【若手弁護士奮戦記】 東京大気汚染公害裁判

東京大気汚染公害裁判弁護団
弁護士 島戸圭輔( 55 期)

 大気汚染裁判に限らないが、弁護団の仕事の大きな柱の1つは陳述書の作成である。大気裁判は原告の数も多く(約600人)、1人当たりの弁護士の負担も大きい。陳述書の提出期限を守ることは弁護団の最も大きな課題の1つである。 かくいう私も、仕事が遅い上に元来の怠け者体質により、弁護団にご迷惑をおかけした。
 そして、陳述書の作成に当たっては、事情がある場合を除いて必ず原告の自宅へうかがって話を聞く。弁護団に入った当初の(そして弁護士になった当初の)私は、この話を聞いて、同時に自分が担当することになるであろう原告の人数を勘定して、ぎょっとした。そんな大変なことをしなくてはならないのか…というのが当初の私の偽らざる感想だった。しかしその感想は、陳述書の作成作業の中で変化していき、私にとって大きな経験となった。
 ある原告のお宅へ陳述書を作成するため訪問した際のことであった。その原告ご自身が亡くなられたため、ご遺族にお話をうかがった。その呼吸苦とのたたかいの歴史は壮絶であり、またぜん息の患者さんのお宅がどこもそうであるように、ほこり一つなくきれいに掃除されていた部屋が、その一端を物語っていた。
 しかし、私がより目を引かれたのは、そのお宅の、失礼ながらそれほど広くはない庭一面に、うっそうと茂る草木であった。それらは全て、亡くなった原告が植えられたものだという。植物を育てるのが好きで、元気な頃は畑作業もしていた原告が、外出できなくなってから、酸素吸入をしつつ、少しずつ植えていったものだという。どうしてこれほど庭を緑で埋めたのかというと、植物が好きなこともさることながら、少しでも、空気がきれいになると思ってそうされたのだという。端から聞いていれば、環状7号線の目と鼻の先で何を言っているのかという話になるかも知れない。また私も事務所でこの話を聞いていたら、大変なんだなという通り一遍の感想で終わっていたかも知れない。しかし、私はその庭を前にして、部屋の中から酸素のチューブを延ばしながら、一心に木を植える原告の姿を想像し、言葉もなかった。おそらく、この庭を緑で埋めたからとて、楽に呼吸ができるようなきれいな空気が戻ってこないことは何より原告ご自身が知っていただろう。それでも、そうせざるを得ない苦しみに、私は庭を目の前にすることで、ほんの少し肌で触れることができた気がした。そして、その切な願いをこめた草木の上にも、汚染物質がいまも降り積もり、葉を黒く汚し続けている。それを考えると、私は大切なものを土足で踏みにじられたような、冒涜されたような思いがした。声にできないような苦しみがあり、それが耳を傾けられるどころかむしろ踏みにじられている。このことを、どうしたら伝えられるか、事務所への帰り道にずっと考えていた。それが成功したとは思えないが、私にとっては、陳述書の意味を考えることができた貴重な経験であった。
 時に段ボール箱に入って届く認定資料、カルテの山を前にして、陳述書作成作業に取りかかるときは常に暗澹たる気持ちになる。仕事が遅い私には、厳しい取り立てならぬ督促の連絡が来る。そんな中で、陳述書はとにかく完成優先の作業になりがちであるが、この経験を忘れぬようにしたいと思う。