今年の日本は記録的な猛暑で、各地で真夏日の日数を更新した。大型の台風が10個も上陸し、これまでの最大6個から大幅に記録を更新した。地球温暖化は、私たちが思っているより、はるかに急速に進行しているように思われる。
世界の環境NGOのネットワークである気候行動ネットワーク(CAN)は、「気温上昇幅を産業革命以前から2℃未満に抑えなければ、地球規模の回復不可能な環境破壊により人類の健全な生存が脅かされる可能性がある」と警告している。すでに0.7℃上昇してしまった。残された時間は多くない。
1 外国軍駐留の異常性を示した事故
2004年8月13日に海兵隊所属の大型輸送ヘリコプターCH53Dが普天間基地に隣接する沖縄国際大学に墜落した事故は、この狭い沖縄に2万6千余もの米軍が駐留している異常性をあらためて浮き彫りにした。
ヘリコプターは大学事務棟に衝突して炎上するとともに、周辺50箇所近くに機体の一部や破片を飛散させる極めて甚大な被害をもたらした。沖縄タイムスは、翌日13面にわたって事故の詳細を報道した。
それにもかかわらず,県外での報道は極めて少なく、米軍に至っては、事故の重大さに反省するどころか、大学構内に墜落させて人身被害を防いだ、とパイロットを賞賛する始末である。ここでは、8万7000の人口を有する市の中心に軍事航空基地を設置する欠陥ゆえの事故であることは忘れられている。
米軍の事故処理にも重大な問題があった。それは、事故発生後米軍は地元消防より早く現場に到着したが、初期の消火活動を終えてからも現場を封鎖し、沖縄県警や大学関係者らの立ち入りをも拒んだことである。これについては、在日米軍地位協定にもとづく日米合意議事録において「日本国の当局は、…合衆国軍隊の財産について、捜索、差押え又は検証を行う権利を行使しない。ただし、合衆国軍隊の権限ある当局が、…同意した場合は、この限りではない。」という合意による「同意」を米軍がしなかったのが問題だ、という議論があるが、誤っている。
そもそも、在日米軍地位協定では、犯罪捜査についての日米「相互援助」を定めているだけであって(17条6項a)、基地外での米軍の警察権は「合衆国軍隊の構成員の間の規律及び秩序の維持のため必要な範囲内に限る」(同条10項b)とされている。したがって、本件事故においては、消火活動や人命救助のための出動は緊急避難として認められるとしても、その後の米軍による現場封鎖や報道機関に対する取材妨害などは地位協定の解釈以前の違法行為である。米軍は、現場の管理権者である大学の許可を得るか、もしくは日本警察による強制捜査への補助者として現場に立ち入って、自らの財産である機体の検証もしくは撤去をなすべきであった。
今回の事故は、外国に駐留する軍隊はその派遣先の市民の人権を侵害することについて何の痛痒も感じないという事実を示したものといえる。
2 辺野古海上基地建設問題への影響
ヘリ墜落事故後の県民世論調査では、名護市辺野古への基地移設賛成は6%にまで落ち込んでいる。保守系が多数を占める宜野湾市議会でも、SACO合意見直しと辺野古移設再考を求めるという画期的な決議が事故後直ちになされた。
しかしながら稲嶺県政と那覇防衛施設局は、事故を利用して逆に辺野古移設をスピードアップするという暴挙に出てきた。
2004年4月19日以来の辺野古漁港でのテント座り込みによって阻止してきた建設予定海域のボーリング調査についても、ついに防衛施設局は9月9日、座り込み場所の辺野古漁港から50キロも離れている沖縄本島南部の馬天港から調査船を出して調査を開始した。ボーリング調査は63箇所に櫓を設置して海底20数メートルまで掘削して地質調査をするという予定で、この調査自体がサンゴや海草などに打撃を与え、ジュゴンの棲息環境にも重大な影響を与えることが懸念されている。さらに防衛施設局は、11月半ばからは、ボーリング調査のための潜水調査を終えて予定箇所の海域で仮設櫓の設置工事を強行しており、これに対しても、阻止船やカヌーなどで連日海上での阻止行動が続いている。
これに対して、日本環境法律家連盟の弁護士らが中心となって全国に向けて座り込みを支援する弁護団を呼びかける一方、沖縄県内でも、「基地の県内移設に反対する県民会議」の要請を受け、県内弁護団を結成し、弾圧対策などの対応準備をしている。また今後の建設進行段階に応じた訴訟提起も視野に入れている。
3 辺野古の環境アセス問題
海上基地については、環境影響評価法に基づいて2004年4月28日に方法書が公告縦覧された。しかし、方法書には建設後の航空機の運用状況や莫大な埋土用の土砂の確保先など必要な情報がまったく記載されてなく、方法書の体をなしていない。
地元では、市民が沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団を結成し、アセスの各手続に関与する取り組みを進めており、方法書に対する意見書提出の運動を行ったところ、1000通以上もの意見書が提出された。
この方法書については沖縄県環境影響評価審査会の審議が重ねられたが、この過程で、沖縄県当局は公聴会を開催しないというかたくなな態度をとったものの、審議の途中で中断して傍聴者の発言を1時間以上にわたって聴くなど、審査会は事実上の「住民討論会」の様相を呈した。その成果もあり、審議会答申では、ボーリング調査については「少なからず環境への影響が生じることから、環境への影響を十分に検討させた上で実施させる必要がある」とまで記載させることができた。
ところが、答申を受けた11月29日の沖縄県知事意見書では、40項目もの環境保全措置を求めたものの、ボーリング調査に関してはアセス対象事業ではないとしてこの審査会答申を無視した内容とされた。
4 米軍の再編と基地撤去の展望
現在進行中の米軍再編では、アジアにおいては在韓米軍削減と、在日米軍の自衛隊と一体となった強化が進められようとしているが、その中で在沖海兵隊の一部の移動も検討対象に含まれているようだ。
事故1ヶ月後の9月12日に沖国大グラウンドでひらかれたヘリ墜落抗議宜野湾市民集会は、1995年当時と異なり県政と財界がそっぽを向く中で、主催者目標をはるかに越える3万人が集まった。明らかに動員ではない子どもたち、家族連れ、若者の姿が多数あった。普天間基地の撤去と辺野古移設の阻止の展望はこのような運動の力にかかっているといえる。それからもう1つ、まともにアセスメントを行えば、辺野古への海上基地建設はジュゴンをはじめとしたこの地域の生態系に重大な影響を及ぼすことは明らかであり、県審査会の答申にみられるとおり、市民の監視がしっかりなされることにより、移設阻止の重要な契機になしうるといえる。
【若手弁護士奮戦記】 東京大気汚染訴訟弁護団に参加して
弁護士 雪竹奈緒
1 弁護団参加のきっかけ
首都圏でかつ通勤圏ではあるが海辺の自然環境が豊かな土地に育ちながら、都心のド真ん中の事務所で勤務することになった私にとって、大東京の大気汚染はひとごとではなかった。なにしろ子どもの頃は、東京や横浜といった都市部に出るたびに、具合が悪くなっていたくらいなのである。実家と東京の大気の差を実感するたびに、「明日はわが身かもしれない」という思いを抱いていた。
私が弁護士になった直後の2002年10月29日、東京大気汚染訴訟第1次地裁判決が言い渡された。私がはじめて弁護団に参加したのは、この第1次判決の検討会議である。ほとんど予備知識がない私は、「国、公団、都に勝訴」となっていたのだからそれなりに良い判決なのだろうと能天気に思っていたのであるが、実際には敗訴に近い厳しい判決だったことを聞かされ、驚くとともに、1次判決後の途中参加ではあっても今後も若手の活躍の場はあるかもしれないと思ったのであった。
2 専門用語に四苦八苦の日々
とはいえ、公害訴訟の法的理論構成は、一朝一夕で理解できるようなものではない。まず、会議で飛び交っている専門用語からしてさっぱり分からないのである。私は、いくつかあるパートのうち「到達班」(汚染物質がどのように到達しているかを解明する)に入ったのであるが、はじめのうちは「一般局(一般大気環境測定局)」「自排局(自動車排出ガス測定局)」の意味も知らないという有様だった。このような私を根気よく指導してくださった弁護団の諸先輩方に、心から感謝する次第である。おかげで、先輩弁護士の助けを受けつつであるが、2004年7月には、弁護士となって初の専門家証人の主尋問を経験させていただくことが出来た。
3 原告の方とのふれあい
かかる大型弁護団訴訟において、弁護士をやる気にさせてくれるのは、やはり細かい法的理論操作などではなく、原告や支援の方々とのふれあいだろう。中でも直接原告の話を聞くことが出来るのが、陳述書の作成である。東京大気訴訟では、外出困難な原告が多いことと、原告の居住状況を弁護団が体感するため、可能な限り原告の家に赴いてお話を伺う。大変な作業ではあるが、同じ病気でもそれぞれの方に、さまざまな苦しみ、ご苦労があることを実感させられ、こういった方々の救済のために、一刻も早く全面解決をという思いにさせてくれるのであった。
4 勝利のための運動の輪を
東京大気訴訟では、支援組織として各区ごとに連絡会をたちあげ、裁判をサポートしており、地区ごとに弁護団の担当も決まっている。そうは言ってもその活動にはかなりの地域差があり、私の担当地域となっている千代田区には、連絡会そのものすらなかった。しかし、2004年10月29日には第1次判決2周年を迎え、2006年には地裁第2次訴訟で完全勝利判決を目指すという折り返し地点にあって、これからの運動の盛り上がりは必要不可欠である。そこで、いよいよ全区に連絡会を立ち上げようということになり、千代田区でも連絡会を作る活動を始めることとなった。
学生運動も組合闘争も知らない世代の私にとって、このような運動体を立ち上げるなど初めての経験であるが、先輩弁護士や地元の組合の方などとともに、地域に根ざした運動にするためにどうすればよいか考えるのは、普段の弁護士業務とはまた違った面白さがある。
5 最後に
人は呼吸しなければ生きてゆけない。気管支喘息は、この呼吸するというもっとも基本的な生命維持活動ができなくなる病気である。目の前の空気を安心して深呼吸することが出来る、そんな、ある意味当たり前の世の中を作るため、少しでも力を尽くしてゆきたい。
第34回公害弁連総会にご参加を
事務局長 西村隆雄
第34回公害弁連総会を下記日程で、東京で開催します。圏央道あきる野事業認定・収用裁決取消判決、よみがえれ!有明海訴訟仮処分決定での画期的な勝利に象徴されるように、環境破壊の大型公共事業見直しのたたかいに新たな前進がみられる一方、新嘉手納基地爆音訴訟、新横田基地公害訴訟が相ついで判決を迎えようとしている中での重要な総会となります。
今回は、今秋結審を迎える東京大気裁判について最大の争点である自動車メーカー責任をテーマに記念シンポジウムをあわせて開催する予定です。多数ご参加いただきますようお願いします。
記 | | |
日時 | 3月21日(祝) |
午後1時〜4時
記念シンポジウム 「大気汚染公害と 自動車メーカーの責任」(仮称) |
午後4時〜5時半
第34回公害弁連総会 |
場所 | 全国教育文化会館 エデュカス東京
東京都千代田区二番町12−1 (右地図参照)
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