2003(平成15)年5月、福岡高等裁判所は、農林水産大臣の川辺川土地改良事業の変更計画を取り消す逆転勝訴判決を下した。亀井善之農水大臣が、上告を断念したため、勝訴判決が確定した。
川辺川土地改良事業は、川辺川ダムを水源として人吉球磨地方の約3000haの農地に農業用水を配給する計画で、同計画が取り消されたことにより、多目的ダムの柱となっていた利水事業が失われ、ダム基本計画自体が揺らぎ始めた。
5 水源をめぐる闘い
九州農政局は、新利水計画の策定においても川辺川ダムを水源とする案(ダム案)に固執したため、ダム以外の水源から早く安い水の確保を目指す利水訴訟原告団と激しく対立した。
また、九州整備局も、河川管理者としての地位を利用して、ダム以外の水源から農業用水を確保しようとする計画をことごとく妨害し、事前協議は難航した。
こうしたなかで、2004(平成16)年11月、収用委員会は、審理を再開し、国交省に対して、新利水計画の概要を踏まえ、ダム基本計画を見直すかどうかを含めた対応を示すよう指示した。その際、塚本侃委員長は、「来春まで(新利水計画が)確定していなければ、その状況を前提として判断する」と述べて、国交省の対応によっては申請を却下することを強く示唆した。
6 収用委員会の取下げ勧告
2005(平成17)年5月、新利水計画をめぐる事前協議では、川辺川ダムを水源とするダム案と川辺川に堰を設けて取水する6藤堰案(非ダム案)が固まり、農家への説明会を行ったうえ、事業への参加や水源についてアンケートを実施することが決定したが、新利水計画の策定作業は、当初の予定より大幅に遅れた。
同月末に開催された収用委員会では、塚本委員長が、これ以上の審理は不要と判断したうえで、申請を却下するかどうかを検討する裁決会議に入ることを表明し、収用手続は大詰めを迎えた。
同年8月29日に開催された収用委員会において、塚本委員長は、「申請をいったん取り下げることを勧める。9月22日までに取り下げなければ、26日に申請を却下して審理を終結させる」と国交省に取下げを迫った。
取下げ勧告と圧倒的な世論を受けて、国交省は、冒頭の収用申請取下げを余儀なくされた。
7 新たな綱引き
国交省が、収用申請の取下げを行ったため、事業認定からやり直しを行う必要がある。すなわち、農水省による新利水計画が確定した段階で、国交省がダム基本計画を変更し、再度球磨川漁協と補償交渉を行ったうえで、収用手続を始めなければならない。本体着工の前提が整ったとしても、ダム完成までには10年以上の工事期間を要することが明らかである。
収用申請取下げに危機感を抱いた地元自治体やダム推進勢力は、あくまでもダム建設を促進する構えを崩していない。
しかしながら、川辺川ダム計画は、1967(昭和42)年の計画公表以来約40年が経過し、これ以上流域関係者を巻き込むことは許されない。すなわち、地元では、ダム建設のために河川の整備や利水施設の改修が後回しにされてきたが、過疎化・高齢化が進むなかで社会情勢が変化し、ダム建設の大義名分は失われている。
国交省は、速やかに川辺川ダム計画を撤回し、疲弊した人吉球磨地方の再建に1日も早く着手すべきである。そのために、利水事業はダムから切り離し、「早く安い水」を農家に届ける方策を講じるべきである。また、治水事業についても、これまで放置されてきた河川改修に取り組み、ダムによらない洪水防止対策を推進すべきである。