年4月16日北九州市で「カネミ油症全被害者集会」が開催され文字どおりカネミ油症の全被害者団体が参加し与野党の代表も参加した。
 さらに、その翌日日弁連は、国に対し立法措置も含めた救済策を採るように勧告(企業にも勧告している)した。
このような動きを受け5月与党は、カネミ油症被害者の救済策を検討するプロジェクトチームを立ち上げて検討を開始した。 また民主党も救済策の検討をはじめた。

2、裁判終了後20年近くを経て新たにこのような動きを作り出した原動力は、やはり発症から30数年になっても続いている「病気のデパート」と言われる深刻な被害である。被害者の訴えを受けて数年前東京に「カネミ油症被害者支援センター」が設立され、被害者の実態調査等を続ける中で日弁連への人権救済の申し立ての取り組みがなされた。
その後この日弁連への人権救済の申し立てを軸にカネミ油症の全被害者を結集した運動をとの動きが始まり、私達統一原告団・弁護団も参加することとなった。

3、昨年7月1日長崎県五島列島で日弁連人権擁護委員会の事情聴取が開始された。初日の午前中は、公開され10名の被害者が被害の実情を訴えた。この訴えは、被害者と20年近く裁判を続けて来た私にとっても感動的(衝撃的!)なものでした。参加した議員、行政そしてマスコミにとっても衝撃的だった筈です。

4、この日弁連の公開ヒアリングなどのあと昨年10月に五島市でカネミ油症五島市の会が結成されシンポジウムも開催された。
その後全被害者の結集の動きも強まって、前述した4月の集会に至ったのである。
 9月には、被害者東京集会と院内(国会議員会館)集会も開催された。立法措置についてまだ予断を許す状況ではないが、被害者の救済を求める世論が高まって来たことは実感できる。
被害者が救済されるまで運動は続く!
  皆さんのカネミ油症被害者の運動へのご協力をお願いする次第です。


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