公害弁連ニュース 第134号 2002年8月31日発行



目次
四日市判決30周年に、公害弁連の歴史を想う
  ……公害被害者こそ、「地域再生」大事業の主人公……
   代表委員 弁護士 近藤忠孝
新横田基地公害訴訟判決報告   新横田基地爆音公害訴訟弁護団 弁護士 吉田栄士
高尾山天狗裁判最近の動き   弁護士 関島保雄
尼崎道路公害訴訟の「連絡会」をめぐる動き   尼崎道路公害訴訟弁護団 事務局長 弁護士 羽柴修
環境サマーセミナーに参加して   55期司法修習生 金岡繁裕
【若手弁護士奮戦記】 嘉手納基地訴訟弁護団から   嘉手納基地訴訟弁護団 弁護士 和田義之







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四日市判決30周年に、公害弁連の歴史を想う
……公害被害者こそ、「地域再生」大事業の主人公……
代表委員 弁護士 近藤忠孝
1 本年7月20日の四日市公害判決30周年集会は、感慨深かった。公害弁連の発足とその歴史が重なり合うからである。
  公害弁連結成当初の議題の中心は、最終盤の四日市公害裁判をどのように支援するかであり、最終弁論期日には、公害弁連参加各弁護団から、応援弁論がなされた。豊田弁護士も私も参加した。続いて、予想される判決の評価や、判決を迎える体制等についての議論がなされた。この議論に基づいて、四日市公害裁判勝利報告集会の壇上で、私が公害弁連の声明文を読み上げた。
  これらの活動が公害弁連結成後の対外活動第1号であったが、「対外活動」という意識はなく、自分自身の問題であった。
  それは、明治以来、敗北の歴史を重ねてきた公害裁判において、当時、どの裁判も、勝利の前例のない暗中模索の中で、困難な闘いを余儀なくされていたが、何としても勝利すべきだという各弁護団の熱意と必要から、自ずと集まり、相互に助け合うようになった。その議論の場として、青法協「公害研究集会」が第1回富山、第2回四日市、第3回安中と積み重ねられ、それが発展的に公害弁連の結成となった経緯からみて、当時の全ての公害裁判が「他人事」でなくなっていたからである。

2 イタイイタイ病裁判は、公害弁連結成前の、各地弁護団との共同論議の中で、従前の敗北の教訓から「鑑定」を許してはならないという共通認識と、「無限の科学論争」を阻止するための「因果関係論」確立としての「疫学」を裁判所に採用させようという全体の知恵に加え、「無過失賠償規定」(鉱業法109条)という有利な条件があったので、第1号勝利判決となった。
  新潟水俣病判決は、汚染の証拠が工場に辿り着いたら、加害企業がその後の関連を否定する立証をしないかぎり因果関係を認定するとして、イタイイタイ病の因果関係論を更に発展させ、また従来の過失論を大きく前進させた。 四日市公害裁判判決は、これらの成果を土台とし、その上に立って、「共同関連性」「立地上の過失」の認定等、被害者救済の理論を大きく前進させた画期的なものであり、公害発生の行政責任を厳しく論じた部分は、予測を越えるものであった。
  続く熊本水俣病も、大阪空港騒音判決も、これらを土台とし、更に前進を積み重ねていった。この意味で、これら五大公害裁判の勝利は、その担当弁護士の努力と苦労が基本であることはもとよりであるが、これら訴訟と議論に参加した全弁護士と、協力学者全体の知恵と力による成果ということができるのである。このような相互に密着した関係にあったので、各弁護団にとって、当時の全ての公害裁判が「他人事」ではなかったのである。

3 判決を迎える体制についての議論は、徹底した議論に基づくイ病裁判の最初の勝利と成功が、次の裁判に引き継がれ、発展していった。また、世論をバックに如何に加害企業を追い詰めるかの取組も、前者の成功を更に次の裁判の判決日の行動や、企業交渉、政府・自治体交渉の上に生かされ、発展していった。
  イタイイタイ病第1審判決については、控訴を許したが、これに対する被害者の怒りの抗議行動が世論を動かし、三井金属は孤立し、この世論の力が控訴審審理わずか1年という早期勝利判決を実現させた。そして、新潟水俣病・四日市第1審判決に対して、加害企業は控訴できない厳しい世論が形成されていた。
  世論をバックとして、判決をテコに、公害問題の前面解決をはかるという戦略は、イタイイタイ病裁判第2審判決翌日の本社交渉で、「イタイイタイ病前面補償」「土壌復元費用の負担」の誓約書と、「被害者と専門家の立入調査権」についての「公害防止協定」の獲得により突破口を開いたが、これもその後の大気汚染裁判では更に発展し、判決前の企業交渉で、重要な成果を勝ち取る状況にまで至っている。

4 四日市公害判決30周年集会では、倉敷・尼崎・西淀川等における「地域再生」計画事業とその実践状況が、生き生きと報告された。かつての公害発生地域を被害住民の主導により再生する事業が、既に「面」として広がっている。これだけの「地域再生」という新たな取組が、一堂に報告されたのは、壮観であった。
  イタイイタイ病被害の神通川流域では、1500ヘクタールという広大な地域のカドミウム汚染田の復元事業完成の見通しが立ち、豊かな大地を取り戻すという、農村における「地域再生事業」の完成を目指している。公害防止協定による排出は、「自然界レベル」にするということが、企業との合意に達した。かつて「鉱害は当然」とされていた鉱山において、「無公害産業」が現実の課題となっているが、宮本憲一教授によると、これは「世界史的な大事業」であるという。
  かつては、公害被害に苦しみ、敗北の歴史の中で、過去の被害の補償をさせること自体に苦労していた公害被害者は、30年来の闘いの積み重ねと、その前進により、裁判で「公害差止」を実現するに至っただけでなく、公害で疲弊した地域を再生する旗手となり主人公となっているのである。



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新横田基地公害訴訟判決報告
新横田基地爆音公害訴訟弁護団 弁護士 吉田栄士
1、本年5月30日、東京地裁八王子支部において6年余りの裁判を経て1審判決が言い渡された。損害賠償は認められ、約24億円という多額の賠償額であったが、夜間早朝の飛行差止は、今回の裁判においても認められなかった。 同時に2次、3次の対米訴訟の判決も言い渡された。こちらは4月12日に出された1次最高裁判決をそのまま踏襲した却下判決であった。
  これらの判決については、6月11日に控訴した。

2、判決から2ヵ月がたち、控訴審に向けての7月合宿を終えた所である。判決結果については残念な内容も多かったが、訴訟団結成に向けての2年間の運動を含め8年間、何とか組織をまとめてこれた事、24億円という多額の賠償を勝ち取った事、最後まで一丸となったやり抜いてきた事については、正直ほっとしている。この合宿において、訴訟団、弁護団の事務局長が交代し、控訴審に向けて新たに組織の拡充をはかる事となった。合宿では1審の進め方についての反省、判決の総括と、控訴審の位置づけ、今後の闘い方、裁判・運動両面の発展を確信しあった。

3、判決についての総括であるが、この横田基地の国に対する訴訟の1審判決は、厚木、嘉手納と続く大型騒音訴訟の大勢を見る重要な判決であった。
  判決内容として評価すべき点もある。損害賠償については、問題としていたうるささ指数の低い(75W)地域についても認定され、また、認定額もこれまでの最高レベルであった。6000名という大型訴訟で24億円という多額の損害賠償額を勝ち取ったことは何よりも評価するべきであろう。また、被害認定についても、睡眠妨害や心理的・情緒的被害、日常生活妨害だけでなく、難聴・耳鳴りなどの身体的被害の可能性及びその恐れや、騒音がストレスの原因となり得ることなどを積極的に認定した。
  しかし、今回の判決は、不当かつ特異な問題点の多い判決であった。問題を2点に絞って報告する。

4、第1点は被害立証問題である。
  通常、被害立証のために「陳述書」を作成して提出する。これはどこの訴訟でも行われている。ただ、陳述書は被害立証の1つに過ぎない。騒音訴訟で請求している損害賠償は、原告すべてに共通する最低限度の被害に対する慰謝料請求である。被害認定地域に居住する原告は等しく賠償を受けるのが当然である。被害立証は個別立証ではなく共通の立証で足りるとしてきたのが、公害訴訟で勝ち取ってきた歴史的産物であった。6000名の陳述書作成は実際は大変な時間と労力を要した。1年以上かけたが、全員の陳述書は種々の理由で作成できなかった。全体の8割を作成した段階で、陳述書作成を終了した。陳述書での被害立証は8割で十分だと踏んだ。
  しかし裁判所は、陳述書未提出者について、立証不十分として、何と賠償を認めないとした。その理由は、「陳述書の作成はさして困難ではなく、あえて提出しないというのは不自然である。自己の被害について陳述書を提出せず被害内容を明らかにしない原告らについては、損害賠償を認めることはできない」というものである。これで1000名以上の賠償が否定された。これまでの空港騒音訴訟にあっても、全員の陳述書を提出した例はなく、このことで賠償を認めなかって例もない。今回の判断は新判断である。
  この点、本年3月に出された小松基地判決では、「未提出者は相当数いるが、騒音地域に居住している者につき、被害状況を直接触れた証拠がないという理由だけで被害を疑問視することはできず、共通被害については、他の多くの原告らの訴えによって代弁されているものと見てさしつかえない」との判断を示した。近接した同種事件でまったく反対の判決が出されたことになる。

5、第2点は、「危険への接近」問題である。
  国は危険への接近論について、再三被害地域に出入りしている者について、免責論を提示し、賠償を否定する立論をし大量の原告本人尋問を申請してきた。裁判所は人数は絞ったが45名ほど採用した。尋問の争点はどうして被害地域に戻ったのかというものである。これはプライベートな理由が主であった。採用された原告については、個別陳述書を提出したが、プライベートな理由を言いたくないという事で、裁判に出ない者もあった。これらの者の不出頭理由についてはすべて上申書として提出した。
  しかし、裁判所は「不出頭者は(再転入についての)特段の事情を裁判所で供述することを拒んだのであるから、特段の事情を認めることはできない。陳述書の提出だけではその記載の真実性を吟味できない、同居人も同様である」とし、国の賠償の免責を認めた。法廷不出頭を理由に免責を認めるという手法は初めての判断である。
  我々は、「危険への接近論」について、総論として、何の策もせず、横田基地という「危険の居座り」を許しているのは国である、また、被害地域を開発し「危険を隠蔽」して大団地を造成して「危険に誘因」したのも国である、東京の住宅密集地にある横田基地については、そもそも危険への接近論そのものが認められるべきでないと論証してきた。しかし、裁判所は、「宅地開発はやむをえない側面があり、公団募集のパンフ等には騒音についての記載があった」として我々の問題提起を一蹴した。

6、今回の判決は、差止、将来請求を認めないという不当性はあるが、これはどこの訴訟も同様のものである。この判決の特徴は、被害住民に対する大変冷たい見方と高圧的な態度である。6000名もの住民が何故裁判に立上がったのか、この点を直視する姿勢がこの裁判所には欠けていたとしか言いようがない。

7、また、同時に判決された2次、3次の対米訴訟判決は、最高裁1次判決をそのまま踏襲したものであった。即ち、「米軍機の離発着は米軍の公的活動そのものであり、主権的行為であるから、国際慣習法上、民事裁判権が免除されるものである」とうものである。これだと米軍の活動に対しては何も言えないということになってしまう。

8、これからは舞台は東京高裁に移る。運動面では、運動の指針の確立、組織体制の拡充、他の訴訟団、公害団体との交流など運動を深め、理論面では、被害内容の緻密な提示、共通被害論の進展、軍事公共性批判、危険への接近論などを中心に再検討し、地道な論議の中で認定を勝ち取るようにと、今、改めて訴訟団、弁護団は志気を昂揚させている。闘いはこれからである。今後ともご支援をお願いしたい。



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高尾山天狗裁判最近の動き
弁護士 関島保雄
1 訴訟の進行状況

(1)高尾山天狗裁判を平成12年10月25日東京地方裁判所八王子支部に提訴して既に1年半が経過した。 高尾山天狗裁判は高尾山及び八王子城跡の自然を守る自然権訴訟が中心で、原告は自然そのものである高尾山、八王子城址、オオタカ、ムササビ、ブナの5名と自然保護団体6団体と人間1060名であった。
  首都東京で大規模な自然権訴訟が提起されるのは初めてでありマスコミからも注目され、提訴日には朝日新聞の天声人語でも報道され全国の関心を呼んだ。
(2)ところが裁判所は草々と平成13年3月26日自然物を原告とする訴えについて訴訟当事者能力がないとして訴え却下した。
  第1回口頭弁論で自然物の原告を分離し、第2回の口頭弁論前に訴えを却下するという裁判所の態度は本件訴訟が自然保護の裁判であり自然物の法的価値を訴える意義に対し全く理解を示そうとしないものであった。 この判決に対し東京高等裁判所に控訴したが、控訴審も何の弁論もすることなく平成13年5月30日やはり自然物には訴訟当事者能力がないとして控訴を棄却し、判決は確定した。
(3)人間や自然保護団体を原告とする訴訟の進行状況
  裁判所は、圏央道工事により直接的に大気汚染や騒音など従来型の人格的被害の主張には耳を傾けるが、環境権や自然享有権、景観権には理解を示そうとしない点で問題であるが、弁護団はねばり強く自然保護の必要性を強く訴えている。
  ところが、提訴以来、原告らが、圏央道トンネル工事による水脈破壊の危険性を指摘してきたところ、案の定、平成13年11月頃から高尾山の手前にある八王子城跡トンネル付近の民家43戸の井戸がトンネル工事のために涸れ、さらに平成14年3月には八王子城の地下推移が13メートルも低下したことが判明し、ことの重大性から国土交通省もトンネル掘削工事をストップし止水工事を始めた。
  八王子城跡は国史跡であり山上に文化財となる井戸もあり、また滝など遺跡が沢涸で涸れることになれば文化財を破壊したことになる。
  このため、現在、八王子城跡トンネル工事は全長2400メートルであるが北側から1000メートルのところでストップした。止水工事をすると100メートルに1年かかる勘定では残り1400メートルを彫るのに14年かかることになる。 この地下水脈破壊問題は高尾山天狗裁判の中核に位置づけている問題である。
  地下水脈が圏央道トンネル工事で破壊されれば、今後トンネル工事が高尾山に及んだ場合、高尾山の地下水脈を破壊し、高尾山には修験道に使う滝や水辺の憩いとなる川、動植物に多大な影響を与える危険性を指摘しているからである。
(4)それとともに現在大気汚染や騒音問題も取り上げ従来型の人格権侵害の被害の危険性も指摘している。原告らの委託した環境総合研究所の予測では圏央道完成後の裏高尾地区の大気汚染は全域で環境基準を上回る汚染状況が予測されている。騒音も環境基準を上回る騒音が予測されている。
  今後これらの人格権侵害の危険性を秋からの裁判で指摘する予定である。
  ただ、環境基準に基づく被害に至らない程度でも、高尾山の豊かで閑かな自然環境を求めてくる多くの原告らにとって、圏央道の騒音や大気汚染は、サウンドスケープ(音風景)など自然の享有を侵害するものであるという点で、環境権や自然享有権、または景観権を侵害するものとして前面に出して闘っているのである。
(5)第2次提訴
  このような民事差止訴訟をさらに前進させるため第2次提訴を行った。
  平成14年4月16日に原告263名 内訳 人間262名 自然保護団体1名(東京勤労者山岳連名)で追加提訴し、これで原告数は1329名になった。
  追加提訴には著名な作家や作曲家や学者も原告に参加して、さらに運動は大きく盛り上がってきている。

2、土地収用手続きに対抗する動き
  一方、日本道路公団と国土交通省は、国民の批判が高まる前に圏央道工事を促進しようと、平成13年11月高尾山北側の裏高尾地区の反対住民に対し土地収容法の事業認定を申請し、国土交通大臣は平成14年4月19日事業認定を告示した。
  今回の事業認定地区は圏央道あきる野インターから八王子市裏高尾の中央自動車道とのジャンクション間で、現在北側から掘っている八王子城跡トンネルを南側の八王子市裏高尾からも掘削してトンネルを完成させ中央自動車道とのジャンクションで接道させようとするものである。
  この裏高尾地区には反対地主の外1500名を越える立木トラストの反対住民が圏央道予定地の山林を守っている。
  政府は圏央道では平成12年から、あきる野市牛沼での反対地主に対する土地収容法の手続きを進めているが、土地州よ雨を進めやすくするため平成13年に土地収用法を改悪して収用委員会の手続きを買収価格だけの審理としてしまった。これは圏央道八王子地域の反対住民に対する土地収用をすすめやすくするための改悪といわれている。この改悪されて新土地収用法は今年7月から適用され、事業認定の公共性などの議論を収用委員会でさせないようにする意図である。
  これに対し、平成14年5月17日、国土交通大臣に対し、異議申立人 1292人と自然保護団体7団体で異議申立した。
  さらに平成14年7月9日、東京地裁に事業認定取消の行政訴訟を提起した。
  原告は879名で自然人872名、自然保護団体7団体である。
  これからはこれまでの東京地裁八王子支部での民事差止請求訴訟と東京地裁での事業認定取消訴訟の2本の訴訟を進めることになるが、双方の訴訟の特徴を活用して圏央道工事をストップすべく奮闘する予定であり、皆様の御支援と御協力をお願いする次第である。



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尼崎道路公害訴訟の「連絡会」をめぐる動き
尼崎道路公害訴訟弁護団 事務局長 弁護士 羽柴修
1 第2回「連絡会」(平成14年6月13日)までの経緯
  昨年の「連絡会」(平成13年8月1日)以降、大型車規制をめぐる具体的方策、和解条項中の「大型車規制」は、道路交通法上の規制に限定されるのかについて近畿地方整備局との間で交渉を続け、「道路交通量調査」後の兵庫県警への依頼内容とその後の検討結果(本件地域、43号線での大型車規制は不可能)の詳細を文書で回答するよう求めてきた。兵庫県警と近畿地方整備局との第2回「連絡会」前の交渉内容は以下の通りである。

(1) 4/23、県警交渉
 (県警の回答)
  1) 県警の交通規制は、道路交通法上の規制であり、道路交通政策に基づく交通規制は念頭にない。国土交通省(近畿地方整備局)から検討依頼のあった「大型車規制」もその趣旨と聞いている。交通規制には一時停止、前面通行禁止等がある。
  2) 各種規制方法について検討した。その方法は終日前面規制、時間規制(夜間等)、面的規制(範囲を指定した規制、例えば神戸市内を40キロ規制)、点的規制がある。
  3) 検討した結果について文書回答はしていない。国土交通省からの依頼も口頭、その間の交通量調査に関する協議についても文書はない。県警の国土交通省への回答も口頭である。但し、検討結果を回答した時の部内(兵庫県警)の結果報告文書はある(決裁用文書と思われる)。
  4) 原告・患者側への検討結果についての文書回答は検討させてほしい。
 (原告・患者側)
  1) 和解条項で言う、大型車規制は「道路交通法上の規制」ではない。道路交通政策上の規制であり、県警への規制依頼は、大型車規制の1つの方法に過ぎない。
  2) 和解条項の履行についての重大なやりとりが、口頭で行われ、一片の文書もないと言うのは信じられない。前述の様々な規制方法について検討した経緯、大型車規制が不可能とされた理由について文書で回答されたい。
  3) 国土交通省、兵庫県、県警を含めた「大型車規制」についての検討協議の場を持ちたいと提案。

(2) 4/30、近畿地方整備局交渉(準備会)
  「連絡会」座長である整備局路整課長が異動で交代、新任の小宮山課長から、和解条項を誠実に履行したい(よく言うよ)との挨拶。
 (整備局)
  1) 道路交通量調査と、県警への依頼、県警からの回答内容等について文書回答せよとの当方からの要求について応酬。行政間のやりとりでは口頭も稀ではない、この点を含めた回答については「連絡会」で回答する。
  2) 交通規制について、国土交通省は、和解条項中の「交通規制の必要性を理解」あるいは、「交通規制の可否」の「規制」は、道路交通法上の規制と解釈している。
  3) ただ、道路交通量調査で明確になった本件地域の大型車を削減する必要性は、感じている。整備局には強制力がないから削減目標を設定することはできない。
 (原告・患者)
  「連絡会」で然るべき回答がなければ、相当の覚悟で臨むこと、全国でも新たな道路公害裁判を組織する動きがあることを伝え、和解条項、特に「大型車規制」について、道路交通量調査に基づく具体的削減方策を示す等、和解条項を誠実に履行するよう要請した。

2 6月13日、第2回「連絡会」の協議内容
(1) 原告・弁護団は、準備会における整備局の対応を踏まえ、「連絡会」では大型車削減目標を出させること、道路交通量調査に基づく「大型車規制の可否」についての検討依頼と検討結果に関する「文書回答」を出させることを目標とし、合わせて「連絡会」の公開を要求することにした。
(2) 冒頭、「連絡会」の公開の是非で時間を費やしたが、整備局は、「尼崎市域における環境対策」という文書に基づいて若い条項履行状況を含め報告、土壌脱硝装置や光触媒等による大気浄化フィールド実験の着手について説明した。東本町のPM2、5を含む常時観察局設置、東本町入路建設計画の事実上の凍結等評価すべき点もあるが、大型車規制については、見るべき回答はなかった。整備局は、大型車の交通量低減の必要性を認めながら、交通量調査による大型車規制については、県警の所管であり、整備局は規制の可否につき県警へ依頼済みである、県警は昨年末検討結果を公表、道路交通法上の規制は困難との回答を出しておりこれ以上整備局としては詰めようがないという対応に終始した。原告・弁護団は、道路交通量調査に基づく大型車規制について県警が検討した様々な規制方法(形態)の内容を明らかにすべきであるし、規制が困難だという理由も明らかでないから県警の検討を文書で回答し、公表するよう迫った。合わせて和解条項中の「大型車規制」が道路交通法上の規制だと言うのなら、近畿地方整備局長の名前でその旨文書で回答するよう要求し、閉会した。

3 今後の課題
  「連絡会」の現状は西淀、川崎、尼崎、名古屋の全てが共通の問題を抱えており、本省に対し統一交渉を申し入れ実現する必要がある。尼崎独自の問題として、和解条項の「大型車規制」、道路交通量調査に基づく43号線、阪神高速西宮線の大型車交通量(6万2000台)の低減施策を履行させなければならず、「連絡会」だけにしがみついている訳にはいかない。弁護団と原告・患者会は7月23日急遽合同会議を開催、1.尼崎市と兵庫県等地元自治体との協議会の設置、2.国会で和解条項履行の実態を追求する、3.和解条項の不履行を理由とする新たな損害賠償訴訟を検討する、4.近畿地方整備局に対する抗議行動、の4つの行動方針を確認した。道路公害をなくす闘いはまだまだ終らない。



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環境サマーセミナーに参加して
55期司法修習生 金岡繁裕
 7月13、14日の両日、日本環境法律家連盟、公害弁連、ゴミ弁連の共催により、サマーセミナーが開催された。以下はその報告、感想である。
 今回で3回目の開催となるサマーセミナーに参加した修習生はのべ7名(55期5名、56期2名)。一応同僚を勧誘もした私としては意外なほどの少人数であったが、その分濃密な2日間を過ごさせて頂いた。
 1日目は、朝から夕方にかけて、中島嘉尚弁護士、梶山正三弁護士、近藤忠孝弁護士の各氏による講義(各2時間30分程度)が行われた。夜はサマーセミナーの運営にあたられた先生方にも参加頂いての懇親会が催された。
 中島講義の主題は自然環境で、純粋に自然が好きだという先生の思いに始まり、幾つかの活動体験、アメリカの(日本の水準からは)驚くべき裁判例の紹介、今話題のダム問題、等が取り上げられた。特に印象的だったことは、先生の活動が最終的には立法的解決に帰着していたことである。私などは、司法的解決と立法的解決とを全く切り離して考えていたが、裁判所を利用して争いつつもそれで満足することなく、当事者のエネルギーを利用して立法の場にまで持ち込む成功例には感銘を受けた。
 梶山講義の主題は廃棄物で、先生が専門にしておられる生化学分野の視点を基調に、所謂日の出町事件を例に引きながらの廃棄物問題の概観、住民運動や市民運動のあり方、等が取り上げられた。廃棄物行政の限界や杜撰さはよく言われることだが、ご自身で収集されたデータを示しながら解説された行政の意図的な数値の改竄や調査方法の誤魔化しの実態は、生々しく説得的であった。
 近藤講義の主題は公害で、現在の公害訴訟の親と言うべきイタイイタイ病訴訟における活動、今後の公害訴訟の展望、等が取り上げられた。恰も現在のことのようにイタイイタイ病訴訟の受任当時や経過を語られる様には、全身全霊を込めて戦うことの重みがにじみ出ていた。
 2日目は、朝から、籠橋隆明弁護士のよる講義が行われた。昼前からは、「渡良瀬を守る利根川流域住民協議会」の方3名の案内で渡良瀬遊水地を見学し、その後解散となった。
 籠橋講義では、日本環境法律家連名の理念、活動、将来像が説明された。ヒューマニズムによる思考や、アジア各地の法律家との連携構想など、目先の環境をただ守る以外の方向性の示唆があったと思う。
 遊水池見学では、日本有数の湿地(鳥類210種、昆虫1200種、草木700種)を環境悪化や行政開発から守る住民運動、遊水池の自然、足尾鉱毒事件に端を発する渡良瀬川周辺の歴史、が説明された。根強い住民運動が行政を少しずつ動かしていく様や、田中正造の憲法を守る戦い等、何れも興味深い話題であった。
 なお、サマーセミナーとは少し離れるが、後日、上記住民協議会の方の御厚意に甘えて、足尾の緑を守る会の活動に参加する形で足尾銅山を探訪することが出来た。銅の精製過程で出た亜硫酸ガスにより一帯の土壌が酸性化し、植物が根付かず脆くなった岩肌が露出したままの足尾の山々や、今なお排水や鉱毒、無惨な開発の傷跡の残る足尾の町の現実を見せつけられ、「昔あった足尾鉱毒事件」では済まれないことに衝撃を受けた。かなりの強行軍にも拘わらずあちらこちらを精力的に案内してくださった関係者各位にこの場を借りてお礼を申し上げておく。
 サマーセミナーや足尾での体験に共通していたのは、先ず、人と人との連携連帯が環境問題の解決を図る上で核となる、ということであった。法律家だけではなく、専門家の協力や住民市民の熱意、エネルギーがなければ、環境問題の解決はおろか、隠された環境問題の掘り起こしもままならないであろう。次に、破壊するのは一瞬でも影響は半永久的に残り、修復に至っては不可能(に近い)ということであった。現代社会では大事件もすぐに風化してしまうが、風化を許していたのでは取り返しのつかない事態を招くこと必定である。
 最後になるが、今回サマーセミナーに参加して、如上のような感想を抱けたことは何よりの財産であると思う。現場の方々の体験を我がものとし、自分の目で見、耳で聞いたことは、問題を一気に身近に引寄せるものとなり、環境問題に興味があるといいつつ批評するだけだった自分を早く現場(どの道に進むにせよ)に放り込みたいと、そう感じた。改めて感謝の言葉を述べさせて頂く。
 今回のサマーセミナーは、前回より参加修習生が更に1名少なくなったが、勿体ないことである。興味のある方であれば興味が興味以上のものに変わるだろうし、興味のない方でも環境問題の基本から応用までが凝縮されたこの機会を逃す手はない。本稿を読んで1人でも第4回サマーセミナーの参加者が増えることを祈念しつつ、結びの言葉とする。



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【若手弁護士奮戦記】 嘉手納基地訴訟弁護団から
嘉手納基地訴訟弁護団 弁護士 和田義之
 JALの「情熱視線」に見据えられながら到着する沖縄は、いつもながらに情熱的だ。今月に入って2度目の沖縄。しかも前回は帰り際に台風に見舞われ、丸一日空港に並ばされた挙げ句、翌日最終の臨時便でようやく関西に戻ってこれるという始末。今回も台風11号が接近中とあり、予定通りに帰阪便が出ない可能性もあるとのこと。つくづく本土との距離を思い知らされる。
 午後9時に那覇空港到着。翌日法廷のある沖縄市までタクシーで向かう。途中、浦添、宜野湾、北谷を通過し、沖縄市街に入る。偏在するマリナーの基地、キャンプが、夜の暗闇の中、その広大な敷地を誇っている。那覇市から沖縄市までは、車でおよそ40分ほどの距離だ。那覇市はどこにでもある都会だが、沖縄本島のより深部に位置している沖縄市は、未だ「アメリカ世(ゆ)」の気配を色濃く残す。かつてコザと呼ばれていた街であり、嘉手納基地に接して存在する。
 ここ沖縄市では、1970年、嘉手納ゲート(基地入り口)に通じる幹線道路を舞台に、沖縄住民による米軍車両焼き討ち事件が発生した。世に言う「コザ騒動」である。米軍車両による交通事故と、米憲兵による一方的な事故処理、住民への威嚇発砲が、住民の怒りを爆発させた。しかしそれ以前から、住民の中には、在沖米軍に対する反感が着実に根を下ろしていたのだ。そして、その反感は、基地が続く限り存続し続ける。未だ基地に接し、基地効果で経済を潤しているこの町は、文字通り歴史の真ん中にあると言える。
 そうこう考えている内に、タクシーは静かにホテルに到着した。明日の夜、ではなくて明日の法廷に備えて、今日は早めに寝ることにする。
 嘉手納弁護団に入って半年が立とうとしており、この短い期間の間、既に7回の沖縄訪問を経験している。しかしながら未だに、私は沖縄に迎え入れられたという実感を持つことが出来ていない。まだ私は沖縄にとっては部外者の一人にすぎないのだ。
 かつて、一人のノーベル賞作家が、返還2年前の沖縄を訪れ、このように自問したことがある。「僕は沖縄へなんのために行くのか、という僕自身の内部の声は、きみは沖縄へなんのために来るのか、という沖縄からの拒絶の声にかさなりあって、つねに僕自身をひき裂いている。穀つぶしめが、とふたつの声が同時にいう。そのように沖縄へ行くことはやさしいのか」と。
 さて、それではこの若輩者は、上述の作家と比するもおこがましいが、はるかに経験の浅い新米の法律家は、ブーメランのごとく自らに突きささるこの問いに、如何にして答えることができるのか。その問いに答えられなければ、単に観光客として来沖すれば良いのだ。ただ私自身は、今後数限りなく沖縄に渡り、原告団の方々から話を聞き取り、大阪での休日の勉強会等(大変だ)をこなしていく中で、それが見えてくるのではないかと思ってもいる。
 1つだけわかったことがある。弁護団の先輩方を見てのことなのであるが、何故もこの人達は、こうも軽々と1400キロの海を越えて、沖縄と同化しているのか。軽やかにエイサーを踊り、「マブイ」「カジマヤー」等の現地専門用語を操り、ウチナーグチで「涙そうそう」を歌えるこの人たちは。
 そうだ、この人たちに共通する精神は、おそらく「毒くわば皿まで」なのだ。と同時に、そうしなければ、この圧倒的に重厚な訴訟に、わざわざ大阪から出て行って携わるだけの資格は有されないのだ。このような思いこみのもと、私の今後の目標は、「皿まで喰うこと」となる。
 話は若干飛ぶが、辺野古の沖合、珊瑚礁の海の真ん中に、撤去不能な恒久的基地が建設されることに決まったらしい。いつもいつも、為政者は同じ過ちを犯す。まっとうな理性を持って、かかる基地建設の合理性を説明できる者は、当の米兵を含めておそらく誰一人いないであろう。一部分の人々の利権と狂気のために、住民と、その生活環境が犠牲にされ続けるという構造は、戦後多くの公害問題が争われる中で、何らの変化も見せてはいない。
 そして嘉手納においても、爆音の被害、墜落の被害に、周辺の子供達をさらし続けるだけの「合理的理由」を示せる者は皆無といえるだろう。この単純な事実をもって、私は訴訟に向かえばいいのだと予感する。
 明日の法廷では、短いながらも少しだけ出番を与えられている。それが、沖縄に少しでも認められるきっかけになれば良いと思い、不夜城のコザ歓楽街を横目に見つつ、今日は筆を置くことにした。(後日談であるが、この出番の結果については、「何とか多めに見て貰った」という出来であった。気負っていたときは、大概そんなものです、、。)



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