公害弁連ニュース 144号




巻頭言   2005年初頭におもう

代表委員 弁護士 花田啓一

 すぐる年、梅原猛氏が有明海辺のむつごろうたちになりかわって戯曲をものした有明干拓のさしとめ判決があり、水俣関西訴訟について、国の責任を認めた原告勝訴確定の最高裁判決があった。
 これら行政に対する「たみ」の声を支持した司法判断に、「くに」の対応は周章狼狽、支離滅裂をきわめている。何が問題で何をどうするのか、どうすればよいのか、五里霧中で、小泉「改革」って一体何、やリかけた巨大「公共」事業のごり押しと国民の健康福祉切りすてに固執するだけじゃないのかという世論は強まるばかりである。農林水産省は判決にもかかわらず有明海を守れとの漁民、地域住民や世諭、有識者の声をまともに聴こうとせず、環境省は77年認定基準に固執し、熊本県の公害審査会は、最高裁判決をうけて当然増大する水俣病認定申講に対応もできない状況である。
 大気汚染間題についていえば、川崎、尼ケ崎、名古屋とつづく住民勝訴差しとめ判決のあとの「青空」をめざす和解条項実現への各地での原告被害住民と国の協議は、尼ケ崎の公調委あっせんにかかわらず国土交通省現地の消極姿勢で未だ目ぼしい成果にいたっていない。
 東京大気での高裁、地裁の闘いは、国、企業交渉が前記各地の協議、交渉とも連動して、ことし節目を迎えようとしている。
 昨年末愛知の地元各紙は「万博まであと100日」を報じ、他方ブェノスアイレスでの地球温暖化に係る気候変動防止枠組み条約締約各国会議の報道記事は2月京都議定書発効以降の議題と行程表につき米国の反議定書路線、各国の思惑、日本の政府内−環境・経済産業−不統一などを、間題点としてあげている。
 ここでもアセアン十プラス日中韓の東アジア共同体への指向は、アジアに軸足を持つべきわが国にとって、平和、友好とともによき環境への大きな未来の展望を示すものではないだろうか。
 3月25日開幕予定の、自然の叡智を掲げる「愛・地球博(愛知万博)」は、住民の運動世論の動向により海上の森の大部分を会場から外しはしたが、当然に巨大開発による自然破壊、ぼう大な財政支出(県民負担2000億円といわれ、撤去費予算のみで12億という)による大きなひずみをかかえ、これを前に2月開港をめざす中部新空港またしかりである(関西空港の二の舞が懸念され、すでに集団訴訟中)2005年をどのような展望と決意で迎えるか、国の内でも外でもまさに正念場といえよう。





新横田基地騒音公害訴訟
―控訴審結審報告―

弁護士 小林善亮

1 控訴審の審理経過
 2004年12月8日、東京高等裁判所で新横田基地騒音公害訴訟控訴審が結審しました。
 同訴訟は、米軍横田基地周辺の住民約6000名が「静かな眠れる夜を返せ」と米軍機の夜間・早朝の飛行差し止めや損害賠償を求めて起こした裁判です。
 2002年5月、東京地裁八王子支部は過去の騒音被害に対する損害賠償として総額約24億円の支払を国に対して命じました。しかし、この判決は、夜間早朝の飛行差し止めと将来の賠償請求は認めず、しかも、「危険への接近論」に基づき原告の損害額を一部減額したり、陳述書未提出者の請求を否定するなど原告が納得出来る内容ではありませんでした。
 控訴審では、横田基地の騒音被害について、これまで6回もの裁判所による違法判断が下されたにもかかわらず何ら抜本的解決がなされていない以上、差し止めないし将来請求を認めるべきであること、賠償額も高額化すべきであること、国が違法状態を放置している以上「危険への接近論」の適用は許されないこと等を主張してきました。
 2003年11月に第1回弁論が開かれた控訴審の審理は、3月に騒音被害状況を撮影したビデオテープの検証を行い、6月には原告代表者2名の本人尋問、9月には1日かけての現場検証と順調に進行しました。特に現場検証では、裁判官の目の前で戦闘機2機が連続して離陸し、基地周辺住民の騒音被害の実態を印象づけることができました(ちなみにこの離陸時は、いずれも110デシベルを超える騒音を測定しました。)。
 この間、100名を超える原告が志半ばで亡くなられました。亡くなられた原告について訴訟手続きを承継するための事務作業も膨大でしたが、第1回口頭弁論が開かれてから実に1年で結審を迎えることが出来たのは、1日も早く眠れる夜を取り戻したいという訴訟団、弁護団の共通の思いがあったからに他なりません。

2 ようやく迎えた結審
 結審当日は、原告(1名)や新横田訴訟弁護団(6名)の弁論に加え、公害弁連及び全国の基地訴訟弁護団から応援弁論(5名)がありました。
 意見陳述にたった原告は「納税・勤労の義務果たしているのだから、家族の団らんは私の権利でありそれを保障するのは国の最低限の義務である。」と日常の騒音被害とそれを野放しにする国の不当性を訴えました。続いて、新横田訴訟弁護団長の榎本信行弁護士が飛行差し止めを認めなければ、基地周辺住民の救済の道が閉ざされてしまうと司法の役割を指摘しました。
 応援弁論では、公害弁連から西村隆雄弁護士が「大気汚染公害について現在国との協議会が進んでいるのは差し止めの判決があればこそである。」、厚木基地訴訟を代表して野村和造弁護士が「国による基地騒音の放置を許せば多数者が少数者を迫害する権利得ることになる。」とそれぞれ訴え、その後も、普天間基地訴訟の高木吉朗弁護士が、昨年8月に起きた沖縄国際大学へのヘリ墜落事故を例にとり基地周辺の占領下と変わらない状況を述べ、新嘉手納基地訴訟の森下弘弁護士は、沖縄県が行った基地周辺住民の健康調査で12名の騒音性聴力損失者がいたことを紹介しながら、騒音被害を放置すれば健康被害も広がると訴えました。小松基地訴訟の川本藏石弁護士は「基地訴訟の長期化には差止を逃げてきた裁判所にもその一端がある。」と裁判所の責任を厳しく指摘しました。
 弁護団の意見陳述は、これまでの原告の主張について、ポイントを絞って総括するものでした。盛岡暉道弁護士は、飛行騒音データに基づき、横田基地周辺の騒音被害が何ら改善されてないことを示し、山口真美弁護士は、原審が身体的被害として難聴と耳鳴りしか認めなかった点を批判し、一瀬晴雄弁護士は、行政訴訟法改正の趣旨にも言及しながら違法な侵害行為の放置許されないと訴えました。犀川弁護士は、裁判所による違法判断を無視して侵害行為が繰り返されている以上、被害が将来も継続すること明らかであって、少なくとも将来請求は認めらなければならないと、長期にわたり繰り返し裁判を強いられている原告の被害救済を求めました。
 そして最後に、土橋実弁護士が、憲法の定める三権分立の趣旨からして、裁判所が違法と判断した事柄について行政は是正義務があるとして「歴史に残る判決を」裁判所に求め弁論は終結しました。判決期日は「追って指定」とされました。
 弁論はどれも力強く説得力があるものでした。裁判長も、弁論に立った原告や代理人らそれぞれの方に顔を向け、メモをとりながら熱心に聞き入っていました。

3 今後に向けて
 横田基地は、突如として国及び石原東京都知事が打ち出した「軍民共用化」や米軍再編の影響で取りざたされている自衛隊との「軍軍共用化」など、予断を許さない状況が続いています。
 「静かな眠れる夜を」という住民のささやかな要求を無視しながら基地機能を強化し、これ以上の騒音被害をもたらす動きはとうてい受け入れることはできません。
 米軍基地基地再編の動きの中で、新横田基地訴訟をはじめとする全国の基地騒音訴訟が、基地被害を訴え続けていることは極めて重要です。今後は、今回出される新横田基地控訴審判決を踏まえ、全国の基地訴訟と連携を取りながら、横田基地の機能強化を阻止するための運動を改めて組み立てることが必要となってきます。
 今後もどうかご支援のほどを宜しくお願いします。





水俣病関西訴訟最高裁判決の意味するもの

水俣病訴訟弁護団事務局長
弁護士 板井 優

T 最高裁判決の内容
 2004年10月15日、最高裁第2小法廷(北川弘治裁判長)は水俣病関西訴訟原告58名中45名のうち38名について国・熊本県の上告を棄却する判決を言い渡した。
1 今回の最高裁判決の要旨は次の通りである。
(1) 責任
  1. 国が昭和35年1月以降、水質2法(水質保全法・工場廃水規制法)に基づく規制権限を行使しなかったこと。
  2. 熊本県知事が県漁業調整規則32条に基づく規制権限を行使しなかったこと。
  これは国家賠償法1条1項の適用上違法であり、その責任はチッソの4分の1程度である。
 したがって、昭和34年12月までに水俣地域から、他地域に移り住んだ原告患者8名は因果関係がないので請求を棄却する。
(2) 病像 (判決は大阪高裁判決を前提にしているが)次の要件のいずれかに該当するものは、メチル水銀に起因する障害が生じている患者と認定して差し支えない。
  1. 舌先の2点識別覚に異常のある者及び指先の2点識別覚に異常があって、頚椎狭窄などの影響がないと認められる者
  2. 家族内に行政認定患者がいて、四肢末梢優位の感覚障害がある者
  3. 死亡などの理由により2点識別覚の検査を受けていないときは、口周辺の感覚障害あるいは求心性視野狭窄があった者
2 ところで、大阪高裁判決で敗訴した原告患者らも上告をしていたが、最高裁は今回の判決に先立って2004年3月31日に上告を棄却している。

U 最高裁判決の評価
1 責任
 最高裁判決が国・熊本県の責任を認めたのは当然のことである。水俣病全国連では、熊本地裁(裁判長相良甲子彦氏、同足立昭二氏)で2回、京都地裁(裁判長小北陽一氏)で1回行政の責任を断罪する判決を勝ち取った。特に、相良判決は、食品衛生法も含めて、水俣病問題における国の責任を余すところなく、明らかにした。
 ところで、法律上、確定判決で救済できるのは、裁判で当事者になった原告だけである。そこで、水俣病全国連は、全ての水俣病患者を生きているうちに救済する立場から、判決をテコに国の水俣病患者大量切捨て政策を転換させ、最終的には裁判所での和解による解決を選択した。水俣病全国連の闘いは、裁判をしてなかった者も含めて1万1千人以上の水俣病患者救済を実現した。今回の最高裁判決は、この解決が国の責任に基づくものであることを改めて確認する形で出されたものである。特に、解決から10年経ったが、救済された被害者のうち、2500人を越える方々が亡くなっている。その意味では、水俣病全国連の方針と選択が正しかったことは明らかである。
 なお、最高裁判決は工場廃水規正法では政令を制定しなかった不作為責任を明らかにした。これはハンセン病裁判での法律を制定しなかった責任、筑豊じん肺訴訟で省令を制定しなかった責任を明らかにしたことに引き続き、政令についても不作為責任を認めたもので、公害防止に対する国の責任の大きさを示すとともに、司法判断に対する行政の聖域がなくなったことを明確にしたものである。
 なお、最高裁判決は水質2法だけで国の責任を認めた関係で、昭和34年12月以前に水俣を離れた8名について行政の責任を否定する不当な判断を下している。
2 病像
 最高裁判決は病像については大阪高裁判決を前提にしているが、行政が水俣病でないとして棄却した者の中に、裁判では水俣病とされる者がいることを認めた点で、現行の行政認定制度が被害の実態よりも狭いものであることを明らかにした。その点では、1985年8月16日の水俣病第2次訴訟福岡高裁判決やその後の第3次訴訟相良判決などが示した国の大量切捨て政策の誤りを最高裁も後追いする形で認めたものである。
 しかしながら、大阪高裁判決は、「水俣病」を行政認定上の水俣病に限定するような表現で、裁判で認められた者を水俣病とせずメチル水銀中毒症患者という表現にこだわっている。また、大阪高裁判決の基準をあてはめると、先の解決で救済された水俣病患者のうち、約2割近くが救済対象から外れてしまう恐れもある。
 しかし、病像に関しては、すでに確定した福岡高裁判決がある。同判決は「汚染魚を多食した事実と四肢末梢性感覚障害があれば水俣病」と判断した。この判決に対し、当時の石本茂環境庁長官は「上告して先が見えていると思う」として、チッソに上告断念を行政指導した。チッソはこれを受け入れて上告放棄を表明して判決は確定した。この福岡高裁判決は、「水俣病」を行政認定水俣病に限定していない。
 その意味では、福岡高裁の示した水俣病像は、幅広く水俣病患者を救済する内容になっている。この福岡高裁の水俣病像を確立したのは、藤野糺医師ら県民会議医師団(団長上妻四郎医師)であり、水俣病第2次訴訟の原告たちを始めとする水俣病全国連である。

V 今後の課題と展望
 現在、熊本県は最高裁判決で責任を問われたことを前提に県独自に解決策を作成し、国との協議を行っている。私は、以下の課題も含めて特別立法も視野に入れた解決策が必要であると考えている。
1 国の責任を明らかにしていく課題
 環境省は2002年に水俣市で開催された国際水銀会議において1956(昭和31)年から1968(昭和43)年までの事実関係に基づいて水俣病の「教訓」を明らかにする報告書を作成した。
 しかし、これは国には責任がないという前提でまとめられており、しかも、(1)水俣病裁判が、加害企業チッソや昭和電工、国・熊本県の責任を明らかにし、さらに水俣病の病像を確立したこと。(2)水俣病全国連が判決を踏まえて国の水俣病患者大量切捨て政策を転換させた歴史的役割をも前提にした、ことには全く触れていない。今こそ、国の責任を前提とした水俣病の教訓を明らかにすることが求められている。
 また、環境省は第三者機関を設置するとしているが、その意味では、人選も含めて国民に公開してハンセン病と同じような歴史的な検証をしていくことが求められている。
2 水俣病被害を全て明らかにする課題
 水俣病被害は大量暴露によるメチル水銀の健康被害だけでなく、長期微量汚染、妊婦や胎児に対する汚染、環境ホルモンとしての影響、さらには自然界だけでなく、社会的影響も含めて、被害の全体像を余すところなく明らかにする必要がある。
 少なくとも、行政が責任を持ってこうした調査を行い、その結果を報告・公表することが必要である。
3 まだ救済されていない水俣病被害者を救済する課題
 国は、水俣病第2次訴訟や関西訴訟で水俣病とされた原告患者、およびこれまでの政府解決策の対象者で四肢抹消性感覚障害が認められた人については水俣病と認めるべきである。
 現在、少なからぬ人たちが熊本と鹿児島で新たに認定申請をしている。この人たちをどのように救済するかも大切な課題である。この救済制度は基本的には医療費、継続給付、一時金など、水俣病被害の実態に見合った必要な健康対策事業などをする必要がある。
4 環境復元の課題
 水俣湾の水銀へドロ埋立地は巨大な欠陥産業廃棄物処理場である。この処理の問題はわが国の公害問題の課題でもある。今回の最高裁判決は、国の責任を明らかにしており、国の責任で根本的な解決をすることが今求められている。
5 当面の緊急の課題
 何よりも、国や熊本県が責任を認めて水俣病患者、市民および国民に真摯に謝罪することである。ましてや責任が確定して以降に発生した新潟水俣病の被害者には特別に謝罪すべきです。熊本県知事はそうした立場を取っており高く評価できる。
 その上で、総合対策医療事業を行政の責任でさらに拡充することが必要である。
 何よりも緊急に、行政の責任において、水俣病第2次訴訟原告と関西訴訟原告に医療費・医療手当を支給すべきである。
 なお、胎児性水俣病患者の親たちが亡くなって行く中で、改めて胎児性水俣病患者の問題をどうするかも考えていかなくてはならない課題である。





「あっせん」に基づく「大型車交通量低減のための総合的調査」の実施について

弁護士 羽柴 修

1 「あっせん」後の経緯
(1) 04年6月に公調委で成立した「あっせん」合意により、「連絡会」が公開され、公開「連絡会」で懸案の「大型車交通量低減のための総合的調査」に向けた協議が精力的に行なわれた。あっせん合意後の日程は以下の通りである。
  第3回   03年9月30日
  第4回   同年12月18日
  第5回   04年2月24日
  第6回   同年 4月23日
  第7回   同年 6月13日
  第8回   同年 7月28日
  第9回   04年 9月21日
  第10回  同年 11月 5日
(2) 8回の「連絡会」で意見交換したのは、あっせんの目玉であった「大型車の交通量低減のための総合的調査」の内容、方法についてである。03年9月30日のあっせん合意後最初の「連絡会」において、これから行なう意見交換はそれまでの「連絡会」とは異なり、(1)「建設的かつ有効な意見交換」を行なうこと、(2)調査開始の準備段階から実施、試行、警察庁への要請までの全てのステージで文書・資料を公開すること、(3)調査結果を踏まえた警察庁への要請は文書で行ない、当然のことながら回答も文書で行なわれるべきことを申し入れ、これについては国交省も合意約束した。その後の「連絡会」は順調に進むと思われたが、結局、合計8回もの「連絡会」を重ねることとなり、第10回「連絡会」(昨年11月5日)で漸く、「総合調査」について原則的合意に至った。

2 何が問題となったか。
(1) 「連絡会」で最初の暗礁は、調査に先立ち国交省が、大型車低減の削減目標値に関する問題であった。本件地域の大型車交通量、即ち、01年2月調査の3万9557台の大型車をどの程度削減するのか、削減目標値を持つことは不可欠である。これを想定するかしないかで、総合調査のデザインが違ってくるし、調査対象となる本件地域の事業者等の捕捉、抽出率をどの程度とするか姿勢が変ってくるのである。国交省に大型車削減についてやる気があるのかないのかの問題でもある。この問題で国交省近畿地方整備局は、削減目標値を設定すると数字が一人歩きし、国交省がその目標値を達成する約束をしたと誤解されるからと抵抗し、5月の第5回「連絡会」まで協議が空転した。これについては原告・患者会側が譲歩し、削減目標値については、総合調査の質問項目の設定など調査内容を詰める中で都度協議するということで話を納めた。
(2) 次に問題となったのは、43号線の交通規制区域の拡大問題である。「あっせん」合意による調査は、本件地域における大型車の交通量の低減を図ることを目的とするが、その調査は、「国道43号線において部分的な通行規制が実施された場合における運行経路の見直しの意向調査」と明記されている。然るに国交省は、総合調査の質問項目の中で、本件地域における43号線の部分規制ということを明示せず、兵庫県内の43号線全線規制を前提とした場合の運行経路見直しの意向、あるいは本件尼崎地域の規制の場合、全件規制の場合と2本立てで事業者やドライバーの見直しの意向を聞くという案を6月7日に突然提案、その後これに固執する姿勢を示した。43号線全線規制を想定するというのならその方がいいいのではないかと誤解されやすい。実は、「あっせん」に先立つ01年調査に基づく兵庫県警の検討結果で、全線規制は影響が大きく、交通規制は不可能との結論が形の上で出されている。これは患者会や弁護団の意見を無視して一方的に行なわれた調査ではあるが、このことがあったので公調委も部分規制をする場合の運行経路の見直しに関する調査をするよう提案しているのである。我々は、(1)公調委が部分通行規制としたのは、43号線全線規制は困難であり、部分通行規制という手法を採用した尼崎モデルをつくるのが本件調査の目的であること、(2)43号線の県内全線規制は影響が大きいのは当たり前、(3)国交省が全線規制をするつもりも計画もないのに全線規制を前提とする調査をするのは不謹慎・不誠実、(4)規制対象区域が狭いほうが通行経路見直しの選択肢は増える、として「あっせん」合意に明示された手法でするよう要求した。この問題で「連絡会」は再び決裂か、という事態を迎えたが、第10回「連絡会」で国交省が折れて、尼崎地域部分通行規制を明示した調査とすることで合意した。
(3) 最後の問題は、阪神高速道路公団が関係するが、ロードプライシングの内容の充実についてである。迂回路となる「湾岸線」料金を割り引く場合、割引対象区間を武庫川以西の阪神西線のみとするか、武庫川以東の阪神東線も対象とするかという点である。患者会・弁護団は当然のことながら阪神東線も割引対象区間としなければ意味がない(尼崎地域から大阪方面への車両は東線を利用する車両が相当ある)ので、東線も対象区間とすることを要求し、最後の詰めをした。既に「あっせん」合意後、1年半を経過しようとしていたこともあり、これは運行経路見直しの調査なのだからということで(直ちに、東線を含めた料金が割り引かれる訳ではない)、12月20日の準備会で東線も対象とすること(聞き方は、(1)西線(2)西線〜東線(3)東線のそれぞれを選択させ、どの程度の割引額になれば湾岸線に変更するのかを質問)で最終的に合意ができた(東線は公団にとってドル箱で抵抗が強かった)。

3 今後の予定と課題
 以上の次第で漸く、「大型車の交通量低減に関する意向調査」について合意が成立した。新年1月21日の第11回「連絡会」で正式に合意・確認し、調査が開始される。現在のところ、調査は3月上旬(事業者やドライバーへの調査用紙の配布は2月中旬)、調査用紙の回収は3月中、調査用紙の回答結果の入力・分析検討は新年度になるとのことである。「あっせん」合意に基づく調査が、時間がかかりすぎた感はあるが、いよいよ動き出す。昨日、三井物産が大型車に装着するDPFに関する虚偽データ作成・詐欺事件で強制捜査を受けた。単体への規制が遅々として進まない状況の中で、尼崎地域のこの「総合調査」の意義は大きいと考える。今後はしっかりした調査がなされるよう、調査結果の分析・検討、これに基づく警察庁への要請など重要なステージに移行する。引き続き気を抜かないよう頑張っていく所存である。





京都議定書の発効と今後の課題

弁護士 早川光俊

1 京都議定書が発効
 ロシアが京都議定書を批准し、今年2月16日に京都議定書が発効する。京都議定書は、地球温暖化防止のためのの唯一の国際的枠組みであり、議定書の発効を心から喜びたい。
 京都議定書は、1997年12月に京都で開催された第3回締約国会合(COP3)で合意され、その後、京都メカニズムといわれる排出量取引、クリーン開発メカニズム、共同実施などの運用ルールや森林など吸収源の定義や計算方法などについての議論が続いていた。2001年3月にはアメリカが京都議定書からの離脱したが、同年11月のCOP7で運用ルールの合意が成立していた。
 京都議定書の発効には、55カ国以上の締約国と、先進工業国の55%以上の2酸化炭素排出量を持つ国の批准が必要であり、アメリカとオーストラリアが京都議定書交渉から離脱してしまったため、17.4%の二酸化炭素排出量を持つロシアの批准が議定書発効の条件になっていた。

2 増加する温室効果ガス排出量
 「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、二酸化炭素濃度を現在のレベルに安定化させるためには、直ちにその排出量を50〜70%削減する必要があるとしている。京都議定書の削減目標は先進国全体で2008年から2012年までの平均年排出量を1990年レベルから5.2%削減するというもので、この削減目標は地球温暖化防止のためには極めてささやかな削減目標に過ぎない。
 しかし、この削減目標を確実に達成することが地球温暖化防止の第1歩である。ところが、付属書T国が提出した第3回国別報告書に基づく先進国の温室効果ガス排出量と今後の予測によれば、1990年から2001年までの経済移行国以外の先進国の温室効果ガス排出量は8.3%の増加し、このままでは、2010年には先進国全体で約10%、経済移行国を除く先進国全体では17%も増加してしまうとの予測になっている。
 日本でも、温室効果ガスの排出量は増加し続けており、2003年度の排出量は90年比で8%も増加してしまっている。経済産業省などの試算によれば、現在の地球温暖化防止の政策と措置がすべて実施されても2010年に90年比で5%も温室効果ガスの排出量が増加してしまうとされている。

3 削減目標の確実な達成が最大の課題
 日本政府は現在、地球温暖化防止のための政策を定めた「地球温暖化対策推進大綱」の評価見直し作業を進めているが、対策の先延ばしや、政策強化を回避しようとする動きが産業界や政府の一部から強まっている。また、炭素税の導入や国内排出量取引に対しても、産業界などは強く反対している。
 そもそもこの大綱は、日本の6%の削減目標のうち、5.5%を吸収源や京都メカニズムによって達成するというものであるうえ、2010年までに原子力発電量を2000年比で約3割増加することを前提とし、省エネルギー対策の約3割を経団連の「環境自主行動計画」に頼っている。しかし、原子力発電所の新増設計画は日本でもほとんど不可能となっており、経団連の自主行動計画の実効性を担保する政策がない。
 現在の地球温暖化対策推進大綱の政策がすべて実施されたとしても、温室効果ガスの削減はできないとされ、結局、排出量取引などの京都メカニズムにより数字あわせをするしかないとのことで、日本政府はルーマニアやブルガリアなどと室効果ガスの「排出量」取引の交渉に入ったとの報道がなされている。

4 環境税について
 環境省は、昨年11月5日、環境税の導入試案を発表した。この試案では、炭素1トン当たり3400円を課税するとされ、ガソリンは1リットル当たり約1.5円、電気は1キロワット当たり0.25円を料金に上乗される。石油などの輸入段階又はガソリンなどの蔵出し段階で課税する上流課税とされ、税収の使途は各界各層が行う省エネ対策などを支援するとされる。税収を、特別会計にするか、一般会計に組み入れるかは別途検討するとしている。
 環境税については、国民の誰もが対策を担うように促すことができる唯一の施策であり、税という手段が広くインセンティブを与えるには適切だという側面がある反面、消費税と同じような問題があり、また、産業構造や雇用の移動などへの影響も指摘されている。
 今回の環境省の試案は、1990年の温室効果ガスの排出量の2%の削減が可能な環境税を検討し、炭素1トン当たり3400円としたとされている。しかし、税率が低すぎて効果が疑問であるとか、大排出源への軽減措置により効果が減じられること、軽油の税率をガソリンの半分程度にすることによる大気汚染激化の懸念などの問題が指摘されている。

5 第二約束期間以降の将来枠組みの議論
 都議定書第3条第9項は、第一約束期間の終了する少なくとも7年前の2005年末までに、第二約束期間以降の目標について検討を開始しなければならないとしている。
 第二約束期間以降の将来枠組みは、総量削減、法的拘束力、遵守制度などの京都議定書の骨格を引き継ぐもので、その削減目標は、少なくとも第一約束期間の削減目標を大幅に上回るものでなければならない。
 ところが、日本の産業界や一部の省庁に、将来の枠組みを、総量削減ではない原単位目標にし、法的拘束力もなくし、遵守制度も緩める、京都議定書とは全く異なる枠組みにしようとする動きがある。こうした動きは、進行する気候変動に対する危機感に乏しく、気候変動を防止しようとする意思に欠けていると言わざるを得ない。

6 急速に進行する地球温暖化、残された時間は・・・
 今年の日本は記録的な猛暑で、各地で真夏日の日数を更新した。大型の台風が10個も上陸し、これまでの最大6個から大幅に記録を更新した。地球温暖化は、私たちが思っているより、はるかに急速に進行しているように思われる。
 世界の環境NGOのネットワークである気候行動ネットワーク(CAN)は、「気温上昇幅を産業革命以前から2℃未満に抑えなければ、地球規模の回復不可能な環境破壊により人類の健全な生存が脅かされる可能性がある」と警告している。すでに0.7℃上昇してしまった。残された時間は多くない。





普天間基地米軍ヘリ墜落事件

弁護士 加藤 裕

1 外国軍駐留の異常性を示した事故
 2004年8月13日に海兵隊所属の大型輸送ヘリコプターCH53Dが普天間基地に隣接する沖縄国際大学に墜落した事故は、この狭い沖縄に2万6千余もの米軍が駐留している異常性をあらためて浮き彫りにした。
 ヘリコプターは大学事務棟に衝突して炎上するとともに、周辺50箇所近くに機体の一部や破片を飛散させる極めて甚大な被害をもたらした。沖縄タイムスは、翌日13面にわたって事故の詳細を報道した。
 それにもかかわらず,県外での報道は極めて少なく、米軍に至っては、事故の重大さに反省するどころか、大学構内に墜落させて人身被害を防いだ、とパイロットを賞賛する始末である。ここでは、8万7000の人口を有する市の中心に軍事航空基地を設置する欠陥ゆえの事故であることは忘れられている。
 米軍の事故処理にも重大な問題があった。それは、事故発生後米軍は地元消防より早く現場に到着したが、初期の消火活動を終えてからも現場を封鎖し、沖縄県警や大学関係者らの立ち入りをも拒んだことである。これについては、在日米軍地位協定にもとづく日米合意議事録において「日本国の当局は、…合衆国軍隊の財産について、捜索、差押え又は検証を行う権利を行使しない。ただし、合衆国軍隊の権限ある当局が、…同意した場合は、この限りではない。」という合意による「同意」を米軍がしなかったのが問題だ、という議論があるが、誤っている。
 そもそも、在日米軍地位協定では、犯罪捜査についての日米「相互援助」を定めているだけであって(17条6項a)、基地外での米軍の警察権は「合衆国軍隊の構成員の間の規律及び秩序の維持のため必要な範囲内に限る」(同条10項b)とされている。したがって、本件事故においては、消火活動や人命救助のための出動は緊急避難として認められるとしても、その後の米軍による現場封鎖や報道機関に対する取材妨害などは地位協定の解釈以前の違法行為である。米軍は、現場の管理権者である大学の許可を得るか、もしくは日本警察による強制捜査への補助者として現場に立ち入って、自らの財産である機体の検証もしくは撤去をなすべきであった。
 今回の事故は、外国に駐留する軍隊はその派遣先の市民の人権を侵害することについて何の痛痒も感じないという事実を示したものといえる。

2 辺野古海上基地建設問題への影響
 ヘリ墜落事故後の県民世論調査では、名護市辺野古への基地移設賛成は6%にまで落ち込んでいる。保守系が多数を占める宜野湾市議会でも、SACO合意見直しと辺野古移設再考を求めるという画期的な決議が事故後直ちになされた。
 しかしながら稲嶺県政と那覇防衛施設局は、事故を利用して逆に辺野古移設をスピードアップするという暴挙に出てきた。
 2004年4月19日以来の辺野古漁港でのテント座り込みによって阻止してきた建設予定海域のボーリング調査についても、ついに防衛施設局は9月9日、座り込み場所の辺野古漁港から50キロも離れている沖縄本島南部の馬天港から調査船を出して調査を開始した。ボーリング調査は63箇所に櫓を設置して海底20数メートルまで掘削して地質調査をするという予定で、この調査自体がサンゴや海草などに打撃を与え、ジュゴンの棲息環境にも重大な影響を与えることが懸念されている。さらに防衛施設局は、11月半ばからは、ボーリング調査のための潜水調査を終えて予定箇所の海域で仮設櫓の設置工事を強行しており、これに対しても、阻止船やカヌーなどで連日海上での阻止行動が続いている。
 これに対して、日本環境法律家連盟の弁護士らが中心となって全国に向けて座り込みを支援する弁護団を呼びかける一方、沖縄県内でも、「基地の県内移設に反対する県民会議」の要請を受け、県内弁護団を結成し、弾圧対策などの対応準備をしている。また今後の建設進行段階に応じた訴訟提起も視野に入れている。

3 辺野古の環境アセス問題
 海上基地については、環境影響評価法に基づいて2004年4月28日に方法書が公告縦覧された。しかし、方法書には建設後の航空機の運用状況や莫大な埋土用の土砂の確保先など必要な情報がまったく記載されてなく、方法書の体をなしていない。
 地元では、市民が沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団を結成し、アセスの各手続に関与する取り組みを進めており、方法書に対する意見書提出の運動を行ったところ、1000通以上もの意見書が提出された。
 この方法書については沖縄県環境影響評価審査会の審議が重ねられたが、この過程で、沖縄県当局は公聴会を開催しないというかたくなな態度をとったものの、審議の途中で中断して傍聴者の発言を1時間以上にわたって聴くなど、審査会は事実上の「住民討論会」の様相を呈した。その成果もあり、審議会答申では、ボーリング調査については「少なからず環境への影響が生じることから、環境への影響を十分に検討させた上で実施させる必要がある」とまで記載させることができた。
 ところが、答申を受けた11月29日の沖縄県知事意見書では、40項目もの環境保全措置を求めたものの、ボーリング調査に関してはアセス対象事業ではないとしてこの審査会答申を無視した内容とされた。

4 米軍の再編と基地撤去の展望
 現在進行中の米軍再編では、アジアにおいては在韓米軍削減と、在日米軍の自衛隊と一体となった強化が進められようとしているが、その中で在沖海兵隊の一部の移動も検討対象に含まれているようだ。
 事故1ヶ月後の9月12日に沖国大グラウンドでひらかれたヘリ墜落抗議宜野湾市民集会は、1995年当時と異なり県政と財界がそっぽを向く中で、主催者目標をはるかに越える3万人が集まった。明らかに動員ではない子どもたち、家族連れ、若者の姿が多数あった。普天間基地の撤去と辺野古移設の阻止の展望はこのような運動の力にかかっているといえる。それからもう1つ、まともにアセスメントを行えば、辺野古への海上基地建設はジュゴンをはじめとしたこの地域の生態系に重大な影響を及ぼすことは明らかであり、県審査会の答申にみられるとおり、市民の監視がしっかりなされることにより、移設阻止の重要な契機になしうるといえる。





【若手弁護士奮戦記】 東京大気汚染訴訟弁護団に参加して

弁護士 雪竹奈緒
1 弁護団参加のきっかけ
 首都圏でかつ通勤圏ではあるが海辺の自然環境が豊かな土地に育ちながら、都心のド真ん中の事務所で勤務することになった私にとって、大東京の大気汚染はひとごとではなかった。なにしろ子どもの頃は、東京や横浜といった都市部に出るたびに、具合が悪くなっていたくらいなのである。実家と東京の大気の差を実感するたびに、「明日はわが身かもしれない」という思いを抱いていた。
 私が弁護士になった直後の2002年10月29日、東京大気汚染訴訟第1次地裁判決が言い渡された。私がはじめて弁護団に参加したのは、この第1次判決の検討会議である。ほとんど予備知識がない私は、「国、公団、都に勝訴」となっていたのだからそれなりに良い判決なのだろうと能天気に思っていたのであるが、実際には敗訴に近い厳しい判決だったことを聞かされ、驚くとともに、1次判決後の途中参加ではあっても今後も若手の活躍の場はあるかもしれないと思ったのであった。

2 専門用語に四苦八苦の日々
 とはいえ、公害訴訟の法的理論構成は、一朝一夕で理解できるようなものではない。まず、会議で飛び交っている専門用語からしてさっぱり分からないのである。私は、いくつかあるパートのうち「到達班」(汚染物質がどのように到達しているかを解明する)に入ったのであるが、はじめのうちは「一般局(一般大気環境測定局)」「自排局(自動車排出ガス測定局)」の意味も知らないという有様だった。このような私を根気よく指導してくださった弁護団の諸先輩方に、心から感謝する次第である。おかげで、先輩弁護士の助けを受けつつであるが、2004年7月には、弁護士となって初の専門家証人の主尋問を経験させていただくことが出来た。

3 原告の方とのふれあい
 かかる大型弁護団訴訟において、弁護士をやる気にさせてくれるのは、やはり細かい法的理論操作などではなく、原告や支援の方々とのふれあいだろう。中でも直接原告の話を聞くことが出来るのが、陳述書の作成である。東京大気訴訟では、外出困難な原告が多いことと、原告の居住状況を弁護団が体感するため、可能な限り原告の家に赴いてお話を伺う。大変な作業ではあるが、同じ病気でもそれぞれの方に、さまざまな苦しみ、ご苦労があることを実感させられ、こういった方々の救済のために、一刻も早く全面解決をという思いにさせてくれるのであった。

4 勝利のための運動の輪を
東京大気訴訟では、支援組織として各区ごとに連絡会をたちあげ、裁判をサポートしており、地区ごとに弁護団の担当も決まっている。そうは言ってもその活動にはかなりの地域差があり、私の担当地域となっている千代田区には、連絡会そのものすらなかった。しかし、2004年10月29日には第1次判決2周年を迎え、2006年には地裁第2次訴訟で完全勝利判決を目指すという折り返し地点にあって、これからの運動の盛り上がりは必要不可欠である。そこで、いよいよ全区に連絡会を立ち上げようということになり、千代田区でも連絡会を作る活動を始めることとなった。
 学生運動も組合闘争も知らない世代の私にとって、このような運動体を立ち上げるなど初めての経験であるが、先輩弁護士や地元の組合の方などとともに、地域に根ざした運動にするためにどうすればよいか考えるのは、普段の弁護士業務とはまた違った面白さがある。

5 最後に
 人は呼吸しなければ生きてゆけない。気管支喘息は、この呼吸するというもっとも基本的な生命維持活動ができなくなる病気である。目の前の空気を安心して深呼吸することが出来る、そんな、ある意味当たり前の世の中を作るため、少しでも力を尽くしてゆきたい。





第34回公害弁連総会にご参加を

事務局長 西村隆雄

 第34回公害弁連総会を下記日程で、東京で開催します。圏央道あきる野事業認定・収用裁決取消判決、よみがえれ!有明海訴訟仮処分決定での画期的な勝利に象徴されるように、環境破壊の大型公共事業見直しのたたかいに新たな前進がみられる一方、新嘉手納基地爆音訴訟、新横田基地公害訴訟が相ついで判決を迎えようとしている中での重要な総会となります。
 今回は、今秋結審を迎える東京大気裁判について最大の争点である自動車メーカー責任をテーマに記念シンポジウムをあわせて開催する予定です。多数ご参加いただきますようお願いします。

日時3月21日(祝)
午後1時〜4時

 記念シンポジウム
  「大気汚染公害と 自動車メーカーの責任」(仮称)
午後4時〜5時半

 第34回公害弁連総会
場所全国教育文化会館 エデュカス東京

東京都千代田区二番町12−1
(右地図参照)

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