1 最高裁判決とその後の情勢
平成16年10月15日、最高裁判所・水俣病関西訴訟判決が言い渡された。この判決は、水俣病の発生・拡大についての国及び熊本県の国賠責任を認めるとともに、行政認定制度で棄却された者の中にも水俣病被害者が存在することを明確にした。多くの被害者が認定基準が改められられるものと期待して、認定申請を行った。その数は、熊本県、鹿児島県で3000名を超えた。
しかし、環境省は、被害者の期待に反し、認定基準を見直そうとはしなかった。その結果、行政の基準、司法の基準という2つの基準が並存することになり、認定審査会は、委員の再任ができず未だに再開されていない。国は、国賠責任が確定したことにより、単に福祉政策の実施では済ますことはできなくなったのであるが、またもや新保険手帳なる福祉政策で幕引きを図ろうとしている。新保険手帳は、医療費を補助するもので、一時金の支払いはなく、しかも認定申請をしないこと、訴訟をしないことを受給の条件とするものである。つまり、水俣病と認めないまま医療費の補助だけで幕引きを図ろうとするものである(なお、認定申請している者で、新保険手帳を申請している者は約1割程度であり、幕引きは完全に破綻している)。
小池百合子環境大臣は、ノーモア・ミナマタ国賠訴訟第一陣提訴(10月3日)後の記者会見において、「原告側は和解を狙っているようだが、現段階でも和解は考えていない」などと発言した。しかし、原告らが環境省に和解を求めたことはない。認定審査会も再開できず、新保険手帳などという幕引きごまかし策しか提示できない環境省こそ、司法救済制度を真摯に検討すべきなのである。しかるに、未だ訴状もみていない段階、あるいは裁判所が和解勧告をしていない段階で、和解はしないなどと述べることは、被害者を馬鹿にしきった態度であり、到底許せるものではない。
2 行政認定制度の破綻と司法救済の必要性
行政は、加害者であるチッソを擁護して、水俣病の発生・拡大を防止する対策を怠ってきた。だからこそ、昨年の最高裁判決は、国及び熊本県の加害責任を厳しく断罪したのである。環境省は、52年判断条件により救済の門を極端に狭めてきた。行政認定制度は、水俣病の発生・拡大につき責任のある国、熊本県が、被害者か否かを決める制度である。加害者が被害を正しく判定するはずはないのである。最高裁判所判決により、国及び熊本県の加害責任が確定した現段階では、行政認定制度はもはや何等の正当性も信頼性も認められなくなったといえる。行政認定制度は、比較的重症な患者を救済するという意味で存在価値は残っているが、広い救済は望むべくもない。
これまで水俣病被害者は、チッソ、国及び熊本県を相手に多くの訴訟を闘ってきた。そして、ほとんどの訴訟で勝訴し、それを契機に救済の範囲を広げてきた。被害者の裁判闘争なしには補償は実現してこなかったのであり、被害者が正当な補償を勝ち取れる場は、司法の場以外にはないといえる。
3 司法救済制度について
では、裁判所でどのような解決を目指すべきか。
責任については、既にチッソ、国及び熊本県の賠償責任が確定している。水俣病の病像については、最高裁判所判決(大阪高等裁判所判決)、確定判決である福岡高等裁判所(水俣病第2次訴訟)判決がある。このような確定判決に基づき、原告が司法の基準に合うのかどうかを定めればよいはずである。賠償額についても同様である。
裁判所が、最高裁判所判決を基本に据えて、水俣病被害者か否か及び補償内容を定め次々に救済する制度、これを我々は「司法救済制度」と呼んでいる。我々は、最高裁判所判決を機に、そして公式発見から50年目という節目の年である2006年に、被害者救済問題の決着を図るべきだと考える。我々は、本訴訟において、「司法救済制度」を提案し、その確立を目指す決意である。
4 勝利のために何が必要か
ノーモア・ミナマタ国賠訴訟は、水俣病被害者と加害者の最後の闘いといえる。最高裁判所判決があるといっても、チッソ、国、熊本県は病像を中心に争うと思われる。闘いに勝利するためには、できるだけ多くの被害者、できればすべての被害者が裁判に立ち上がることが重要である。10月3日、50名が提訴し、11月14日には504名が2陣として提訴した。12月にも提訴予定であるが、さらに多くの被害者が裁判に立ち上がることが必要である。
また、国民の幅広い支持が必要である。そのためには、支援の輪を広げなければならない。被害者が自ら被害を訴え闘う姿勢を示すこと、司法救済制度を明確に示すこと、そして、裁判所に被害の実態、救済の必要性を強く訴えることが不可欠である。先輩の残してくれた偉大な実績、国民の皆様の支援、一枚岩の団結、この3つを大切にしながら、「ノーモア・ミナマタ」を合言葉に闘い抜く決意である。