新しい運動のスタイルを目指す試み
- やま、かわ、うみ、そらフェスティバル -

弁護士 尾崎俊之

  
1、去る5月21日の土曜日午前10時、東京立川の昭和記念公園の"みんなの原っぱ"に"自称"も含め100人を超える"若者"が集まった。そしてそれぞれのブースのセッティングのおおわらわに取りかかった。私も「東京大気」のブースで、事務局メンバーや早々と参加してくれた原告といっしょに、ブースを訪れてくれる一般市民に署名と引き換えにあげるためのゴム風船を膨らましにかかった。
 この日は朝からまばゆいばかりの太陽が照りつけていた。大気ブースの準備が一段落したところで他のブースをまわってみた。みんなの顔が太陽の日差しに負けない位輝いているのが目に入り、私も嬉しくなった。

2、 やがて10時40分となり、トランペットの松平晃さんが中央ステージで、さわやかな曲を奏でた。11時となり、私の出番となった。
 「本日のフェスティバルの実行委員長の尾崎です。本日のフェスティバルは、自然環境を守り、自然の破壊は許さないという願いを込めて、高尾山、川辺川、有明海そして東京大気の闘いの仲間が中心となり、50を超える団体が参加して、その願いを1般の市民の方々そして若者達に伝えることを目的として開催されました。
この場では公園に遊びに来られた一般の市民の方々に午後4時30分から立川側の出口に出てすぐの特設会場で、ライブコンサートを開き、そこに集まってくる若者たちに、私たちの自然を守り、子供達に引き継ぎたいという思いを伝えようではありませんか!
 でも肩ひじ張らずに楽しくやりましょう。今日1日がみんなにとって楽しい1日となることを願ってやみません。それでは始めましょう!」

3、昭和記念公園は、「立川飛行場」の跡地だけあって、ともかく広大だ。土曜日ともなると公園には1万人もの人が入園するという。この日も各ブースが終日来園者で賑わっていた。
 どれ位みんなの思いが伝えられたか、数で表すことはできないが、「なくせ公害、守ろう地球環境」の思いは多くの人々の心に残せたのではないかと思う。

4、同じ日の午後4時30分。先の会場から歩いて20分程の特設会場。早くから入場した若者のため4時から演奏していたグループが舞台から降り、進行役が私を紹介した。
 「みなさん今晩は!私は、いつもは真面目に弁護士をやっていますが今日は仕事のことは放っておいて、みなさんに呼びかけるためにここにやって来ました。みなさんの知っている高尾山の自然が壊されようとしています。これを許してはなりません。清流川辺川が不要なダムによって壊され、鮎が取れなくなるかも知れません。これも止めなくてはなりません。諫早湾の埋め立てでギロチンが降りて有明海の豊かな海が死の海となろうとしています。東京の空は自動車のディーゼル排気ガスで汚され、東京でぜん息に苦しむ人は50万人もいます。豊かな海を、きれいな空を取り戻さなければなりません。
 今日は演奏の合い間にそれぞれの立場からみなさんに訴えかけがあります。その話にも耳を傾け、受けとめて下さい!もちろん演奏でも盛り上がってみんなで楽しくやりましょう!」

5、 この後最初の演奏者ゴクウが終ったところで、東京大気の25才の女性患者が訴えた。小児ぜん息で小・中学校のころいじめにあったこと。仕事への夢も、ぜん息のために次々と失ってしまったこと。ぜん息の原因が自動車排ガスであることを知って、自動車メーカーや国や都に責任を取ってもらいたい。東京にきれいな空気を取り戻したいと訴えた後、「会場内に、みなさんの声を届けるための署名用紙と、みなさんへのアンケートの用紙が置いてあります。どうぞお帰りになるまでに書いてもらえたらと思います。お願いします!」と呼びかけた。

6、その後日が暮れるまで、署名とアンケートのコーナーで反応を待った。訴えた彼女も一緒だった。
 演奏が続く中だったにもかかわらず、次々と署名やアンケートに応えてくれる若者がやって来た。
 80名近い署名とその半数近いアンケート回答がもらえた。被告の話に共感したと答えた人が1番多かったが、「手伝いたい」「情報を送って」という人もかなりにのぼった。
 新しい運動の形が、朧気ながら見えたような気がした1日であった。